ブックマーク / freezing.blog62.fc2.com (64)

  • 坂のある非風景 ジジェク・ノート #15

    時間だけが流れている。もし雲も流れているとしたら、雲は時間だった。 まず為すべきことは、とジジェクは書いている。対立から<みずから>を差し引くことだと。傍観者であるときにこそ、その対立から<わたし>を引いてしまえば、残るのは偽の対立だけである。対立する二項から引かれる第三項がつねにあり、真の対立は、対立する二項と、あらかじめ減算された第三項とのあいだの敵対である。 というわけで、真の敵対を表す数式は<1+1=3>となる。自民民主の敵対と真に対立する「急進的な解放的政治」があり、その第三項は、あらかじめ排除された政治のなかにある。脳死か心臓死かという敵対に真に対立するのは<完全な死>である。 享楽は、即自的には際限がない。名付け得ないものの暗愚な過剰であり…、と別のページに書かれている。その唯一の任務は、みずからの享楽を実現するために、みずからを制限することである。脳内の放埓な享楽のイメージ

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    usaurara 2009/07/21
  • 坂のある非風景 愛なき結婚

    世の中、何十人にもプロポーズされ、結婚後もプロポーズされるようなひとに限って、氷のように冷めた結婚生活を送っている、という例証に出会って、私はじゃっかんの悲しみに暮れている。彼女の代りに、ではなく、彼女が手に入れることのできなかった愛の成就の代りにである。 そもそも伝統的な結婚とちがって、現代の結婚は「愛している」ことが脅迫的につきまといます。伝統的な結婚に要求されるのは、貞節と敬意(あるいは敬意のよそおい)だけで、結婚の結果愛するようになった(ならなかった)としてもそれは偶然の結果で、そこには愛せよという義務はありませんでした。しかし現代的な結婚には、義務として「愛する」ことが要求されます。わたしは結婚し、その結婚が愛に基づくものである以上、わたしは配偶者を愛さなければならない。それは「愛の逆説」ではないでしょうか。現代の結婚は、いまもわたしは配偶者と愛し合っているのだろうか、といった疑

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    usaurara 2009/06/17
  • 坂のある非風景 嘘は愛なのか

    だれかの「雨だわ」という言葉を目にしたり耳にするだけで、もう何週間も雨を見ていない。でもこれは、もうずっと雨に濡れるだけで雨を見ていないと書いてもいい。「また雨なの?」。ちょうどフェリーニの『女の都』のタイトルバックで「またマルチェロなの?」という声が入るが、それと同じ、飽き飽きとした調子で「また雨なの?」と呟いてくれてもいい。どちらにせよ、雨を見ようと見まいと、私はそれによって何も語れない。 そうして、ただ語らぬために語ることによって沈黙に加担せよ、と自分が自分に語りかける夜があり、その沈黙さえ虚偽を語る夜がある。虚偽を語りはじめる夜を愛さなければならない。沈黙のために沈黙することではない。沈黙のために語ることでもない。沈黙のために語るのに、語ることによって語ることそのものを裏切る夜、詩はそこに始まる。 大切なひとに 大小さまざま色とりどり てんこ盛りの嘘をついて 大切なひとを 大切にす

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    usaurara 2009/05/30
  • 坂のある非風景 生としての死、死としての生

    ◇ 私が強く感じるのは、とりわけその人が愛されている場合(その場合に限られるわけではありませんが)、他者の死が告げているのは一つの不在、消失、それぞれの生の終わり、すなわち、(常にただ一つである)世界がある生者に立ち現れる可能性が終わりを迎えてしまった、ということではない、ということです。死がそのたびごとに宣告するのは世界の全面的な終焉、およそ考えられうる世界の完全なる終焉なのです。それはそのたびごとに、ただ一つの――それゆえ、かけがえのない、果てしない――総体である世界の終焉を宣告しているのです。 ■「南無の日記」に、知人の突然の死が報じられている。出会う前から出会っていたふたりは、別れるまえに、いや、出会う前に引き裂かれてしまった。別れをやりなおす(葬儀という儀式)前に、その別れを契機に、出会いをやり直さなければならない関係をそこにみる。 ■死は死に接続する。「なぜ私は今も書いているの

