元ダイエー投手が創設 小学校低学年なら月4回1万800円 独立リーグ時代の根鈴 Photo By スポニチ 根鈴の所属するルーツ・ベースボールアカデミーは元ダイエー(現ソフトバンク)投手の養父(ようふ)鉄(41)が5年前に創設。養父自身は投手を中心にコーチしている。 授業料は月4回で1万800円(小学生低学年)~2万5920円(中学生投手強化クラス)。根鈴担当の個人打撃指導は30分4000円~90分1万1000円。通常の学習塾やスイミングスクールの料金体系に近い。 注意点は養父も根鈴もプロ経験者のため、学生野球協会傘下の選手(高校野球や大学野球の選手)は指導を受けられない。NPB出身者は規定の研修会を受ければ高校野球の指導者になれるが、NPBの枠外にいた根鈴はその研修すら受けられないという。「本当なら高校生にも教えたいんですけどね」と残念そうだった。
東都大学リーグ2部の国士舘大・永田昌弘監督(56)が今月限りで退任し、新監督に、元オリックスの辻俊哉コーチ(35)が就任することが8日、分かった。 今秋のリーグ戦は5勝8敗の勝ち点1で2部5位に終わり、1部昇格を逃した。10年秋を最後に1部から遠ざかり、元プロ監督の下で、再スタートを切る。辻新監督は甲府工(山梨)-国士舘大を経て、01年ドラフト5位でロッテに入団。06年にトレードでオリックスに移籍した。現役時代は強打の捕手として活躍し、プロ通算12年間で178試合に出場した。13年に引退後は、すぐに学生野球資格を回復し、4月から同大のコーチに就任。東都大学リーグ1部では、元中日の秋田秀幸監督(59)が中大の監督を務め、1部、2部の現職では、2人目の元プロ監督誕生になる。
巨人などで投手として活躍した桑田真澄氏(46)が、東京6大学リーグの東大の特別コーチを退任することが5日、分かった。東大関係者によると、今年限りで学生野球の指導資格がなくなるためで、12月31日付で退く予定。 桑田氏は2013年1月に特別コーチに就任。その後、同年7月にプロ経験者が学生野球の指導者になるための新制度が施行され、研修を受けて資格を回復する必要が生じたが、既に大学の特別コーチなどに就任していた場合は1年間の猶予が設けられた。桑田氏が来年以降も指導を続けるには研修を受ける必要があるが、同氏は昨年度に続き、本年度も受講する意思がないという。東大は今秋のリーグ戦も白星がなく、リーグワーストの連敗記録が86(2分けを含む)に伸びた。
京大・田中プロ宣言!ドラフト指名確実 拡大 「関西学生野球、関大4‐3京大」(6日、ほっと) 京大のプロ注目右腕・田中英祐投手(4年・白陵)が6日、ほっともっとフィールド神戸での関大戦に登板後、「プロ志望届を出そうと思います」とプロ志望を表明した。実現すれば、史上初の京大出身、旧帝大でも東大以外で初のプロ野球選手となる。試合では、177球の粘投で延長12回を9安打3失点と力投した。 その表情は、晴れ晴れとしていた。「開幕前から決めていました。プロ志望届は準備ができ次第出します。もう少し野球をやりたいです」。田中は、高らかに宣言した。 京大初のプロ野球選手。究極の文武両道とも言える挑戦に「僕は野球エリートではない。野球も勉強も両方頑張ってきた。自分と同じような境遇の人に投げている姿を見てほしい」と、最速149キロ右腕は言葉を強めた。 「プロ」の2文字を現実的に意識した瞬間があった。先月23日
史上初の京大出身プロ野球選手が誕生なるか。プロ注目の最速149キロ右腕、京大のエース田中英祐投手(4年)が6日、プロ入り希望を明らかにした。ほっともっと神戸で関西学生リーグの関大戦に登板。先発し延長12回を3失点と力投した後「プロ志望届を出そうと思います」と話した。 最終的に決断したのは、阪神2軍と交流戦で対戦した8月23日。6失点ながら7回を投げたことで決意を固めた。同30日に両親に打ち明けた際は「地獄を見てこい、と言われた」という。「僕と同じ境遇の人が何かを感じてくれれば。どれだけ通用するか、(京大出身者として)道を開けたらいい」と意気込みを語った。田中は京大の投手としては新リーグ結成以降、最多の通算7勝をマーク。卒業後の進路が注目されていた。 ◆田中英祐(たなか・えいすけ)1992年(平4)4月2日、兵庫県生まれ。米田西小4年から野球を始め、白陵中で投手に転向。白陵高では2年夏に兵庫
戦後最大級の未解決事件である下山事件の発生から、明日で65年が経つ。これは1949年(昭和24)7月5日、国鉄総裁の下山定則が都内で行方不明となり、翌日未明になって常磐線の綾瀬駅付近の線路上で轢死体となって発見されたという事件だ。 その前月に公共企業体・日本国有鉄道として運輸省から独立したばかりだった国鉄では、9万5千人もの職員の削減が予定されており、労働組合と国鉄当局が激しく対立していた。それだけに、人員整理の責任者たる下山の死は国鉄内外に衝撃を与え、さまざまな憶測を呼んだ。その死因からして、自殺か他殺かで捜査当局・ジャーナリズム・法医学界は大きく二分されることになる。警視庁は翌年1月に自殺説を濃厚に臭わせる捜査最終報告書を発表したものの、明言は避けたまま早くも捜査本部を解散した。刑事事件としては15年後の1964年に時効が成立、真相はいまもって謎である。 ■国鉄球団がセ・リーグに加盟し
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