京セラ、KDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫氏。そんな稲盛氏もかつては、入試や就職に失敗し、会社でも評価されないなど、不運の連続でした。なぜ人生を好転させることができたのか。稲盛氏は「『人間として何が正しいのか』を心の座標軸にすえたからだ」といいます。そうした「稲盛哲学」が生まれた経緯とは――(全3回)。 ※以下は稲盛和夫『活きる力』(プレジデント社)からの抜粋です。 考え方を変えるまで不運の連続だった私の人生 私は、1932年、鹿児島市に7人兄弟の次男として生まれました。当時、父は印刷業を営んでおり、戦前ではありましたが、比較的恵まれた家庭でした。しかし、第二次世界大戦を境に、私の運命は大きく変わっていきます。 終戦の1年前にあたる1944年に旧制鹿児島一中の入学試験を受け、見事に落ちる。翌年また受けて、また失敗する。 さらに、終戦の直前に結核にかかり、まだ13歳だった
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