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ブックマーク / noon.serio.jp (13)

  • 失われた矜持のエピタフ (セックスなんてくそくらえ)

    今夜も私はいつものように東京の町全体が見渡せる都内某所の高層ビルの一角で夜をまたいで仕事をしている。誰にとっても仕事が必要であるように、noon75にとってもべていくためのライスワークである仕事があり、締め切りがあり、納品物があり、そして作品のクオリティを保つために必要な努力とノウハウがあり、そして最前線で生きていくための知恵があり、やや古い言葉を使えばプロの矜持というものがある。 書くことのプロとは何かという多元的な問いがあるが、それはむろんどのようなジャンルにおいてプロなのかという問いかけに収斂されるだろう。たとえばライターとして生きるということは誰の口にも優しい離乳を書くということであり、詩人として生きるとは誰の舌にも毒となりうる野蛮な言葉をまき散らすことであり、小説家として生きるということはある世界の姿をありのままに描き嘘で読者をだます不誠実な誠実さを獲得することである。 それ

    watapoco
    watapoco 2007/06/14
    久々に読んだが面白い。今週末読もう
  • 知性なき「はてな」(2)―乞食より貧しいはてなブックマーカーたちの精神 (セックスなんてくそくらえ)

    あるブログの書き手のあまりにひどい言語障害、そしてそのようなブロガーが書き捨てるエントリに盲目的に追従する、頭が悪いとしかいいようがない数多くの読者の姿。 この二つが渾然一体となってかもしだす、なんともいえない雰囲気こそが、ブロゴスフィアという人生劇場の醍醐味であり、その舞台で日々行われる悲喜劇を、軽いめまいと頭痛を覚えつつ眺めるということが、私たち現代に生きるものの楽しみである、と言えないこともないだろう。 そしてそのような光景は日常茶飯事である。 さて、日私noon75が皆さんにご紹介したいと思うのは、次のようなブログである。 不謹慎な箱男: ホームレスになってみよう。 世に曰く 「乞は三日やったらやめられない。」 らしい。 そいつが当かどうか試してみてぇ! ということで、6/7~6/9にかけて新宿において2泊3日のホームレス生活をやってみた。 そしてこの人物は、事にも

    watapoco
    watapoco 2007/06/14
    実はちょっとアレっと思ったからブクマしなかったんだけどね。
  • 笹塚兄妹心中ランチ (セックスなんてくそくらえ)

    ペッパーランチの店長が店で女性を強姦したニュースに関する記事をいろいろ読んでいたのだが、このニュースに限らず毎日のように繰り返される性犯罪のニュースを見ていると、昔フィリピンで終戦を知らずに生き延びてずっとジャングルに潜んでいたある日人兵士が、「戦争はまた起こるのでしょうか?」という質問を生還後にされたとき、「平和とは、戦争の間の短い休止期間のことなのです」と答えたエピソードのことを思い出す。つまりおかしな男が性犯罪を犯すのではなく、そもそも男とは暴力によってしか性行為を行うことができない生き物であり、男と女の間にある断絶は暴力をふるうものとふるわれるものという差異なのではないのかという視点がなければ、この世界の姿はよく見えないのではないか。したり顔して常識と道徳を語る女達も、自分は暴力とは無縁の生活を送っていると考える顔の青い男達も、ある倒錯した関係性の中にあり、それは暴力を何か外在的

    watapoco
    watapoco 2007/05/22
    「男と女の間にある断絶は暴力をふるうものとふるわれるものという差異なのではないのか 」同感。
  • 鏡に映らない女たち、リサ・ノワクと三橋歌織 (セックスなんてくそくらえ)

    前回のエントリに引き続きアメリカ事件の話から始めようと思うが、リサ・ノワクというNASAの現役宇宙飛行士が、恋敵を殺害しようとして失敗し、現行犯で逮捕されたニュースをいくつかの海外紙で読んだ。ノワクの事件が起きたのは先日私が書いたアンナ・ニコルの死亡事件とちょうど同時期だったため、元プレイメイトの死について調べていた私は、ほぼ偶然の結果としてノワクのニュースもウォッチすることになった。その恋敵の話というのはこんな感じである。いわくノワクは、一緒に宇宙に行く訓練を受けていたある男性飛行士と「精神的な信頼関係」を育んでいた(おそらくそれは事実なのだろうと推測される)。さて非常にありきたりな展開で恐縮だが、その関係の中にノワクよりも若く美しいキャリア女性が横から入ってきたらしい。男性のほうはそのキャリア女性と恋に落ちたらしいのだが、そのあたりははっきりせず、ひょっとしたらそれはノワクの妄想なの

    watapoco
    watapoco 2007/03/09
    女性特有のどろっとした犯罪ってあるけど、その例としてこの2例が適しているとは思わない。いつか読み方が変わるかもしれないのでブクマ。
  • 人殺しの血 (セックスなんてくそくらえ)

