憲法9条を理想化し、偶像視する言説は数多い。9条は人類の平和思想の理想が体現されている、9条は現代世界の進むべき方向性を提示している、と。現実の「平和憲法」体制は、韓国の徴兵制や沖縄の米軍基地とワンセットだと思うのだが、護憲派からは、「9条を輸出せよ!」という言葉まで聞こえてくる。今の護憲派は、暗黙のうちに、民主党や朝日新聞の軍事的国際貢献路線までも「護憲派」に数えているが、これも、「素晴らしい憲法9条を変えないでくれればそれでよい」という心性があるからである。 とはいえ、私も、「<佐藤優現象>批判」で何度も書いているように、改憲に反対する立場では護憲派と同じだ。ただし、後述するように、それは朝鮮人、一アジア人としてであって、日本人と同じ立場からではない。 さて、私の疑問は、憲法9条とは、もっと散文的なものではないか、ということである。憲法9条は、崇高な平和思想に源流をおくものなのだろうか