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2010年2月10日のブックマーク (10件)

  • 「孤独死」はそんなに大きな問題か 「いのちを守りたい」連発への違和感、偽善に惑わされまい:日経ビジネスオンライン

    かつて、谷垣現自民党総裁は、「絆(きずな)」を掲げて総裁選を戦った。昨年末には「今年の漢字」として鳩山首相は、まさしく、この「絆」の一字を「私の好きな一字」として選定した。 1月29日、鳩山首相は施政方針演説において「いのち」を連発した。「いのちを大切にする政治」を目指すのだという。 1月31日、NHK番組「無縁社会」が放映された。一人静かに息を引き取る「孤独死」が急増しているのだという。 「きずな」、「いのち」と「縁」、3者にはある共通点がある。 「無縁社会」の背景に流れるもの 1月31日夜、NHKの番組「無縁社会」が放映された。「一人で息を引き取る」イコール「無縁」「悲惨」とくくられていた。 高齢者が一人寂しくひっそり孤独死しているケースが急増している、身元不明の遺体が多く無縁仏として埋葬されている、あなたもそうなるかもしれませんよ、と言わんばかりである。 特に強調されていたのは、離婚

    「孤独死」はそんなに大きな問題か 「いのちを守りたい」連発への違和感、偽善に惑わされまい:日経ビジネスオンライン
    usataro
    usataro 2010/02/10
    死ぬ直前まで供養料を寺に払っていたような人が孤独死で両親の墓にも入れなかったなんて話を見ても「それは本人の自由な自己決定」。番組ちゃんと見てないとしか思えん。
  • 中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ : 金融日記

    アゴラの松徹三さんが日中学受験を批判するエントリーを書いておられた。 今日、日に住んで長くなるイタリア人の友人事をしましたが、彼は、中学を受験しているご子息のことで深刻に悩んでいました。この人はお父さんの代から学者だった教養人で、イタリアで知りあった日人の奥さんは日の某超一流大学の準教授です。そういうご夫婦ですから、息子さんを「中高一貫教育をしてくれる良い中学校」に入れたかったのですが、うまくいっていません。 中略 私の考えは、目の前にいる私の友人の子供である、日伊混血の可哀想な少年のことから、日人の若者全体の将来のことに広がりました。何も知らずに、「塾システム」に象徴されるような「日の奇妙な教育システム」の中にどっぷり漬かっていく日の若者達の方が、実はもっと可哀想なのだと思えてきたのです。 教育の改革は火急の問題 結論からいうとこれはとんでもない思い違いという他ない

    中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ : 金融日記
    usataro
    usataro 2010/02/10
    当時の教え子が頑張ってたのはわかるけど、中学受験なんて所詮ローカルな話。だいたい中学受験でグローバルな人材が育つとでもいうの?
  • 対馬の資料館所蔵の2印章、旧藩主に朝鮮国王発給 : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    県立対馬歴史民俗資料館(対馬市厳原町、阿比留徳生館長)が所蔵している銅製の印章2個が、朝鮮国王から対馬藩主に発給され、対馬藩と朝鮮国との外交文書などに押された「図書(としょ)」であることが分かった。 図書は江戸時代、朝鮮国王が、朝鮮との外交や貿易を担っていた対馬藩に出したもの。同藩は朝鮮国との外交文書や渡航証明書に用い、藩主が死亡したら返還し、新しい藩主に発給されるというしきたりだったとされる。 印面は、2個とも1辺が6・7センチの正方形で、高さは約7・8センチ。取っ手が付いたピラミッド形。13代藩主・宗義章(よしあや)(在位1839〜42年)と14代藩主・宗義和(よしより)(同42〜62年)の名前が彫られている。 この印章は、同資料館収蔵庫で保管されていたが、詳しい調査は行われていなかった。県教委が今年度から3年計画で藩政史料「宗家文書」のうち、未整理だった絵図類や器具類を調べており、慶

  • 豊後森の扇型機関庫、地元住民らが老朽化調査 : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    経済産業省の「近代化産業遺産群」の認定を受けている旧豊後森機関区の扇型機関庫(玖珠町森)の保存に向け、地元住民らが15日、現地で老朽化の状況を確かめた。10月をめどに調査報告書を作成し、所有者の玖珠町に保存を要望する。 調査したのは、地元住民らでつくる豊後森機関庫保存委員会(河野博文会長)や県玖珠土木事務所、県建築士会玖珠支部など。 機関庫は現在のJR久大線が全線開通した1934年に造られた。幅100メートル、高さ8メートル、奥行き22メートル。久大線のほぼ中間点に位置し、機関車12両を収納できた。燃料や水を補給する拠点だったが、列車のディーゼル化に伴い70年に閉鎖された。 町が2005年、JR九州から土地とともに購入。活用方法を検討中だが、外壁や柱の劣化が進んでいる。 この日は約50人が参加し、柱のコンクリートのひび割れなどを目視で確認したり、クレーン車に乗って外壁や屋根を金属製の棒でた

