タグ

ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (9)

  • 「童貞を殺す服」雑感 - ohnosakiko’s blog

    この数年、仕事先の地方の芸術大学でよく見かけるファッション。美術学部でも音楽学部でも見られる。 (微妙にデッサン狂ってる。左の人が多い印象) パステルカラーでパフスリーブのシフォンみたいなブラウス、薄くてヒラヒラしたミニスカート、長めフレアスカート、レースのソックス‥‥。少し前のロリータやメイド服の流れから?というかアイドルやアニメの影響?‥‥と思っていたが、こういうのが「童貞を殺す服」なのか? 「童貞を殺す服」のブランドを集めてみた - あめ姫は友達が少ない 大学内では、上の記事に掲載されているのほどコスプレ感のある人はほとんどいないが、そういう雰囲気をうすーく漂わせた甘いレトロな感じのファッションの女子はかなり多い。三人に一人くらいはいそう。 大学生の姪は、MILKが好きだと言っていた。彼女の場合、パンキッシュなスタイルから回り回ってガーリーに来たという感じ。 去年久しぶりに会った時、

    「童貞を殺す服」雑感 - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2015/07/10
    “あの手のロリ服は、私(1959年生まれ)の子どもの頃のよそゆきだった。60年代前半、5歳頃。”
  • ヌードクロッキー - ohnosakiko’s blog

    女の裸、男の裸 デザイン専門学校の授業で、なぜかヌード・クロッキーがある。 女性の裸を描くという西欧の長い美術の歴史は、ジェンダー的な観点からいろいろ問題も指摘されているが、それがそのまま日の芸術教育にも受け継がれ、専門学校のカリキュラムにまで登場しているわけである。 男も同じように描けばよいではないか? でも男のヌードを描いたり作ったりするケースは、女に比べて非常に少ない。そういうことに疑義を呈してか、美大では受験時に男性(短パン穿いてる)を描かせるところもあったりする。しかし大学では女性のヌードを描いたり作ったりしていることが、圧倒的に多い。 高校が美術科だったので、学校にはモデルさんがよく来ていた。やはり女性オンリー。 高三の夏休みに受けた予備校の夏期講習でも、女性のヌードモデルが来た。学校で描き慣れているので、平気だ。しかし普通科から来ている男子は、見るからに緊張していた。 そり

    ヌードクロッキー - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2015/04/04
    知らない分野なので興味深い話。モデルに女性が多いのは何か理由があるのだろうか?
  • 自分の文章が入試問題に使われること - ohnosakiko’s blog

    センター試験の国語に「クソリプ」「パクツイ」問題 著者「俺が正解できるのか」 - ねとらぼ 上のタイトルだけ読んで一瞬「センター試験の問題に、クソリプとかパクツイという単語を散りばめたテキストが採用されたのか、すごいな」と思ったらそうではなく、佐々木敦氏の『未知との遭遇』(筑摩書房)の中のツイッターについて論じられている箇所からの引用で、そこにツイッター・ジャーゴンである「クソリプ」や「パクツイ」に相当する事例が出されているということだった。 ↓問題文 大学入試センター試験 | 解答速報2015 | 予備校の東進 問2で思わず笑ってしまった。『教えて君』と『教えてあげる君』の関係を記述した5つの文から正解を選ぶのだが、「これを作った人、それぞれ具体的な例を思い浮かべていたでしょ」と思えて仕方ない。いや絶対そうだ。試験会場で笑いをかみ殺した受験生もいたのでは。 著者の佐々木氏は自身の文章が掲

    自分の文章が入試問題に使われること - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2015/01/19
    設問への回答がストレート過ぎて笑った。入試の文章読解は実際の筆者の感想よりも、『どの部分に筆者の主張が含まれているかを探し出す』のがメインだからなぁ。
  • 高学歴女子が新・専業主婦を目指す時代 - ohnosakiko’s blog

    かつて斎藤美奈子は『モダンガール論』の中でこう言った。「女の子には出世の道が二つある。立派な職業人になることと、立派な家庭人になること。職業的な達成(労働市場で自分を高く売ること)と家庭的な幸福(結婚市場で自分を高く売ること)は、女性の場合、どっちも「出世」なのである」。 「立派な職業人」とは古い言葉で言えばキャリアウーマン、「立派な家庭人」とはここでは、上昇婚で果たされるゆとりある専業主婦を指す。このが出たのは2000年。今でもこの命題は有効なのだろうか。 少なくとも高学歴女子に関しては、まず何をおいても「立派な職業人」になり「職業的達成」を果たすのが生きる道だという認識が持たれてきた。高い学歴の中で身につけた専門知識と技術を武器にキャリアアップし、結婚しても仕事をやめず家事・子育ては夫と完全分担。実現できるのはごく一部の人だとしても、結婚を志向する高学歴女子の目指すべき「理想」のライ

    高学歴女子が新・専業主婦を目指す時代 - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2014/03/06
    高給な仕事につくのも経済力ある夫に出会って専業主婦になるのも勝ち組だよ。どちらにもなれず働く女性は両方から叩かれる。世知辛い。
  • 野蛮な食べ方 - ohnosakiko’s blog

    30歳を過ぎるまで、カラスミというものをべたことがなかった。そういう珍味が世の中にあることも知らなかった。 結婚して数年経った頃、お歳暮かなんかで九州の人からカラスミを頂いた。 「なにこれ」 「カラスミ。ボラの卵巣を塩漬けにしたやつ。ったことないか」 「ない」 「酒のあてに最高だぞ」 「へえー(ワクワク)」。 薄くスライスして皿に並べた。見たとこ奈良漬けそっくりだ。なんかパッとしないべ物だね。しかし一切れ齧ってみると‥‥ナニコレウマイ! 日酒を飲みながら「おいしいねー」と喜んでカラスミを口に放り込んでいたら、「おいおい」と夫に咎められた。 「そうパクパクうなて。奈良漬けじゃないんだから。これ、幾らするか知ってるか」 「知らない」 「五千円はする」 「えっ、そんなに」 「チビリチビリとべるもんなの、こういうのは。パクパクうもんじゃないの」 そうなんだ。 滋賀の人から鮒寿司が送ら

