演奏家が練習を通して「なるほどね〜」といった感じで曲に感心する力を持つことは大事なこと。 たとえそれが作曲としてわずかな工夫であって、音楽を聴いた聴衆にはほとんど気が付かないようなレベルであっても、そういうことに丹念に気を付けている作曲家の姿を意識することによって、必ず演奏にもいい効果が現れると期待できます。 今回は、合唱で複数声部がどのような相関関係を持っているか、ということをいくつか挙げて、楽譜を深く読む取っ掛かりを探ってみようと思います。 1.反行 ある声部が上がっているときに、ある声部が真反対に下がっているような音形です。 ほとんどの場合、これは作曲家が意識的にやっているはずです。 これも上がる方が順次進行なら、下がる方も順次進行、というように上げ下げの具合が同じほど反行であることが明瞭になります。 なぜ、作曲家が反行する声部を書こうと思うのか、いろいろな理由が考えられます。 一つ
合唱の醍醐味の一つは、みんなで感動的な歌を歌うことにあります。 大自然の壮大さを表現した音楽、悠久の歴史を表現した音楽、大切な人との死別をテーマにした音楽、戦争や災害などを扱った人間ドラマ、こういったテキストを感動的に歌い上げることは、自分の人生においても大切な経験になることは間違いありません。 感動的な音楽を大人数で歌い上げれば圧倒的な高揚感が得られますが、感受性が豊か過ぎる人にはあまりに心を揺さぶられ過ぎて、演奏の舞台の上でも歌えなくなるくらい、こみ上げてくる場合があります。私もずいぶんそういう経験をしてきました。 感受性の強さは人によって違いますから、むしろ音楽作りはより多くの人を感動させる方向に向かっていきます。感動的な作品は、それ故になるべく多くの人を感動させるべく、より派手で高揚感の高い音楽を志向することになります。 それを首尾よく行なえば、多くの人々の心に残る演奏会になること
芸術で何が大事かと問われれば、私なら創造性と答えます。 ところが、ほとんどの芸術愛好家はアマチュアであり、音楽でいえば、アマチュア演奏家の演奏レベルは一般的には高くはなく、日々プロのような演奏技術に向かって精進を重ね、プロと同じような演奏が出来るように努力をしています。 このような態度は、良い手本に向かって自分をそれに近づけようとする行為に繋がり、独自であることを追求する創造性と根本的なところで矛盾を引き起こします。 このような表現をすると、技術的に鍛錬することと創造性は矛盾しない、と言われる方もいるかもしれません。ただ、文脈にもよりますが、私は精神論を述べるつもりは無いし、技術論とオリジナリティが不可分であることも理解しています。 それでも、アマチュアであるほど、技術指向であり、硬直的なあるべき論を招くことが多いように感じてしまうのです。 また、一般的にはオリジナリティを追求しようとする
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く