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ブックマーク / katamachi.hatenablog.com (10)

  • JTB時刻表2011年3月号でダイヤ改正ウオッチング。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    今日2月24日は3月ダイヤ改正号の時刻表の発売日。 みなさんは「JTB時刻表」派「JR時刻表」派どちらでしょうか。自分はもちろんJTB派。国鉄監修の日交通公社時代以来使い続けているんで当たり前と言えば当たり前。でも、今の30歳以下の世代だとJR派が多いんですよね。まあ、駅に常備しているのはあっちですから。 で、日、帰宅しながら飯をいながらテレビをしながら時刻表ウオッチング。いろいろ探してみました。<参考>2011年3月12日ダイヤ改正まとめ記事。九州新幹線以外も面白いよ - とれいん工房の汽車旅12ヵ月 JTB時刻表 2011年 03月号 [雑誌] 出版社/メーカー: JTBパブリッシング発売日: 2011/02/25メディア: 雑誌 クリック: 267回この商品を含むブログ (4件) を見るJR時刻表 2011年 03月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 交通新聞社発売日: 2011

    JTB時刻表2011年3月号でダイヤ改正ウオッチング。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2011/02/25
    どういう経緯だったか忘れたがJR派。大学生当時は少数派だったなあ。
  • 2月14日の「あすか」を巡るトラブルのまとめと個人的な所感 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    20日午後5時頃、滋賀県草津市のJR東海道線草津―南草津駅間で、フェンス(高さ1・8メートル)内の線路脇に三脚を立てた不審な男がいるのを、通りかかった網干発米原行き快速電車に乗っていたJR西日の社員が気づき、運転士に知らせたお座敷列車目当て?「撮り鉄」また快速止める2010年2月20日読売新聞 やはりやってしまったか。 草津線の複線化を求める滋賀県庁の団体がしきっていたやつですね。 滋賀県庁HP 滋賀県草津線複線化促進期成同盟会「ジョイフルトレインあすかで楽しむ草津線めぐり」 http://www.pref.shiga.jp/kakuka/h/kotsu-s/kusatsusen/20100220anvtrain.html 「2月20日(土)の1日限りの運行ですのでお見逃しなく!」 「全線開通120周年記念のヘッドマークを装着した昔懐かしいDD51ディーゼル機関車が、レトロな雰囲気を持つ

    2月14日の「あすか」を巡るトラブルのまとめと個人的な所感 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2010/02/22
    「基本は、「とりあえずマナーを守ろうよ」 との一言に尽きる」。
  • 佐賀県庁が長崎新幹線にフリーゲージトレインを入れたがる理由。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    先週、長崎に行ってみて一番驚いたのは、九州新幹線西九州ルート、九州新幹線長崎ルートというのは慣れないから、「長崎新幹線」(以下、これで統一)の開業を訴える看板だとか何とかが長崎や佐賀のあちこちに掲げられていたこと。 ここ5年ほど、「2008年末、政治に翻弄される整備新幹線を取り巻く状況をまとめてみる(前編) - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」でも書いたんだけど、新幹線の新線から外れる肥前鹿島〜諫早間の第三セクター鉄道化を巡って佐賀県鹿島市などが猛反発して、佐賀県知事や地元選出政治家達がその収拾に追われ続けた。昨年末の政治決着で、JR九州が20年間自社線として運営することになり、一応、落ち着きはしたのだが、新線ルートから外れるエリアだけでなく、その必要性に疑問を持ち始めた人は少なくはないのだろう。反発の根を摘み取ろうとしたいのか。 佐賀駅の構内では、大々的なポスターが貼られて、「新幹線が佐賀

