薩摩の戦国武将・島津義弘ゆかりの伝統行事「妙円寺詣(まい)り」について、妙円寺(鹿児島県日置市伊集院町)が近く、行事を主催する日置市などに対し、名称を含めた見直しを申し入れることになった。 明治時代の神仏分離で廃寺、その後再興されたものの、行事はそのままの名称で別の神社に引き継がれている。このため二つの寺社を混同したり寺はもう存在しないと誤解したりといった混乱がいまだにみられ、寺再興から130年の時を経て、正式に「改善」を求めるという。 妙円寺は、室町時代の1390年に創建された曹洞宗の古寺。島津義弘が生前に自分の菩提(ぼだい)寺と定め、江戸時代に義弘を慕う鹿児島城下の武士らによって妙円寺詣りが続けられてきた。 ところが、明治になって島津家が祖先の祭祀(さいし)を神道だけで行うことを決めたため、同寺は明治2年(1869年)に廃寺となり焼かれてしまった。 11年後に大本山・永平寺と檀家(だん
燃えさかるたいまつを手に一斉に石段を駆け下りる「上り子」たち=6日午後8時1分、和歌山県新宮市の神倉神社(長時間露光、門井聡撮影) 山は火の滝、下り竜−。勇壮な火祭り「お燈まつり」が6日、和歌山県新宮市の神倉神社で行われた。燃えさかるたいまつを手にした男たちは一気に石段を駆け下り、炎は夜空を赤く染め光の帯となり、ふもとへ流れ落ちた。 白装束姿に腰縄を巻いた「上(のぼ)り子」と呼ばれる男たち2461人が、ご神体の「ゴトビキ岩」周辺に集まり、辺りは炎の海と化した。午後8時ごろ山門が開かれると一斉に飛び出し、男たちは雄たけびを上げ、火の粉を散らし、約500段の石段を威勢よく駆け下りた。 「お燈まつり」は熊野速玉大社の摂社、神倉神社に約1400年前から伝わる女人禁制の神事。熊野に春を呼ぶ祭りとして親しまれている。
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