  • 門司の旧料亭「三宜楼」保存へ、市民運動実る : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    usataro
    usataro 2010/02/10
    「三宜楼は1930年(昭和5年)建築の木造3階建てで延べ約1170平方メートル。2階には「百畳間」と呼ばれる舞台付き大広間がある」
  • 南北朝激戦地の居館、土塁・堀・板塀で強固に防護 : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    上毛町教委は15日、同町安雲地区にある古墳〜江戸時代の複合遺跡「安雲山田遺跡」で、豊前国領主・宇都宮一族の南北朝時代(1336〜92年)の居館を強固に防護していたとみられる土塁や堀、板塀などの遺構が出土したと発表した。現在の豊築地域では、南朝方と北朝方が激しい勢力争いを繰り広げており、町教委は「当時の緊張状態を裏付ける貴重な発見」としている。 町教委によると、東九州自動車道建設工事に伴って6月から、遺跡の一部約2300平方メートルを発掘調査し、全長約100メートルのL字形の土塁を確認。青磁器片など一帯の出土品から南北朝時代に造られたことが分かった。このうち約40メートルを詳しく調べたところ、土塁(幅2・7メートル、高さ0・3メートル)の外側に沿って堀(幅2・5メートル、深さ1メートル)が設けられていた。 周囲の地形などから、当時の土塁は高さ1メートルほどで、居館を80〜100メートル四方に

    usataro
    usataro 2010/02/10
    「上毛町教委は」「「安雲山田遺跡」で、豊前国領主・宇都宮一族の南北朝時代の居館を強固に防護していたとみられる土塁や堀、板塀などの遺構が出土したと発表」中世後期の宇都宮の居館跡もあったよな。
  • 和蘭商館の関連施設遺構、平戸沖の横島で確認 : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    usataro
    usataro 2010/02/10
    「17世紀頃の特徴を残す護岸の石積みや防風壁、丸瓦などが確認」「横島には、17世紀初め、帆船に使う綱づくりの作業場や、見張り人の宿舎、家畜小屋、オランダ人墓地など」
  • 久山に中世山岳寺院遺跡 大宰府、中国商人と関係か : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    usataro
    usataro 2010/02/10
    「福岡県久山町の白山で、中世山岳寺院の遺跡が広範囲にわたって確認」「寺院の盛期は12世紀後半~14世紀前半、ほぼ鎌倉時代」「鎌倉期に存続し、廃絶後も改変をほとんど受けないまま遺構が残った」
  • 山鹿・隈部氏館跡、天草・棚底城跡 国史跡指定へ : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    国の文化審議会が15日に文部科学相に答申した国指定史跡に、県内からは、山鹿市菊鹿町の「隈部氏館跡」と天草市倉岳町の「棚底城跡」が選ばれた。県内の史跡選定は36件となり、館跡は初めてという。 隈部氏館跡は、1587年に起きた「肥後の国衆一揆」の主導者、隈部氏の居城。少なくとも16世紀前半には築城されていたとされる。旧菊鹿町教委の発掘調査(1974〜76年)で館の礎石や庭園遺構が出土。地元住民が管理し、同町も一部を公園化するなど、官民あげて国の指定を得られるよう運動していた。 城の歴史が記された書物が複数現存しており、城歴が分かる全国でも数少ない中世の城跡である点が評価されたという。中嶋憲正・山鹿市長は「豊臣政権に対する反骨精神、地域を守る精神を受け継いでいきたい。地域振興のエネルギーにしていく」と話した。 棚底城跡は戦国時代の山城で、岩盤を掘り込んで築かれていたのが特徴。尾根沿いに約340メ

    usataro
    usataro 2010/02/10
    「隈部氏館跡は」「少なくとも16世紀前半には築城」「館の礎石や庭園遺構が出土」「城の歴史が記された書物が複数現存」「棚底城跡は戦国時代の山城で、岩盤を掘り込んで築かれていた」「約2000点の陶磁器」
  • 黒田期の中津城見えた 築城時の石垣確認で、天守存在も判明 : 歴史と文化財 : ニュース特集 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    内堀に面した丸南の石垣。解体修復の結果、破線より下部が築城当初のもので、中央のくぼんだ位置の平面では櫓台跡が確認された 大分県中津市の中津城で行われている丸石垣の修復・復元工事に伴う調査で、黒田如水(孝高(よしたか))が天正16年(1588年)に手がけた築城当初の石垣が広範囲に現存していることがわかった。史料の検討によっても、これまでなかったとされた天守の存在が判明するなど、九州最古の近世城郭の実態が次第に明らかになってきた。 現存する近世城郭の多くは関ヶ原の戦い(1600年)以降に拡張されたか新たに築かれたものだ。豊臣政権期に築城された中津城も、関ヶ原後に城主となった細川氏が大規模な改修を行っている。こうしたことから「中津城には黒田期のものは残っていないと思われていた」(高崎章子・中津市教委文化振興課主査)。 ところが2001年、埋まっていた丸南の堀を掘削したところ、高さが最高で7

    usataro
    usataro 2010/02/10
    「2001年、埋まっていた本丸南の堀を掘削したところ、高さが最高で7メートル、総延長180メートルにわたって野面積みの石垣が現れた」