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    usaurara 2009/05/27
  • 坂のある非風景 窓のない部屋

    あちこちにばらばらに書いた清志郎に関するものをまとめて新聞に載せるか次の詩誌の原稿にするかと考えていたが、たいていまとめるとつまらないものになってしまう。まとめてはならない、あるいは集中してはならないということだろう。 ブログの閉鎖について何かつけ加えると、それは自分の窓ではなく、そのブログを読みに来ていた誰かの窓を閉ざしてしまうことだ。そうして自分に向かう窓を閉ざすことによって、媒介的に外に向かう私の窓は閉ざされる。自分の窓を直接閉ざすことはできない。それは、外側から嵌め込まれている。 しかし、それは窓ではない、そんな窓はないと言う権利が私にはある。書く自由、書かない自由といったものはないが、それを宣言する自由だけはある。書けばいい、書かなければいい、それを宣言すればいい。たとえば、私がドストエフスキーを愛していることが、ドストエフスキーにとって無であること、そのように書くことは無であり

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    usaurara 2009/05/15
  • 坂のある非風景 ひとは立ち去っても書物は立ち去らない

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ◇ 当に私を癒したものについて語るのは難しい。それについて語るときは私の傷について語るときだからだ。つまり、痛みは癒されはしたが傷そのものは今も癒えていないということである。失恋であろうと社会的な疎外感であろうと、それを音楽や文学が癒しはしない(傷は傷を与えたものだけが癒す)。ただし痛みは癒す。それとも「痛み」が傷のゆいいつの表現であり、正体なのだろうか。 ドラマ『Dr.HOUSE』に、父親が若い女性と深い関係となるエピソードがある。しかし父親は性的に不能で、彼女との性交渉のために性的興奮をうながす薬を用いる。その薬が、子どもたちに原因不明の病気を発病させるというストーリーだった。ここには何が示されているのか。

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    usaurara 2009/05/07
  • 坂のある非風景 しかし高慢な蝙蝠は高慢な蝶々に似ていない

    あいかわらず日では、「デジタル化を認めると紙のが売れなくなる、そうなると自分たちの存在の基盤が脅かされる」と考える出版社が多いようだが、紙のはすでにデジタル化とは関係なく、売れなくなっている。紙のの流通をここまでメチャクチャにしてしまい、結果的に「紙のだけ」では著作がまともに読者の手元に届かなくしたのは、作家をはじめとする著作権者ではなくて、出版を委託された出版社や、取次会社といった流通ビジネス側の責任である。そのことから目をそらして、自分たちのものでもない著作権について、ああだこうだいう神経が信じられない。 出版社、書店が担う、の「売れる/売れない」という交換価値と、図書館などが担おうとする公共資材としての文化的価値「読まれる/読まれない」といった使用価値が、わが国では悲惨に分離しているということだろうか。その理由は作家の側が「売れる=読まれる」というロマンチックなユートピア

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    usaurara 2009/04/18
  • 坂のある非風景 「なにかとてもいいもの」の背後にあるもの

    というわけで、とある雨上がりの道で、そのひとはわざわざをぬいではだしで水たまりをわたったというのだが、汚れるということがそのひとの美しさを際立たせる、そんなお洒落なことを、とわたしは思ったものだ。そのひとは、いったいなにを私が愛するかを知っていたのである。 そして、あっと思った 私が釣ったのは 母が死の前日までしきりに探し廻っていた帽子ではなかったか 鳥なら鳥の とぶことの能の不足を 空がたえず空のどこかで補うように 夢は夢 あれはジェノサイドを傍観した帽子だったと 言ってしまえればいいのだけれど 釣りで思わず釣ってしまった帽子(という夢?)によって、その帽子の由来、歴史、意味を問わなければならなくなる。必要としたものだけを私は引きよせ釣り針にかける。無意味なものがない、それが夢の必然なのだから。棄てようにも棄てられない異物として、その帽子は私の一部にくいこんでいる。帽子は知っている、

