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郊外と都市に関するusataroのブックマーク (5)

  • 「私が住んでるところは田舎だよ」を言う立場から - いんたーねっと日記

    東京都下、新宿まで電車で40分かからないところに住んでいた。 大学の近くに住むために引っ越した先は都心からは少し離れて、新宿まで電車で50分以上かかるようになった。 それでもアマゾンは当日お急ぎ便でなんでも届けてくれるし、トーキョーバイクもルイガノもときどき走っている。 小学生のころには幕張メッセまでミュウを貰いに行った。 それでもあれは「田舎」だと思う。 地方出身者からすればその態度が許せないのだろうけど、僕らは僕らなりに都心に対してコンプレックスを持っているし、 だからこそ自然と「私が住んでるところは田舎だよ」が出てしまう。 僕の実家はいわゆるニュータウンの中にあって、その住民の大半は都心に通勤する人たちで、毎朝電車に乗って都心に通勤していた。 そういう場所なので、都心に行って遊びたいと思ったら、ランチを我慢する程度のお金と往復の数時間を代償に都心に行くことができる。 テレビは関東一円

    「私が住んでるところは田舎だよ」を言う立場から - いんたーねっと日記
    usataro
    usataro 2013/01/16
    この話で出てくるのは「郊外」だよね。生活のなかに都市が組み込まれてるし。地元でのそれまでの生活や人間関係を全て精算して出て行くところが「田舎」なんだと思う。
  • 過剰な郊外大型店規制 | rionaoki.net

    追記:車利用を前提とする社会に対する反発があるようですが、私自身は車持ってません。大型店舗を規制するか否かはどちらが社会的に望ましいか計算して決めるべきことでしょう。そしてモータライゼーション自体を問題にするのは地方都市の状況を考えれば現実的とは言い難いのではないでしょうか。 東浩紀さんの言っていることは意味不明ですが文の記述も正確ではない。 自滅する地方 崖っぷちのポモ – シートン俗物記 まぁ、地方都市問題やショッピングモールの問題は、ここでも何回か述べてきているのだけれど、単純な消費行動に絞った話じゃないし、そもそも“批判されがち”って認識がそもそも逆だろ?この20年あまりアメリカの後追いするようにショッピングモールのような郊外開発型大規模店舗が展開されてきたわけで、批判どころか多くの人たちは歓迎していたわけじゃん。 郊外大規模店舗に批判がないというのは誤りだ。中心部の商店街からは

    usataro
    usataro 2010/01/16
    反対。すでに郊外型SCは地域内で過剰気味。超高齢化社会到来で車頼みの生活は困難になるし社会的コストもかさむ。広い住宅なんて金持ちがインフラに頼らず勝手に建てればいい。今は普通の人たちの問題を考えるべき。
  • 自滅する地方 連立方程式を解け - シートン俗物記

    ども、相変わらず地方衰退ネタは反響が大きいですね。 さて、前回のエントリーで 「もちろん、自分は「コンパクトシティ」が処方箋だと考えていますよ。それはなぜか、といえば「連立方程式」の「解」だから、です。」 と述べたわけですけど、この辺を説明していきましょう。 何かしら課題が設定された場合、最も効率が良いのはそれらを纏めて解決する手段を用いることです。いわば「連立方程式」の「解」な訳ですね。 では、「コンパクトシティ」はどのような「課題」の「解」なのか? まず、最初に押さえておかないといけないのは、「コンパクトシティ」というのは、和製英語である、ということ。現在では日の地方自治体での多くで、コンパクトシティは取り上げられていますが、まったく根を押さえていません。「中心市街再活性化」であるとか、「複合商業施設建設」などによって“コンパクトな街”を謳い文句にしますが、以前説明したとおりです。

    自滅する地方 連立方程式を解け - シートン俗物記
    usataro
    usataro 2009/06/24
    目指す方向としては同意。ただちょっと論点を盛り込みすぎな文章だと思う。「連立方程式」って言葉に振り回されずまずは自家用車の話でエントリ書いた方がよかったのでは?
  • "中心"が空洞になっている東京。都市機能の多核化を図った地方都市。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    前回の「"中心"が存在しない日の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」。予想外の反響に正直驚いた。以前、鞆の浦とポニョの話と京品ホテルの話がYahoo!ニュースにリンクされたときはpv数が1万数千/日になったが、その時とは別種の反応はあった。と共に、はてなのトップページに2日間掲載されるというのはこういうことなのか……と実感できた。"はてな村"の住人たちで、自分たちの住む"都市"って何なんだろう、と漠然とした疑問をお持ちの方が多かったということなんだろう。 内容的には、 日の都市の都市では"核"としての機能が失われたことを指摘 中心性を欠如したままで"コンパクトシティ"なる舶来の発想を持ち込むことに疑問 を中心に展開した*1。また、中心市街地および郊外の是非に対する価値判断には触れないように努めた(つもりだ)。 今日は、日の地方都市の中心市街地が空洞

    "中心"が空洞になっている東京。都市機能の多核化を図った地方都市。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/02/13
    「長期総合計画」からの説明は興味深い。ニュータウンの話もここに入りそう。ただ皇居が「中心」になったのは東京が西に広がったからじゃないかな。あとでなんか書くかも。
  • "中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    というのが、以前、誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月で参考にしたid:Dr-Setonさんのエントリーを読んでの感想。 彼によって最近書かれた「自滅する地方 自滅した浜松 その3 - Dr-Seton’s diary」と「自滅する地方 自滅した浜松 その2」を併せて読むと、 「浜松は郊外型大規模小売店舗によって(katamachi注 中心市街地が?)い尽くされた。」 「郊外化は自治体の財政を圧迫するからだ。インフラ整備を行う面積が拡がればそれだけ必要な経費は増大」 「大規模小売店舗が出店する事で“自治体全体”の固定資産税は減少」 「このような浜松の状況は地元企業「スズキ」と無関係ではありません。」 というお話しである。 日の地方都市というのは60年代までは駅前や繁華街などの従来からの市街地を核とした都市構造を形成してきたが、その後、

    "中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/02/09
    「町に行く」という言い方があるように、日本の都市がもともと中心域を持たなかったわけではないと思う。中心域の求心性が失われたのはやっぱり80年代なんだろうな。
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