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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (6)

  • 変な顔なのに、美しい - 剛力彩芽の造形美 - ohnosakiko’s blog

    剛力彩芽、その顔が天才だ! - 逆襲のブロガー 続・剛力天才論 - 逆襲のブロガー 剛力彩芽について熱く語っているid:yoghurtさんに、二番目の記事でブコメを取り上げて頂いたので、私もちょっと語ってみたくなった。 普段あまりテレビを見ない私が剛力彩芽を最初に認識したのは、スーパーの中に掲示されていた小さな広告の写真(森永乳業か山崎パンか忘れた)。「ちょっと変わった顔? でも好きなタイプ」と思った。それ以降、雑誌やテレビに登場するのを意識して観察するようになった。メディアにものすごく露出が多いのを知ったのは実は最近。(一部で?)「ブス」だと言われているのも最近知った。 ブスはあんまりだ。でもファニーフェイスと言えば近いと思う。喩えが古過ぎるが、目の小さいあっさり顔なところが若い頃のシャーリー・マクレーンっぽい。正統派の美人ではないマクレーンはよくファニーフェイスと言われていた。 「出過

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    ureyubo
    ureyubo 2013/01/18
  • 「どや」と紳助は言った。 - ohnosakiko’s blog

    「どや、俺の引退記者会見。100点満点やったろ。解説したるわ。まずは相手に恩義があったということの強調や。恩義のある人だから無下にはできんかった。人として当たり前のことやないか。俺、「人として」「心」「感謝」各2回言ったわ、前半で。これ視聴者の気持ちをつかむ豆知識な。紳助、義理人情に厚いなと世間は思うやろ。ヤクザとつきおうとるのが悪い言われることは知ってんねん。だからバレんよう気ィつけてやってきたんやから。ほんまにどっから漏れたんかな。ま、俺の足引っ張りたい奴はぎょうさんおるから、それは今はおいとこ。でな、最初に「正直に話します」言うたからって、「内心はバレたらヤバいと思ってました」とか素直に言うてみ、「ヤバいと思ってやっとったんか!」て大バッシングに決まっとる。そやから「悪いと思ってなかった」で通さないかんねん。自分で悪いと思てることはせん紳助、義理人情に厚くて芸能界の「ルール」に疎い不

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    ureyubo 2011/08/25
  • 女の子の欲しいもの - ohnosakiko’s blog

    夫が職場の人から聞いてきた話。 最近、高校3年や大学4年で妊娠する女の子が増えているそうだ。その人の近所にも数人そういう娘がいて、他でもそんな話をポツポツ聞くという。 高校や大学の最終学年というと就活まっただ中の人が多い。しかしその女の子たちは、社会に出て僅かな報酬のために苦労しながら働くのはまっぴらだと思っている。そこまでやりがいのある仕事なんかないし。 しゃかりきに働きながら一生独身を通すのも、仕事+家事育児分担という共稼ぎスタイルも、どっちもしんどそう。専業もセレブでない限りつまんなそう。でも子供はほしい。 そこで、つきあってる男の子供を計画的に妊娠する。親バレし、就活どころではなくなり、男も外堀を埋められ逃げられなくなってでき婚。 しかし娘はその男と結婚したいのではなく子供がほしかっただけだから、数年経つと夫婦仲はうまくいかなくなって離婚。 子供を抱えて生活能力もない若い娘の生活は

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    ureyubo 2011/01/03
  • 男は「代用品」を愛する(なぜフェティシズムは基本的に男のものなのか) - ohnosakiko’s blog

    フェティシズム、セクハラ、ロリコン(前記事への反応に応えて) しつこいですが短めに。 フェティシズムはもともと「神の宿った呪物」を奉る物神(フェティッシュ)崇拝から来ており、来のものではなくその「代用品」を目的化し崇拝の対象にするということ。精神病理としてのフェティシズムで例に出される女性の下着やへの執着(それなしには性的に興奮できない)も、マルクスが指摘した資主義社会における貨幣への信仰(只の紙切れが特別な意味を帯びる)も、プロセスや手段となるべきものが目的化している、「代用品」への偏愛であるという点において同じである。 性的嗜好としてのフェティシズムの世界を見渡すと男が多いのは何故か。男にとって女とはファム・ファタールから制服の処女まで常に「妄想の女」であり、妄想=代用品を通してしか男は欲情できないからである。それなしにもし"女の実像"に到達すれば、ファンタジーは消滅し性的興奮は

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    ureyubo 2010/12/16
  • 「内心」は不自由だし、ポルノを楽しむのは「悪」だ - ohnosakiko’s blog

    アンドロイドの人権と神さまとセカンド・レイプ - はてこはだいたい家にいる 「内心の自由」を巡ってのコメント欄の混乱が、ブコメにも波及している。 「内心の自由」とはもともと、憲法19条の「思想及び良心の自由」を下支えする概念だ。戦前の国家の思想統制に対して出てきたもので、他者の人権に抵触しない限りにおいて最大限保障されるべきことになっている。 従って「内心の自由は保障されている」と言わねばならない局面とは主として、思想及び良心の自由が国家あるいはそれに準じる権力装置によって侵害されそうになった時だろうと思う。 冒頭で引いた記事及び一連の記事の内容は、ポルノの人権侵害と「良心」を巡る議論の一つである。レイプものなど被害者が見たら傷つくであろう性的ファンタジーを、語るだけでなく、楽しんでいることへの疑義が示されている。 一連の議論を追いかけている人ならわかるはずだが、最後の一文はAntiSep

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    ureyubo 2010/04/23
  • 愛の起源 - ohnosakiko’s blog

    70年代の終わり頃、18歳の私は初めて男の人と付き合い、半年経って別れた。同じ頃、『話の特集』という雑誌を購読するようになり、そこで中山千夏を知った。ウーマン・リブという言葉がまだリアルなものとして生きていた時代である。 フェミニズム系のには親しんでいなかった私だが、中山千夏の言葉遣いには興味を引かれ、『からだノート』というを買った。 1ページに一つずつ、性についての短いカジュアルな文章が書かれている中に、恋人らしい男女の会話としてこんなものがあった。既にが手元にないので記憶で書く。 男「どんなに抱き合っても一つにはなれないんだね。さびしい」 女「だから抱き合えるのよ。うれしい」 当時これを読んで、なーんかドラマの台詞みたいでちょっとこっぱずかしいなーという感じをもちつつも、「うまいこと言うもんだ」と感心したのを覚えている。 男と女に台詞が振り分けられているが、恋愛がピークにさしかか

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    ureyubo 2010/03/31
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