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    usaurara 2009/04/08
  • 坂のある非風景 語れないことの彼方へ

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com どこからも直線だけが伸びているわけではなく、その直線に沿って歩くわけでもないし、その直線を横切ったわけでもない。直線に沿って歩いたときは、かならず目的から遠ざかったときだったし、横切ってだいぶ歩いたと思って振り返ると、今もその線に沿って立っていることに気づかされる。 ハイデガーのナチスへの加担の問題は、存在論と存在の違いの問題だった。現存在が人間として開示されるのは現実を引き受けるその覚悟によっている。転落しなければならない。そんな存在論的な問いのなかにあれば、資主義と全体主義が同じものに見えるのは当然だった。ハイデガーは全体主義を資主義の必然的な帰結と考えた。彼はただ現実からの逃避を憎んだのである。 それは

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    usaurara 2009/04/01
  • 坂のある非風景 それまでの女をすべて含む女

    隆明を介して出会う吉隆明 JAP on the blog(09/06) その亡霊、その模倣 miya blog(08/22) 中上健次は語る 南無の日記(08/11) ブランショを月明かりにして歩く 愛と苦悩の日記(01/21) 作品は過大評価を求めつづける 青藍山研鑽通信(12/01) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない M’s Library(11/09) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない(11/07) 停滞すべき現在さえ 斜向かいの巣箱(10/22) 東京旅行記 #4 azul sangriento(09/23) 東京旅行記 #1 南無の日記(09/21)

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    usaurara 2009/03/23
  • 坂のある非風景 仮想化を拒むものと向かい合おう

    武田百合子の『富士日記』から日記の書き方でも学べるだろうかと考えたあなた、それはおおきな間違い。だれもが魅了される日記である理由は、たしかに武田百合子の個性によっているわけだが、個性とはけっきょく書かれたものから逆向きに仮想された「結果」にすぎない。それこそが、書かれたものの原因でありながら、書かれたものの結果として到達することしかできないもの、<原因-結果>と呼ばれるものであり、その結果である原因からもう一度書かれたものが読み返されるわけである。 「アキビン」は、そのてっていてき(ひらがなが似合うと思う)に非アンプリファイな「楽器」とハプニング的な体制(狙ってはいないのだとしても)からして、音の最後のひびきかたまでのコントロールは放棄せずにいられない、というか、あえて言うと不完全な音響のほうに場面を引き寄せて補完させる。対して「室内」は、完全に自分たちの音のテクスチャーを響き方・消え入り

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    usaurara 2009/03/20
  • 坂のある非風景 引き裂かれる普遍あるいは不可能なもの

    『方丈記』に好きな条りがあります。「古京はすでに荒れて 新都はいまだ成らず ありとしある人はみな浮雲の思ひをなせり」 やれ進歩だ開明だチェンジだ、国際化だグローバルだと叫びながら、日人の精神の根っこは、この千年意固地で卑屈のまんま、過渡期を迎え続けているような気がします。それに比べれば、百年に一度の恐慌も軽いし、政府要人の不始末など鴻毛と同じです。 この浮雲のよるべなさが、『侃侃』13号の井上瑞貴さん(福岡県前原市)の作品「階段を降りてくるやさしさ」にうまく滲んでいます。 「乾いた西風が雪雲を運ぶ/書きかけの手紙と読みかけのをならべて/雪もないのに/灯りの消えた窓辺でとなって/雪に気づく夜を待つ/点滅のように/だれかのやさしさが階段を降りてくる」 書きかけの手紙や読みかけの、あるいは届かない言葉、まさに中途というか宙ぶらりんの浮雲ならぬ雪雲の世界です。となってかろうじて作者が待っ

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    usaurara 2009/03/12
  • 坂のある非風景 ジジェク・ノート #12

