<kin-gon> ベラルーシのルカシェンコ大統領は気にも留めないだろうが、国連の人権担当者によると、かの国の人権状況は「破滅的」である。 「人権に対する責任が欠如し、侵害を受ける者やその家族は恐怖に支配されている」「政治的動機での訴追や判決が急増している」。国連人権理事会のマラン特別報告者は先日、こう批判した。 「欧州最後の独裁国家」と呼ばれ、政治的動機で訴追・拘束されている者は1500人以上。不当な逮捕は2020年以降、1日平均17件になっているという。
![金言:ベラルーシとの共通点=小倉孝保 | 毎日新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d1651dff23a822627da6cb36a4b4905625ddb20a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2021%2F03%2F20%2F20210320hpr00m070005000q%2F0c10.jpg%3F1)
<kin-gon> ソ連が1991年に崩壊すると、ウクライナは期せずして米露に次ぐ核大国になった。ソ連がウクライナ国内に大量の核兵器を置いていたためだ。ウクライナにあった核弾頭は当時1240発。英国が冷戦期に保有していた「核」の2倍以上だ。 それでもウクライナは核保有の道を選ばなかった。チェルノブイリ原発事故の影響から、国民に核アレルギーがあった。ウクライナ議会はソ連崩壊の前年、「受け入れない、作らない、手に入れない」の非核三原則を宣言している。ただ、政府や軍には「核を手放して、自国の安全を守れるか」との懸念もあった。 ソ連崩壊で、核の拡散を懸念する米英露はウクライナに放棄を求めた。ブダペストで94年、全欧安保協力会議の首脳会議が開かれる。ここで米英露は「ウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証する」という覚書を交わす。ウクライナが全ての核をロシアに移送したのは96年である。 冷戦終結(
キリスト教用の教誨(きょうかい)室の祭壇には十字架やろうそく、聖書などが並ぶ=東京都葛飾区の東京拘置所で2012年10月4日、須賀川理撮影 昨年12月、日本で2年ぶりに死刑が執行された。死刑廃止が世界の流れとなる中、国際社会からは批判も強い。神戸連続児童殺傷事件(1997年)の弁護団長を務めた野口善國弁護士(兵庫県弁護士会)はかつて、刑務官として執行に立ち会った。情報公開レベルの低い日本の死刑状況にあって、野口さんの証言は貴重だ。【小倉孝保】 野口さんは70年、東京大学を卒業して東京拘置所の刑務官となった。翌年暮れ、執行を告げられたばかりの死刑囚を受け持った。 当時、執行は前日の朝、拘置所長から本人に告知されていた。それが終わるとすぐ、死刑囚を特別な部屋に移動(転房)させ、常時警備担当者が監視する。転房先は4階の一室。普段はその階全体が使われていなかった。 拘置所が執行決定を家族に連絡する
<kin-gon> 戦後、日本の主権回復と国際社会復帰を決めたサンフランシスコ講和会議は70年前の1951年9月に開かれた。日本と連合国51カ国の代表が出席し、演説で自国の考えや姿勢を順次、主張する。 日本を勇気づけたのが、セイロン(現スリランカ)のジャヤワルダナ全権だった。「憎悪は憎悪によってやむことなく、慈愛によってやむ」。彼は仏陀(ぶっだ)の教えを引き、日本への賠償請求権を放棄すると明らかにした。さらに、アジアの人々は日本の独立を求めていると述べ、「植民地として(欧米の)従属的地位にあったアジアの国民は、日本に深い尊敬を抱いている。アジアの中で日本のみが強く、自由だった」と語った。 セイロンは19世紀初め、英国の植民地下に置かれ、英連邦内自治領となったのは48年。スリランカとして完全独立したのは72年である。その6年後、ジャヤワルダナは大統領となる。
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