【初音ミク】フロウノイズ【オリジナル曲】 [音楽・サウンド] 初めまして。ニコ動初投稿です。夜中の虚ろ虚ろなテンションってかんな感じでしょうか。需要がある...
【初音ミク】フロウノイズ【オリジナル曲】 [音楽・サウンド] 初めまして。ニコ動初投稿です。夜中の虚ろ虚ろなテンションってかんな感じでしょうか。需要がある...
Amazonのクリスマス商戦において,電子書籍が通常書籍の売上を上回ったというニュースが出版関係者を驚かせた。Kindle自体の販売台数も100万台を突破し,またその上で閲覧できる電子書籍もすでに40万冊になろうとしている。 ここで驚くべきは,Amazonでの電子書籍登録がオンラインで誰にでも可能だということだ。 (現在は日本語コンテンツは不可だが,近い将来開放されるだろう) これが電子書籍の登録画面,Amazon Digital Text Platformだ。 Amazon.comのユーザーIDを持っていれば誰でもアクセスできる。 そして次のような画面にしたがって,内容を登録していくだけで自動的に電子書籍登録ができるのだ。 登録内容は,(1)書籍の基本情報,(2)書籍の販売地域と販売条件,(3)書籍データのアップロード(データは自動変換される),(4)書籍の価格 の4つだけ。しかもその手
わりと普通ですが願いします!【神本家】sm5131422【オケ借り元】sm5328309【イラスト】ピアプロ・たま様http://piapro.jp/content/8mzjx73boi1gnguv【ショーター】mylist/15327415 追記:ちょっと改名させて頂きました!コメでご指摘頂いたし、長いから打ちにくかったしで。既にいろんなところで紹介してくださった方々、申し訳ないですm(__)m追記:11/7に世界の新着動画っていうのに出てたみたいです・・・。こんな底辺にいい夢をありがとうございました!!(礼)【宣伝履歴より】本だしさん、kaleidoさん、sssさん、騙る民さん、やーとさん、micuriさんありがとう(^o^)/
2009年12月19日 プレゼンで聴衆の記憶に「刻印」を残すには?〜プレゼンテーションZENスタイルでのスライド事例 プレゼンテーション・・・この単純にして奥深きものよ。 私は人のプレゼンを受けることも多いです。また、自分が人前でプレゼンすることもしばしばです。 そんな中で、つくづく思うのですが、プレゼンにおいて本当に大事なことは 「何を言ったか?」 「何を(スライドに)書いたか?」では、ありません。 聴衆の記憶、頭の中に 「何を伝えられたか?」 「何を記憶として、刻印できたか?」ではないでしょうか。 テキストを箇条書きにして、それを読み上げるみたいなプレゼンがよくあります。しかし、上記の観点に照らしてみれば、ほとんどの場合は、プレゼンテーターの公開オナニーに近いものがあります。 もちろん、私も、まだまだ修行の旅の途上にある「プレゼンテーション」というものですが、最近、読んだプレゼンテー
内田樹さんのブログ「内田樹の研究室」に12月16日に書かれたエントリー 「人間はどうして労働するのか」 がある。これがとてもおもしろい。僕が主催しているコミュニティ 「内田樹さんの面白さを語る会」 での話題のネタにもなりそうなくらいおもしろく感じた。 内田さんが語ることには、目から鱗が落ちると言うような体験が出来ることが多いが、「労働」という概念の説明において、それが「事後的に決定される」という視点は、説明されればその通りだと思うものの、ほとんどの人は「労働」というイメージの先入観があって、その先入観のイメージにかなうものこそが「労働」だというような判断をしているのではないだろうか。 賃金を得られない活動であっても「労働」と呼ばれることがあるだろうし、賃金をもらっても「労働」と呼べないものもあるのではないだろうか。また、外見からは全く同じように見えて、そこに違いが発見できなくても、一方は「
« 2010/1/9-10 合宿やります、伊豆で。 | Main December 29, 2009 広告の役割について考える。 いろいろなところで広告に対する意見を見ていると基本的には、広告というのは企業の製品を販売する上のでの追加コストであり、その追加コスト分の売上に見合わないといけないと思われている。もちろんこれも正しい。ただ、広告の使い方というものを考えてみると、「広告=売上をあげるもの」というのが全て”広告”の使い方ではないと思うのだ。もちろん、企業の経済活動・マーケティング活動上の課題を並べてみてその中の一つの課題を解決し、それが結果として売上につながる、という点においては、広告はたとえば野球やサッカーのチームで一ポジションを担い、勝利投手やMVPとして扱われることはあるにせよ、結局9人や11人で試合はしているわけで、広告というのはそのチームメンバーなのであって、すなわちチーム
僕がここで語りかけるのは、このブログを読んでいるが僕にそのことについて語ろうとはしない...ただ読んでいるだけである研究室のアイツであり、とある血縁であり、故郷にいた頃からの友人であり、かつて絶縁したあなたであり、一時だけ関わったあの人であり、そして、名も知らぬ読者のひとりであるかもしれず、あるいはそれが故に、誰に対するものでもない独白とも言える。 世界はROMで出来ている。 うすうす感じていたこの感覚を具体的な言葉で肉付けするきっかけとなったのは、後輩の一人からもらったメールだった。彼は僕のTwitterを見ているというのだが、アカウントを取ってFollowするのではなく、ブックマークに入れてちょくちょく閲覧しているらしい。確かにプロテクトにしていないからそういった見方も可能だ。Twitterの使い方は自由だが、僕はそうした使い方があるものかと少々驚いた。 それに加えて、先月自分の知名度