    あなたは人を殺したことがあるだろうか? 稿はこのありふれた問いから始まる。私noon75は人殺しの孫である。この話を母から聞いたのは私が十八歳の頃のことだった。しかし私がそれで良心の呵責に苦しめられたとか、罪の意識を感じたとか、孫として贖罪しなければならないとか、そういった世間という狭い社会が求めるチープで、凡庸で、退屈な道徳話と私のブログというものは縁がないことは、皆さんご存知の通りであり、まさにそのとおり若かった私は特に何も感じなかった。ただ母が言うことだから事実なのだろうと思った。例えば殺生というものは我々が毎日やっていることであり、例えば菜の花が咲き乱れる野原を歩けばそのの下では何匹もの虫や蛙や小さな生き物を踏み殺しているのである。それが生きるということであり、人か動物なのかという生物学的な違いは質的には些細なことである。人だから特別というのは人間が作ったフィクションであり、

    watapoco
    watapoco 2007/01/17
    胸糞悪い。という正直な感想を述べておく。
  • ブログにおける腰抜けの5つの特徴 (セックスなんてくそくらえ)

    現実でも似たようなことが言えるはずだが、基的にはギャラリーの視線によって勝敗が決するブロゴスフィアでは、自分がいかに腰抜けではないか、いかに勇気があって、いかに知性のある人間かということを、常に読者にアピールする必要があり、なぜかというと読者と言うものはバカであり、マヌケであり、エントリの最初の一行だけを読んでコメントする輩が全体の99.99パーセントを占めるからである。 またこのような他人の視線にさらされるブログにおいて、腰抜けでフヌケでヘニャチンで小心者な人々は、自分の腰抜けぶりをさらけ出しては生きていけないのであって、ナイーブで繊細でセンシティブでワンダフルな感性を持っている彼らは、自衛のために様々な逃げ道と言うものを考案し、つまり自分が腰抜けではないかのように見せかけるために、様々なテクニックを駆使して今日も平凡な日々を過ごしているようである。 ざっとブログを見渡した限りでは、次

    watapoco
    watapoco 2006/12/18
    「面目を失わずに上手に生きていく方法だけが価値あるものとみなされるブロゴスフィアは退屈」全くだ、とタイトルしか見ないで言及することもあるバカな読者は思う。
  • 恋愛不要論 (セックスなんてくそくらえ)

    恋愛をしたがる人々というものはどこにでもいる。なぜか。それは恋愛することが価値であり、生きる目的であるかのように吹聴する文学、メディアが存在し、かつ恋愛という幻想装置を構築し、空中に色とりどりの絵空事を描くことにより、金を稼いで飯をべていこうとする多くの広告屋がおり、作家がおり、テレビ屋がおり、フリーライターがいるからである。むろん、そのこと自体は悪いことでもなんでもなく、人間は飯のために生き、貨幣にまみれて生きるのが宿命であるのだから、至極当然なことである。ここで批判しなければいけないのはその幻想の在り処であり、何が我々をしてそのような嘘を信じさせているのかということである。 男と女の間にあるのはセックスを介在とした見えない関係性だけであり、これを貨幣に置き換え可視化したのがいわゆる買春である。セックスブロガーである僕が買春をそのテーマにしている理由はつまり男と女の不毛な関係性を語るた

    watapoco
    watapoco 2006/12/17
    「男と女の間にあるのはセックスを介在とした見えない関係性だけ」納得。でも正に「恋に落ちた」としか言いようがない時があってそういうのを創作に活かす人がいるのは何か分かる
  • やらせてくれる女には飯を奢るのは当然 (セックスなんてくそくらえ)

    男はなぜ女に飯を奢るか。なぜこんな簡単な質問に悩む多くの人間がいるのだろうか。女は股を開き、男はそれにカネを払う。そこに何も不健全なことはなく、まったくもって当然なことである。 先日たまたま銀座の歌舞伎座で「出刃打お玉」を見る機会があった。売春婦に助けられてあだ討ちを成し遂げる侍の話である。僕が驚いたのは、女を買うということが至極当然のこととして表現の中に取り入れられていたことである。買春は別に騒ぐようなことでもなんでもないはずなのに、それについて語ることがあたかもスキャンダラスな何かであるかのように語られる現在日の状況というのは非常に不可思議マカ不思議であり、少なくともかつての日においては、現在のように買春行為を自分探しツールとして過剰に祭り上げたり、または汚れたものとして過剰に無視したりといった、まるで女にモテたことがない男たちが考えたような女に対する幻想に支配された陰気で柔弱でヘ

    watapoco
    watapoco 2006/12/03
    さすがにそれは基本として議論してると思っていた。それ以外の事情で飲むことが多いから皆困っている訳で。
  • ブログ七つの大罪 (セックスなんてくそくらえ)

