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研究者に関するwata300のブックマーク (2)

  • 「勉強ができる」のと「研究者に向いている」のとは全く違う - 武蔵野日記

    先日読んだの紹介。iPS細胞の山中さんと理論物理の益川さんの対談。 「大発見」の思考法 (文春新書) 作者: 山中 伸弥,益川 敏英出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/01/19メディア: 新書購入: 11人 クリック: 211回この商品を含むブログ (31件) を見る単なる対談かと思ったが、さにあらず。特に山中さんが研究で苦労されていて屈していたときの話とか、アメリカでの生活(そして帰ってきてからの生活の落差)とか、インターンのとき「ジャマナカ」と呼ばれていて邪魔者扱いされていたエピソードとか、iPS細胞の発見で注目を浴びるまで、決して平坦な道のりではない研究生活を赤裸々に語ってらして、大いに参考になる。益川さんのシニカルな意見もおもしろい。このお二人の組み合わせ、絶妙ですばらしい。 特に印象に残っているのは "秀才病" の研究者、というくだり。 益川 今、山中先生のも

    「勉強ができる」のと「研究者に向いている」のとは全く違う - 武蔵野日記
    wata300
    wata300 2011/04/03
    《頭がよくて目端がきくだけの奴は、流行の問題をいち早く理解して、チャカチャカッと論文を書いたりする。》《結局、器用貧乏でしかないんです。僕は「秀才病」と呼んでいる。》
  • なぜ私は研究者を辞めなかったのか - Take a Risk:林岳彦の研究メモ

    あけましておめでとうございます。今日は新年からちょっとウェットな内容というか、「私はなぜ研究者を辞めなかったのか」について書き留めておきたいと思いました。いや「誰得」な話なんですけれども。 端的にいうと「辞める勇気がなかった」 自分のここまでのキャリアをざっくり振り返ると、修士のときに同年代の同業者のトップ集団の水準から出遅れて、博士課程でもその差は埋まらずに、ポスドク時代にさらに引き離された、という冷たい感覚の中で研究を続けてきました*1。 なので、博士課程の末期からポスドク時代は常に「私は来ならば研究者を辞めるべきだ」という思いをずっと抱えながら生きていました。研究者として生き残るための「勝ち目」がまったく見えない状態でずっと研究を続けてきたわけです。 それでもなぜ私は研究者を辞めなかったかというと、端的にいうと「辞める勇気がなかった」からです。 研究者を辞めることは怖い 研究者を辞

    なぜ私は研究者を辞めなかったのか - Take a Risk:林岳彦の研究メモ
    wata300
    wata300 2011/01/29
    《「夢を諦めなかった」といえば格好がつくかもしれませんが、それは事実とは異なります。「私は本来ならば研究者を辞めるべきだ」とずっと思いながら、単に辞める勇気がなかったのです。》
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