Times Labs Blog - Do music artists fare better in a world with illegal file-sharing? Times Labs による,イギリスの音楽産業における収益比率の変化のまとめ。上のグラフを簡単に説明すると,赤い下降している線が「レコードの売り上げによってレーベルにもたらされる収益」を表しており,緑の上昇している線が「ライブチケットの売り上げによってアーティストにもたらされる収益」を表している。 下のような積み重ねのグラフで見ても面白い。 これらのグラフが主張していることは明らかだ――「レコードの売り上げは確かに年々減少している。しかし他方で,人々はライブにお金を注ぎ込むようになった。音楽産業全体で見ればむしろ収益は増加しており,その収益はレコード会社よりもアーティストやライブプロモーターへともたらされるようになりつつ
湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: あなたが知らないGoogleの10の事実=やはりTwitterを買収しようとしていたという記事に驚くべきことが書かれていた。 (4)Page氏とBrin氏ともに秘書がいない これだけ大きな会社になったのに、それでも秘書を置かないらしい。でもそれがかえってよくて、「この程度のことでトップをわずらわしてはいけない」という思いが従業員に働いて、自分たちでコントロールするようになるんだという。それにGoogle Calenderを使えば、特に秘書はいらないらしい。まあそうかもね。 なぜGoogleのような大きな会社のトップがGoogle Calendarのようなシンプルなソフトで業務に支障が出ないのかと言うと、それは、Googleがネットの中から生まれた会社だからだろう。 おそらく、トップのスケジュール管理以外にも、Googleが同じ規模の会社
考える人と悩む人 先日の記事"2009-12-21 学生と議論したり、プレゼンを見ていて思うこと"の続きで、「物事を、きちんと、深く、考えられる」人になるための思考法について書いてみようと思います。思考法というような仰々しいものではなく、「正しい悩み方」を実践し、確実にステップアップしていくためのヒントくらいに捉えてもらえると良いかもしれません。 前回の記事では、 物事を、きちんと、深く、考えられることの方が圧倒的に大事だ というメッセージに対して、常日頃から漠然とした悩みや不安を持っていた方々から一定の反響を頂きました。(特に学生さんには良くも悪くも刺さりが良かったようですね)言わずもがなですが、当blogを読まれて、悩み始めたのであれば、そこからがスタートです。これからどのように、自分の頭の使い方を変えるべきか、徹底的に悩んでみてください。 ただし、漠然と悩んでいるだけで改善するはずも
大企業は、解雇規制があるからイヤイヤ“日本的雇用”を維持しているのではなく、それが自分達にとって得だと思える強固な理由があるからこそ、それを維持しているのだ 「終身雇用は滅びぬ、何度でもよみがえるさ、永久安定の幻想こそムラ社会の夢だからだ!! 」byムスカ ・・・とか、はてなブックマークに書いてしまいました。 * 中から見た感じを言いますと、まあ多分、「大企業」という群知性はバカなので、そんなに色々と考えていません。まず感情的に判断して、そのうえで適当な口実を作文しているだけです。 だから、終身雇用は「経済合理性」で語る内容ではなく、「心理的惰性」で語る内容だろうというのが、初期大企業病の感染者であるところの私の意見であります。 * 人類の90%にとっては、「身の回りに居た人が、ある日急に居なくなる」というのは、いやなものです。 人間が「死んではいけない」とされる理由の大半もそうです。
著作物やゲーム、乗用車みたいな工業製品、あるいは農作物やペットに至るまで、お金を通じて売買される価値を持った何かというのは、「情報」という言葉で代表させることができる。 対価を支払って「情報」を手に入れる、「購買」という行為はこれから先、未来はどんどん細っていくのだと思う。それは安価な中国製品みたいな、価格破壊というやりかたであったり、あるいはうちの犬みたいに「誰かから無償で分けてもらう」ような、情報入手の手段が多様化していくことであったり、いろんなやりかたが手提案されていく中で、情報それ自体の価値というのは、たぶんだんだんと減っていく。 情報の価値は、どんどん「ゼロ」に近づく。一部の情報は、むしろその価値を高めるんだろうけれど、平均すれば、ある分野の情報が生み出す富の総和は、やっぱりこれから減っていく。 それが貴重であった昔とは対照的に、情報はどんどん増えて、ちょっと油断しただけで、部屋
最近読んで面白かった音楽を巡るいくつかのテキストで、何人かが同じ現象を別の言葉、別の視点で語っていたので最近考えていたことも含めてつらつらと。 (※以下僕の適当な要約や主観を含むので、この手の話に興味がある皆様におかれましては原典や個々のコンテンツに当たられたし。あとアーティスト名は敬称略。) ひとつは井手口彰典さんの『ネットワーク・ミュージッキング』という本。ここでは、楽曲がCDやレコードなど物理的な制限の強い物理メディアから、取得・複製の自由度が高いデジタルデータをネットワークベースで交換する時代となったことを背景に、音楽とリスナーを巡る関係が、「ものを持つこと」に意味を見出す“所有”から、コミュニケーションなど様々な欲求を瞬間的に昇華するために必要なコンテンツを膨大な「リスト」から都度選択する“参照”に移行したと論じられている。 ふたつ目はid:loco2kitさんの昨日のエントリ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く