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com 知性なんてひとつの飾りにすぎないが、情熱さえここでは飾りのようだ。むろん飾りでいいのだ。過剰なのものと過少なものだけが目を引き、それらは不穏な寡黙となり、不穏な饒舌として立ち現れ、私たちを追い越してゆく。追い越してゆけばいいのだ。言葉はつねに何かを指しているが、言葉そのものを指す言葉はない、これが言葉に惹かれる理由かもしれない。 メタ読み、といったものがあり、メタ読み批判といったものがあるようだが、それでも何かについて語っているだけである。メタ読み批判は<ヘーゲル批判>として知られているものの反復、再上演だが、そうして小銭に崩され、亡霊となってまでヘーゲルは生きつづけなければならないのか。死してすべてのひとに忘れ

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    usaurara 2009/02/27
  • 坂のある非風景 道は断崖と絶壁によって挟み撃ちにされている

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com わたしたちは、わたしたちに死を書き込むために言葉を選択したのである。この「言葉」という部分をシステムといいかえてみれば、これはちょうど、村上春樹のエルサレム賞受賞講演の中の「システム」を「記号」に置きかえてみよといった内田樹と同じことを、ただ逆向きに行っているだけである。内田樹の村上春樹への過大な評価は、読みかえの技術の妙にあったが、それを称えることは村上春樹の講演を称えることにはきっとならない。 そこで、僕たちひとりひとりはかけがえのない魂を内包した壊れやすい「卵」であり、その卵の側に立つという使命感と、それに敵対する壁としての<システム>の物語がはじまる。何が打倒されるべきなのか、システムである。何が守られる

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    usaurara 2009/02/24
  • 坂のある非風景 こんなに濡れているのに誰にも触れない雨粒について

    けれども、その時、太宰君は茹で蟹はつついたものの、サイダーばかり飲んでいて、尠しも酒を口にしようとはしなかった。そして、時々座敷から姿を消した。檀君は、太宰は奥でパビナールを注射しているのですよと、僕たちに説明した。なるほど、そういえば、太宰君が座敷に戻ってくると、ぽッと頬が赧らんでいて、暫くは見違えるように饒舌になっていた。すると、そのうち、また元気がなくなり、注射に立つという風であった。 読み終えてみれば『燈火頬杖』は印象に残る書物となった。引用したが、<「晩年」時代の太宰治>はあまりよくない部類の随筆で、太宰の生活苦が薬の購入の故だったこと、その後、みんなに強制的に入院させられ薬物中毒が治癒したこと、檀一雄が、もうすぐ太宰は死ぬので『晩年』は売れますよと売り込みに来た話(それを真に受けたわけではないが浅見淵が太宰の処女作『晩年』を出版した)など、太宰のエピソードがここに並ぶ。 この随

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    usaurara 2009/02/22
  • 坂のある非風景 手話で語られた愛のように降る雨に濡れながら

    「見えないつながり」で言及してしていただいた三上さんのエントリ、「一人の散歩のペースがつかめない」を読むと、マイペースというものが他者との関係によってできあがることがよくわかる。マイペースなんて存在しない、他者の速度に蹂躙されよ、といったことをこれまで何度もエントリにしてきたが、速度は時間と距離の出会いである。そして時間と距離は、他者だけが私に押し付けることができる何かだった。 関係は時間と距離によって微分される。共に暮すもの同士には「会いたい」という思いは不可能な思いになる。しかしもし共に暮すもの同士がお互いに向かって「会いたい」という思いを持つとしたら、彼らは異なる時間と遠い距離を共有していることになる。異なる時間と遠い距離、それが現代の人間関係が押し付けてくるもっともありふれた基底であり、それが私たちの速度を作り出しているように思う。遠い距離÷異なる時間。孤独とはまったく無関係な広場

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    usaurara 2009/02/12
  • 坂のある非風景 ユートピアの交替劇

