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2010年2月11日のブックマーク (5件)

  • ウィキペディアの歴史叙述がひどい2(笑) - 我が九条

    赤松則村のページ。「鎌倉幕府滅亡後の建武の新政では、それまでの播磨国守護職を没収されるなど優遇されなかった事が知られている」 赤松氏のページ。「赤松円心は後醍醐天皇に味方したにもかかわらず、建武の新政で守護国を没収された」 これだと建武の新政で播磨国守護職を没収された、つまり建武の新政以前の鎌倉時代には播磨国守護だったように読めるが、実は違う。そもそも播磨国という「大国」の守護職を赤松氏という得宗との関係も定かではない武士に任せるわけがないではないか(まあ得宗被官かもしれないが、得宗被官であれば守護にはなれないだろう)。 ウィキペディアの「播磨国」のページにに播磨国守護職がまとめられている。それによると「梶原景時→小山朝政→後藤基清→小山朝政→小山長村→小山宗長→北条時宗→北条兼時→六波羅探題北方兼任」となっている。小山長村は北条時輔の義父にあたる。1276年には北条時宗つまり得宗が守護と

    ウィキペディアの歴史叙述がひどい2(笑) - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/02/11
    そもそも赤松が鎌倉期に守護務めるなどありえないし播磨は六波羅管国だし。何でこんなこと書いたんだろ。
  • ウィキペディアの歴史叙述がひどい(笑) - 我が九条

    まあ確認事項だが(笑)(もちろん有用なところは多く、使うには注意が必要である。分かって使う分には非常に便利。しかしあれが通説とか思うとまずい。必ず活字媒体で裏どりをすることをお勧めする。大事な情報がぬけていたり、トンデモな話が記載されていたりする。今は大量の著作権侵害があるようで、ややこしいことになっているようだ。) 亀山天皇の項目。「第6代将軍の宗尊親王が鎌倉から送り返され、代わって惟康親王の下向を要請した」 いや、だから惟康は鎌倉生まれだって。宗尊親王と近衛基平の姉、つまり近衛兼経の娘の宰子との間に生まれたんでしょうが。さらに言えば宰子は北条時頼の猶子となって宗尊親王のもとに嫁いでいる。惟康が鎌倉に下向する余地は全くない。生まれも育ちも完ぺきに鎌倉だ。 惟康親王の項目。「正応2年(1289年)9月、北条氏が将軍の長期在任を嫌い後深草上皇の皇子である久明親王の就任を望んだことから、将軍を

    ウィキペディアの歴史叙述がひどい(笑) - 我が九条
    usataro
    usataro 2010/02/11
    確かに、こういう細部がいい加減だから結局国史大事典とか引いた方が早いんだよなあ。まあ参考程度に。
  • 神話だから問題なのではない - Danas je lep dan.

    まあこれについては何度も言ってきたんで詳しくは書かないけれど。 神話の尊重,大いに結構。だがそれはそれが神話という「物語」であると認知されている限りにおいて,また少なくとも国内の先住民族の神話をも同様に尊重する限りにおいて,だ。 神話に学問的価値はない? そんなのは当たり前だ。だがそれは,ご先祖様がどのように世界を認識していたか,ということを物語るひとつの遺産だ。神武天皇は学問的には実在が怪しい(つーかいるわけがねぇ),しかし神話上では実在する,そういうことでいいじゃないか。教科書に載せて何の問題がある? ただし,これは他の民族(アイヌ,沖縄)のそれも同様に尊重されている限りにおいて通用する言説だ。現行の「建国記念日」は,日は単一民族国家であるとの誤った前提のもとに祝われている。ゆえに僕は,建国記念日の存在を批判する。

    usataro
    usataro 2010/02/11
    神話も当然学術的には価値の高い文献だけれど、神話の近代のある時期の原理主義的解釈をもとに国家が祝うべき日と定めることがどうなの?という問題だと思う。
  • 【主張】建国記念の日 神話が生きる国誇りたい - MSN産経ニュース

    新しい国づくりの地を東方に求め日向国を出た神日磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)は、瀬戸内海を進んで難波、熊野へと至る。 そして大和を平定すると橿原(奈良県)を都に定め、「天地四方に住むすべての者が、一つ屋根の下の大家族のように仲良く暮らそう」という理念に従って天下を治めることとなった。これが「日書紀」に描かれた初代神武天皇の即位の物語である。 明治の新政府は、天皇を中心とした近代国家の建設をめざし、神武即位の「2月11日」を紀元節と定めた。紀元節は先の大戦後に廃止させられたが昭和42年、「建国記念の日」として復活した。今年で44回目を迎える。 世界を見渡してみても、大半の国々は植民地から独立した記念日や、革命の記念日をもって「建国の日」としている。血なまぐさい戦いと引き換えに国家が造りあげられ、王朝の興亡によって歴史は断絶している。日のように連綿と歴史が続き、神話的な物語に基

    usataro
    usataro 2010/02/11
    別に神話なんて生きてないし、こんないい加減な「建国記念」なんて不要。戦前の紀元節へのノスタルジー以上の何者でもない。
  • ゲンダイ的考察日記 血だらけの紙オムツ一枚で取り調べを受けた屈辱は絶対忘れない

    小沢捜査を斬る! 大阪府枚方市元副市長 小堀隆恒氏 東京地検による小沢捜査の狙いのひとつが、「取り調べの可視化」潰しであったことは言うまでもない。足利事件の菅家さんの告発で高まった検察批判をかわすために検察が仕掛けた小沢捜査でもあるのだ。 だが、今日登場の小堀隆恒氏(63)の実体験を聞けば、検察の取り調べがいかに野蛮で過酷かが分かる。 小堀氏は、大阪府枚方(ひらかた)市の副市長だった。濡れ衣の談合事件で逮捕・起訴に巻き込まれたものの、裁判で無罪判決を勝ち取った人である。 私は小沢事件の真相はよく分からない。しかし、政権交代後の初めての通常国会で、まともな政策論議ができない状態をつくり出すほど、重大な事件なのか。検察は当に根拠があるのか。最初から「悪い」と決め付け、その筋書き通りに捜査を進めているのではないか。 自分の体験を振り返るとそう感じざるを得ません。 3年前の平成19年5月31日の

    usataro
    usataro 2010/02/11
    こういうのが事実なら、検察は戦前の体質そのままだと言わざるをえないな。米軍が犯罪容疑者引渡拒否するのも仕方ないかもしれない。