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中世と国家に関するusataroのブックマーク (5)

  • なぜ平清盛は「王家の犬」ではいけないのか : 痛いテレビ

    2012年02月15日08:00 なぜ平清盛は「王家の犬」ではいけないのか カテゴリNHK zarutoro さてNHK大河ドラマ「平清盛」で皇室のことを「王家」と呼称していることについて、天皇家の権威を貶めるものだと批判が巻き起こっています。 皇室を「王家」 適切なの? NHK大河「平清盛」に疑問の声 MSN産経 http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/cast/index.html 結論から言えば、「王家」と呼称することは不適切であり、ドラマのテーマからしても避けるべきでしょう。 まず、平清盛と父の忠盛は時の最高権力者であった上皇(院、法王)の軍隊である「北面の武士」になることで力をつけていきます。 ドラマでは清盛と忠盛の会話に「王家の犬」と言う表現が頻繁に出てきますが、「王家」では誰に仕えているのかわからない上、初見の視聴者には皇室を指すことも理解しづらい。 親

    なぜ平清盛は「王家の犬」ではいけないのか : 痛いテレビ
    usataro
    usataro 2012/02/15
    説得力無し。中世日本での「王」の用例とドラマでの「王家」の使い方は大きくはズレてない。中華秩序での「日本国王」号は外交関係限定の用語だったらしいし。朝廷の犬だと、"忠実の犬"為義をどう表現すんのよ。
  • 大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって

    今年のNHK大河ドラマ「平清盛」では、法皇・上皇らによる院政体制を「王家」と呼んでおり、ネットでは「『皇室』『天皇家』ではないのか」といった議論が起きている。同作品の時代考証にあたった気鋭の中世史家、郷和人 東京大学史料編纂所准教授と「肉と草の日史」(中央アート出版社)の共著もある作家の堀田純司氏に、「王家」問題について寄稿してもらった。(編集部) このような話題にうかつに首をつっこまずに過ぎ去るのを待つのが大人の態度だと思うのですが、この話題は実は「表現における用語の規制」に関わるものです。ですので非力かつ超末席ながら、言葉を使う商売のはしくれとして、あえて大河ドラマ「平清盛」における言葉の使い方について解説してみようと思います。いたらぬ人間の解説ですが、なにかの足しになれば幸いです。 今、一部で話題のNHK大河ドラマ「平清盛」で使われる「王家」という皇室の呼称ですが、まずこれは

    大河ドラマ「平清盛」における「王家」をめぐって
    usataro
    usataro 2012/01/13
    「近代に成立した用語で過去の歴史を振り返ることの危うさ」/王家というニュートラルな語を使うことで、中世の朝廷や公家社会研究は大きく進んだからなあ。/なお本郷氏は幕府のとらえ方では権門体制論に批判的。
  • 権門体制論と天皇制 - 我が九条

    権門体制論それ自体は天皇を【国王】とすることは必ずしも前提としない。だからこそ権門体制論の枠内で天皇ではなく治天を【国王】とする議論も可能なのである。しかし黒田俊雄は断固として天皇を日中世国家の【国王】とすることを譲らない。 これについて次のような意見がある(「唯物史観 | Japanese Medieval History and Literature | 5488」)。 唯物史観を信奉するのに、なぜ権門体制論なの? 権門体制論は、天皇の地位を必要以上に高く評価しているじゃないか。 それは、唯物史観を奉じる研究者が「従三位」とかの位階を授けられてる (そういう人は少なくないそうです)のと同じくらい、ヘンじゃないか。 「唯物史観を信奉するのに、権門体制論」は「自分の思想と研究とが同一のベクトルをもつべきだ」という意見と対立するのだろうか。私はそうは思わない。権門体制論は唯物史観に立脚して

    権門体制論と天皇制 - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/18
    権門体制論が象徴天皇制批判だったのには全面的に同意。ただ政治権力を有した天皇や確固たる国家機構の存在を措定することに現状で果たして意味があるのかがポイントで、本郷さんの批判もその点では首肯できる。
  • 荘園制論を理解するために - 我が九条

    黒田俊雄の学問的体系がマルクス主義に立脚しているという、自明の前提を再確認してきた。弁証法的唯物論に即して黒田の論を整理すると、下部構造としての荘園制論、上部構造としての権門体制論、そして社会的意識諸形態としての顕密体制論がある。 マルクスは相互の関係について次のように説明する。 人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定す

    荘園制論を理解するために - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/10
    権門体制論と黒田荘園制論の説明としては確かにこの通り/天皇が公で上皇が私、荘園が私的だという位置づけはすでに過去の理解/畿内を先進、九州や関東を後進地帯とする理解はもはや全く成り立たないと思う
  • 権門体制論理解のために - 我が九条

    中世における国家体制を説明する概念として「権門体制論」というのがある。大阪大学教授であった黒田俊雄が1963年に「中世の国家と天皇」という論文で提唱した概念である。黒田は権門勢家という概念を用いて、中世における公家政権から武家政権への移行を説明した。黒田によれば公家・武家・そして寺社勢力は相互補完的に権力を行使した、と考えるのである。 これに対する議論はいろいろあるが、私はいずれも権門体制論の基を外したうえで議論されている、と考えている。権門体制論は国家論であるが、それ以上に社会構成体史を前提としている。権門体制論を独立に取り上げても仕方がないのだ。 権門体制論に対する厳しい批判を近年活発に展開している郷和人氏は『天皇の思想』(山川出版、2010年)の中で次のように述べる。 ぼくは言いたかった。あなた(「アカデミズムの総家を自認する出版社の、ある高名な編集者」)が高く評価している

    権門体制論理解のために - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/06/08
    権門体制論の本質はやはり国家論で、それは天皇の理解にあると思う。
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