    ファシズムが共産主義の描いたユートピアの挫折、崩壊によるユートピア交替劇だった、といった歴史の読みを思い出すが、戦後左翼の無様さの揺り戻しが、村上春樹だったというとき、戦後左翼の見せた未来、ユートピアなんてたいした希望じゃなかった、そんなふうにも感じられる。「"村上春樹"的なるもの」とは、ユートピアの喪失が、喪失そのものの状態でみたされ、癒される時代の登場を象徴しているのだろうか。 諦念の深さ、失望の大きさが裏切られた希望の大きさを明るみに出す。しかしそれは通常は別のもので補完されてしまうだろう。村上春樹の(登場人物の)お洒落なナルシシズムは、他者へのニヒリズムを見事に補完するものだった。ニヒリズムで共鳴するものを、ナルシシズムが癒しつづける。他者(世界)へのニヒリズムで共鳴し合うふたりが、お互いの絶望によって愛し合うといった可能性も、むしろそれだけが愛の可能性であるかのように、ここに開か

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    usaurara 2009/02/06
  • 坂のある非風景 車窓から雨にけむる平野を見ること

    福岡平野から筑後平野、そして熊平野へと列車ははしり、ぼくはてっきり、筑後平野ではなく佐賀平野という名だと思っていた、思っていたのだが、車窓からは雨の佐賀平野が広がっていた。雨の佐賀平野には雨しかない。 私は「リレーつばめ」という列車に乗っている。これは新幹線の「つばめ」に新八代駅でリレーするといわれているが、私はリレー地点までたどりついたことがない。つまり新八代駅も新幹線「つばめ」も見たことがない。リレーされてゆく長い継続した時間のほんの一齣を車窓から眺めやれば、そこはいつも雨(以外に何もない雨)だった。 冷静といふものは無感動ぢやなくて、俺にとつては感動だ。苦痛だ。しかし俺の生きる道は、その冷静で自分の肉体や自分の生活が滅びてゆくのを見てゐることだ 浅見淵によると、梶井基次郎の部屋の壁には「新しき樹木は皆刈られたり 朔太郎」と書かれた半折が額に入って掛っていた。この時代、彼らの手を通っ

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    usaurara 2009/02/06
  • 坂のある非風景 幼きもの病む、哀れなり

    表題は浅見淵の『燈火頬杖』から「青野さんの白足袋」と題された随筆にある、青野李吉の日記からの引用である。隠し子が病気になった際に、青野李吉は誰について書いているのかわからないように日記につけていた。この「青野さんの白足袋」が、何について書かかれているのかというと、彼が愛人との間に四人の子どもをもうけ、それを子どものなかった夫人に二十年もの間秘密にしていた、という話である。愛人が亡くなったあと、青野さんは子どもたちを引き取る。そこへ突然疎開先から引き揚げてきて、談笑する「見も知らぬ自分の家族」と夫人は対面するのである。 それ以来、青野さんが亡くなるまで、青野さんと夫人との間の深刻な不和は溶けなかった。(略)これにつけても、よくもそんなに長い間夫人に気取られなかったものだ。一方、完全犯罪はもう少しで達成されるところだったので、それが破れたことは惜しい気もされる。 興味位にプライバシーを暴露し

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    usaurara 2009/01/23
  • 坂のある非風景

    太陽は夜に存在できないゆいいつの星であると書かれていたはずツイッターの誰かのプロフィールを追って走ったがすぐに息が切れて見失った。私は前にむかって追ったが、それはすぐ背後に立っていたかもしれない。 大きな板ガラスを運ぶ軽トラックをときどき見かける。ガラスが割れる季節になったのである。その人も、けっきょく最後まで一枚のガラス越しに愛したにすぎないし、そのガラスが砕かれるような季節はついに私たちには訪れなかった。 波を消すために海を離れよう。 なぜ自分の内部の空を自由に飛び回っている鳥は、自分の外では地べたを這いずりまわっているのですかと問われた気がした。遠い昔だったら、なぜ自分が確信している観念の重さは、外から見ればただの軽石なのでしょうか、そういう問いだった。幻想は、私自身を生贄にすることによって軽さも重さも手に入れる。しかし外部には生贄がないのです。 ほんとうに私たちの願望を支えている基

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    usaurara 2009/01/19