    佐賀県庁が長崎新幹線にフリーゲージトレインを入れたがる理由。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/06/10
    正直長崎新幹線なんて金の無駄だと思ってる。肥前山口‐諫早間の線形改良だって新幹線作るほどにはお金かかんないでしょう。博多で山陽新幹線乗り換えで十分。必要な人は飛行機使うし。
  • ぬれ煎餅騒動から2年半。銚子電気鉄道はどうなったのか? - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    千葉県銚子市の市政が混乱の極みに陥っている。 銚子市立総合病院の診療休止をめぐり、市長リコール(解職請求)が住民投票で成立したことに伴う出直し市長選は、17日で投票まで1カ月。リコールで失職した岡野俊昭前市長(63)と、元同市長の野平匡邦(まさくに)氏(61)が16日に相次ぎ立候補を表明し、これで計4人が名乗りを上げた。20日にはリコール推進派の石上允康(みつやす)市議(63)も出馬を表明する予定。「病院再生」を争点に、新たな銚子のかじ取り役を決める争いは乱立の様相を呈している。 「病院再生」争点に乱立模様 銚子出直し選 産経新聞2009.4.16 銚子市の市民病院の閉鎖問題は、昨年秋、全国的に話題となった。財政再建の過程にある夕張市での特異な事例と思われた公立病院の存続問題が、この後、銚子市だけでなく、大阪府松原市など全国的に広がっていく。 銚子の場合だと、岡野前市長(病院を公設民営)、

    ぬれ煎餅騒動から2年半。銚子電気鉄道はどうなったのか? - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 鉄道が好きならば、みんなで乗って残そうブルートレイン。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    「富士」・「はやぶさ」廃止から2週間が経った。 最後の日とその前日はテレビニュースでかなり大々的に取り上げられていた。「たくさんの見物客が詰めかけて」とか「旅情がある列車」とか「廃止が惜しまれる」とか、送り手にも受け手にも分かり易い切り口がたくさんあったからだろう。 僕も何度か乗ったことはあるし、幼少期に憧れた列車だし、その歴史的文脈も理解しているし、だから寂しさは感じるんだけど、ここ数ヶ月のフィーバーぶりにはかなり違和感を抱いていた。 一言で語るなら、「そんなに大切な列車なら、なんでみんな乗れへんねん」ということだ。 ブルートレイン、なんとかできないのか……という気持ちは少なからずマニアなら持っている。 九州方面なら需要はあるはず、「カシオペア」みたいに高級化路線なら客は取れたはず、JR海と西がやる気になれば何とかなったはず、国鉄民営化の時に分割していなければこんなことにはならなかったは

    鉄道が好きならば、みんなで乗って残そうブルートレイン。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/03/27
    帰省の足としても、九州ブルトレは決して安くはない移動手段だった。高速バスなみの料金なら急ぎでなきゃ選択肢にも入ったんだけれど、飛行機や新幹線より遅くて高いんじゃなあ。
  • 70年代後半の「ブルトレブーム」と「富士」・「はやぶさ」の最期 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    今から約30年前の1970年代後半、「ブルトレブーム」というのが鉄道趣味界を席巻した。 その中心となったのは幼稚園児から中学生ぐらいの子供たち。世代的に言うと、昭和40年代生まれ、2009年現在、35〜45歳ぐらいになっている層に当たる。 そのちょっと前。1976年前後に、「スーパーカーブーム」というのがあって、小さなお友達は児童向けの図鑑や写真文庫を買い求めて、ランボルギーニとか、フェラーリ、ポルシェなどの超高性能乗用車の車種を一生懸命、覚えた。一番人気は、もちろんランボルギーニ・カウンタック(異論は認めない)。消しゴムとかシールとかを集めてはみんなで自慢しあったモノだ。 そのブームの延長線上に、ブルトレブームがあった。1977年頃から、国鉄のブルートレイン、そして特急へと子供たちの興味が移っていったのだ。 その背景には、 70年前後 昭和20年代生まれ(現在、55〜65歳ぐらい)を中心

    70年代後半の「ブルトレブーム」と「富士」・「はやぶさ」の最期 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/03/13
    コロタン文庫は僕も持ってた。あれは到底小学生向けなどではないクオリティだった。/長崎出身の僕にとって超S級は何と言っても1レ「さくら」。/僕と全く同い年なんだ。やっぱり原点はブルトレなんだよな。
  • 大垣夜行最後の日。「ムーンライトながら」最初の日。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    今から13年前の1996年3月のことである。 大学鉄研の同期T氏から連絡が来た。 「東京へ行かへんか」 久しぶりに東京へ行って神保町とか秋葉原で何かいろいろモノを買いに行こうというのだ。当時、公私いろいろあまりうまくいってなかった僕への気遣いもあったんだろう。 で、その手段として最初に頭に浮かんだのが、この年の3月から運行されることになる全車指定席の夜行快速だった。 今まで僕たちが"大垣夜行"*1と呼んできた165系11連(グリーン車付き)の東京〜大垣間は、この1996年3月15日発限りで運行を終了。その翌日からは、全車指定の夜行の運行が始まることになった。 名前は「ムーンライトながら」。新宿〜新潟間に運転される「ムーンライト」(改正後は「ムーンライトえちご」)との連想で名付けられたのだろう。特急「ふじかわ」用に造られた373系が投入されるから寝心地は向上されるし、かねてから希望のあった指