    野蛮な食べ方 - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2014/01/22
    「別にいいじゃねーか!好きに食わせろ!」という心情が見えるが、読後感が良かったのは最後の『自分もチビチビ食べるようになった』の段落のせいだろうか。
  • 「偉い男」ほど厄介なことになる - ohnosakiko’s blog

    父が入居している有料老人ホームの、介護士の人に聞いた話である。 「施設に入って認知症が急速に進むのは、女性より男性です。その中でも多いのが、会社の社長さんとか学校の先生。社会的には「偉い立場」で、ずっとこれまで自分が指図する側で来た人ですね。それが、環境が変わって人から看てもらうようになった時、気持ち的に自分の立場を受け入れられなくて、おかしくなってしまう」。 そうでしょうとも‥‥と、父を見ていて思った。 社長さんはどうなのか知らないが、教師は現在、大昔に言われたような「偉い人」ではない。「先生」が「先生」というだけで一応尊敬の眼差しで見られた時代は、とうに過ぎ去った。でも今、老人ホームにいる人は「先生がまだ偉かった時代」を生きてきた人である。89歳の父はまさにその典型だろう。 高校教師を長年勤め、頭のてっぺんから足の先までガチガチの先生気質だった父。家族の上にも父親兼教師として君臨してき

    「偉い男」ほど厄介なことになる - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2013/11/23
    統計データがないからあくまでも個人の例でしかないが、これから先はこういう事例が増えるのだろうか。それとも、偉くない男性が増えて、もっとコミュニケーションが活発になるのだろうか。
  • 「お世話になっております」の世界 - ohnosakiko’s blog

    仕事のメールの冒頭に必ず「お世話になっております」とつけるのは、何故なんだろう。 世事に疎い私だが、最初にそのメールをもらったのは、非常勤で行っている私立学校の教務からの事務連絡だった。こちらはその学校に講師として雇われている、つまり「どちらかというと、こちらがお世話になっている」という感覚があったので、少し戸惑った。 たとえば生徒の親が講師に「お世話になっております」と言うことはあっても、学校側が講師にそれを言うのは変じゃないか? 私は労働力を提供して報酬を貰っているのであって、別に学校を「お世話」したことはないわけだし。 そう思っていたところ、別の勤務先の常勤講師の人から電話があった。その人も冒頭で「いつもお世話になっております。◯◯校の△△です」と言った。私は急いで「こちらこそお世話になっております」と返した。 常勤講師は組織に属する人だから、この場合は学校を代表して喋っているのだろ

    「お世話になっております」の世界 - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2013/11/14
    “要は「一緒に仕事をしている間、利害関係がある間の儀礼的挨拶」ということなのだ”
  • 「やり方」を教えること - ohnosakiko’s blog

    上のトークイベント告知記事を挙げてネットを巡回していたら、とても関連する内容の記事がブックマークを集めていた。 「好きに書きなさい」はタイミングによっては最悪。:島国大和のド畜生 読書感想文で、絵画で、自由研究で、基的なやり方を教えず『自由にやりなさい』と命じるのは、マイナスが大きい。 それは「ほっといても出来る奴を選ぶやり方」であって、それぞれをそれなりのスタートラインに立たせる為の教育では無いのではないか。 作文や美術(図画工作)や自由研究課題でモヤモヤした思い出のある人は多いようで、ブックマークコメントも興味深い。数年に一回くらい、こうした話題をネットで見る。2008年に非常にブクマを集めて話題になっていたのは、この記事だ。 もっと、学校でテクニックを教えてくれればよかったのに - Hatelabo::AnonymousDiary この中の図工の問題については、拙書に書いたので少し

    「やり方」を教えること - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2013/10/30
    この手の問題、高い確率で「教員は無能だから期待しても無駄。諦めて今まで通り国語や美術嫌いを増やそう」って話になるのはなんでだ?
  • 子どもの「美術離れ」と大人の「信仰」 - ohnosakiko’s blog

    くらしナビ・学ぶ:美術離れ、い止めたい 武蔵野美大、公立小中の出張授業 - 毎日jp(毎日新聞)より 子供の「美術離れ」が懸念(けねん)されている。学力低下が指摘される中、昨年度から完全実施された中学の学習指導要領で、美術や音楽の選択教科が廃止され授業時数が減ったためだ。とはいえ、保護者も芸術よりも学習を重視する傾向にある。国内有数の美術大「武蔵野美術大」(武蔵美、東京都小平市)は「美術だからこそできる教育がある」と、学生や卒業生の出張授業に力を入れている。 多摩美もだいぶ前から、こういう出張授業の取り組みをしていたと思う。学校側も、「外注」した方が子どもを刺激できると考えているのかもしれない。 しかし少なくとも中学校においては、受験科目にない美術・音楽にいずれしわ寄せが来ることは、「ゆとり教育」が終わった時目に見えていたのではないかと思う。生徒にとって美術はほとんど息抜き、”癒しの時間

    子どもの「美術離れ」と大人の「信仰」 - ohnosakiko’s blog
    uturi
    uturi 2013/07/18
    「自由にやれ」と言い続けたら、みんな型にはまった作品しか作れなくなった国語教育に似ている。
  • 1