『見たくない表現に触れない権利』なんてものを強調したら、どんな世界が訪れるか、想像したらわからんもんかね。そういう想像力って、知性のレベルとしてそんなに高い要求ですかね。
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個人的にはたわわという作品はキモイと思ってます。 なので作品批判をしたりとか嫌悪感を表明したり、広告で見たくないっていう人の気持ちはわかるしそれをただお気持ちとして表明するのはいいと思うんですよ。 個人的には、巨乳を「たわわ」と形容する80's的ダサさ(そこが好まれてるのかも知れないが)を脇に置くとしても、どうも自分はああいう「微エロ」がダメなんだよな。半端で物足りないし、エロならもっと安全なところで心ゆくまで楽しみたいと思ってしまう。微エロの良さを解せない不粋ではあるのだが。— すずもと (@aruto250) 2022年4月6日 幼児に多いイメージだけど、食べ物の味が混ざるのが苦手という人がいるよ な。自分はあれに近いのかもしれない。エロはある程度ハッキリと一定の強度がないとダメだ。重層的な玄妙を感じ取れない子供舌なのだ。あとはエロモードになっている自分を人目に晒すことに抵抗がある気の
日経新聞に掲載されたコミックの全面広告『月曜日のたわわ』については、SNSを中心に多くの批判的意見が出され、またその批判に対する反論という形でも多くの投稿がなされています。 『月曜日のたわわ』について繰り広げられる論争 直接的な裸体表現はないものの、未成年を含む女性に対して間接的に性的な視線を向けるという作品のコンセプトをめぐってのもので、ここ数年のSNSの論争で繰り返されてきたテーマのひとつと言っていいかもしれません。 フィクション表現に対して、プロの批評家だけではなく、アマチュアを含めた多くの人が自分の意見を述べられるようになったことは、社会にとって良いことだと思います。 フィクション表現は多くの場合、書き手と読者の欲望を含んでいます。その欲望に対して、「その欲望は自分のものではない」「その欲望は自分を傷つける」と表明することがある意味では他者からの批評、批判になります。 しかしそれは
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