    大垣夜行最後の日。「ムーンライトながら」最初の日。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/03/12
    大垣夜行、静岡で深夜に売ってた駅弁を思い出すなあ。
  • "中心"が空洞になっている東京。都市機能の多核化を図った地方都市。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    前回の「"中心"が存在しない日の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」。予想外の反響に正直驚いた。以前、鞆の浦とポニョの話と京品ホテルの話がYahoo!ニュースにリンクされたときはpv数が1万数千/日になったが、その時とは別種の反応はあった。と共に、はてなのトップページに2日間掲載されるというのはこういうことなのか……と実感できた。"はてな村"の住人たちで、自分たちの住む"都市"って何なんだろう、と漠然とした疑問をお持ちの方が多かったということなんだろう。 内容的には、 日の都市の都市では"核"としての機能が失われたことを指摘 中心性を欠如したままで"コンパクトシティ"なる舶来の発想を持ち込むことに疑問 を中心に展開した*1。また、中心市街地および郊外の是非に対する価値判断には触れないように努めた(つもりだ)。 今日は、日の地方都市の中心市街地が空洞

    "中心"が空洞になっている東京。都市機能の多核化を図った地方都市。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/02/13
    「長期総合計画」からの説明は興味深い。ニュータウンの話もここに入りそう。ただ皇居が「中心」になったのは東京が西に広がったからじゃないかな。あとでなんか書くかも。
  • "中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    というのが、以前、誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月で参考にしたid:Dr-Setonさんのエントリーを読んでの感想。 彼によって最近書かれた「自滅する地方 自滅した浜松 その3 - Dr-Seton’s diary」と「自滅する地方 自滅した浜松 その2」を併せて読むと、 「浜松は郊外型大規模小売店舗によって(katamachi注 中心市街地が?)い尽くされた。」 「郊外化は自治体の財政を圧迫するからだ。インフラ整備を行う面積が拡がればそれだけ必要な経費は増大」 「大規模小売店舗が出店する事で“自治体全体”の固定資産税は減少」 「このような浜松の状況は地元企業「スズキ」と無関係ではありません。」 というお話しである。 日の地方都市というのは60年代までは駅前や繁華街などの従来からの市街地を核とした都市構造を形成してきたが、その後、

    "中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/02/09
    「町に行く」という言い方があるように、日本の都市がもともと中心域を持たなかったわけではないと思う。中心域の求心性が失われたのはやっぱり80年代なんだろうな。
  • そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    3年ぶりに京浜急行電鉄の黄金町駅へ行ってみた。 横浜駅から普通電車で3つ先の黄金町駅。京急の前身の1つである湘南電気鉄道が浦賀・逗子まで開業した1930年、横浜側の仮の起点駅となっていたこともある。その翌年、日ノ出町駅まで開通して横浜駅まで乗り入れを始める。横浜〜黄金町駅間には昭和ヒト桁に敷設された高架橋がそのまま残っていて、往年の面影を偲ばせている。 と、鉄道の話はここまで。 この黄金町。横浜、京浜地区の人たちの間では"別な意味"で有名な場所であった。 実は、黄金町駅から隣の日ノ出町駅にかけて続く高架線の下。この500mほどのエリアは、つい最近まで、売春するスペースを提供する小規模飲店が多数密集していた。いわゆる、「ちょんの間」。昔で言うと「青線」。終戦直後から、ずーっと非合法で売春が行われていたエリアだったのだ。その玄関口が黄金町駅になる。 (以下、今日の内容は18禁。) 黄金町 -

    そして誰もいなくなった京浜急行電鉄黄金町駅高架下の元売春街を歩く - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    usataro
    usataro 2009/02/01
    僕が初めて上京した時の宿泊地がこの地だった。さすがに田舎の高校生だと何にもわかんなかったなあ。
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