    ブログにおける七つの罪、あるいはブロゴスフィアの愚かさと罪を体現している七人のブロガーたちについて、僕は語ってみたいと思う。幼く、若く、男を知らない処女のようなウブなインターネットの中で、まともにものを考えるということはどういうことか。たやすくセミプロライター同士の派閥争いの道具として利用され、自称ジャーナリストたちの野心を実現する広告塔となり、性欲をもてあます男たちの女を買うための売春ツールに堕してしまう、まったく自分がしていることに無自覚な、無邪気で純粋なブロゴスフィアのために、僕は書いてみたいと思う。 だがしかし、これは僕らがいつか来た道だ。僕らの愚かさはさほど変わっておらず、新しい技術によって僕たちの姿が変わったかのように誤解するのはさらにバカバカしいことである。ブログ七つの罪。傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴、色欲と一般的に呼ばれる七つの罪についていま考えることは、かつて来た

    watapoco
    watapoco 2006/11/27
    finalventさんのとこが良かった。ここは結構な批判になっていると思うけど…
  • ステージの前の回想 (セックスなんてくそくらえ)

    watapoco
    watapoco 2006/11/27
    ダンスやってたのでこういう人を何人も見てきてる。
  • アイ・ヘイト・ジーザス (セックスなんてくそくらえ)

    子供が生まれたとき、僕は病院にいた。 確か季節は6月の梅雨の最中で、湿った空気が朝の家の居間に満ちていた。僕がクリーニングから返ってきたばかりのスーツを着ながら職場に出かける準備をしていると、台所にいた妊娠10ヶ月の腹をかかえてうずくまったのだった。 破水したことはすぐにわかった。僕は震える手で、あらかじめ調べておいた電話番号に電話してタクシーをすぐに呼び、毛布とバスタオルでの体を包み、タクシーを待った。と二人でタクシーを待つ間、僕の頭の中は奇妙に冷静で、職場にいつ遅れると電話すべきかどうか考えていた。 やがてタクシーがやってきて、を抱きかかえるようにして車に乗り込ませる。一番近い近所のキリスト教系の総合病院の名前を告げると、車は曇天の下走りだした。うめき声を上げると並んで座っていると、運転手が明朗な声で話し掛けてくる。大丈夫ですよ、私なんて5回も出産に立ち会いましたけど

  • 「女性ブロガーに告白されました」の狂気 (セックスなんてくそくらえ)

    たまに女性ブロガーから理解不能のコメントが届く。  会ったこともなく、言葉を交わしたことすらなく、セックスもしたこともない女性からのメッセージである。 ネットで文章を書いている、身元不明、性別不詳、職業無職かもしれない自称男性ブロガーに熱烈なコメントを一方的に送りつける輩というものがいて、それはしばしば女性であるように思うのだが、なぜそういう主張をするかというと僕には、男性ブロガーがある女性ブロガーに恋文を送りつけたとか、そういうことは寡聞にして一度も聞いたことがないのであって、あるとすれはどちらかというと嫌がらせとして、やらせろ、だの、まんこを見せろ、などというのだが、男たちはそれを好きな女のスカートをめくるような遠い憧憬の念を持ってやるのであって、女性ブロガーのような直球勝負の熱烈さというものは、まず男には真似できないものだと思われる。ある意味、その思い込みの激しさというものは、ほ

    watapoco
    watapoco 2006/11/24
    んー?俺にそんなにのめり込むなら接触出来るように連絡先教えろってネタでしょ、これ。
  • デートにジーンズを履いてくる女を愛さない理由 (セックスなんてくそくらえ)

    ジーンズという土方の作業着をデートに着てくることは、ますます多様化する社会の一つの形式として認められるべきものなのかもしれないと思わないことはないが、例えばつまりインド女と付き合っていればサリーを許容しなければならないという言い方も可能であるし、「ありのままの自分、飾らない自分」といった三流大衆紙にありがちなコピーを無邪気にそのまま鵜呑みにし、「当の自分」が存在すると思ってしまっている数多くの愚かな人々にとって、ジーンズという服を着て「ありのままの」自分を演出したがるウブで世間知らずな女たちという存在は、こういったセックス体験も少ない愚かな人々が女に対して抱く幻想をほどよく満たしてくれる、まったくもって都合のよい存在なのだろうなと思われるが、現代の日社会においてこれから付き合おうとしている、あるいは付き合って間もない男と女の関係性において、女のためにまともな事の場所を準備しようと様々

    watapoco
    watapoco 2006/11/18
    漸くちゃんと読んだ。で、やっぱり何じゃこりゃって思った。ジーンズをありのままとか言っちゃう時点でアレなんだよなあ。下半身を緊張させているというのに。スカートのがずっと楽ですよ。
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