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ブックマーク / massneko.hatenablog.com (45)

  • 酒列磯前神社・磯崎東古墳群 茨城県ひたちなか市磯崎町 - 墳丘からの眺め

    前回エントリの東海村での講演会の前に、ひたちなか海浜鉄道沿いの古墳をいくつか訪ねた。 最初に向かったのは、酒列磯前(さかつらいそざき)神社。以前に川子塚古墳を訪ねた折、当神社の社叢に墳丘があることを何かで見た覚えがあったので。 常磐線特急「ひたち1号」に乗って、水戸の次の勝田駅で下車。 改札を出ずに、上りホームの脇が乗り換え口。 20分ほど待って一両編成が到着。 途中の那珂湊駅では、ホームで野菜の販売が行われていた。 なかなかの人気。道の駅ではなくて”駅の駅”? 那珂湊駅の構内には、お休み中の車両もいくつか。 終点の一つ手前の「磯崎」で下車。こちらのほうが神社に近そうだったので。 磯崎のロゴには、さつまいもの絵が入っているが、どの駅も個性的なデザインで見ているだけで楽しかった。 常磐大学の小佐原孝幸氏が手掛けたようだ。 http://www.g-mark.org/award/describ

    酒列磯前神社・磯崎東古墳群 茨城県ひたちなか市磯崎町 - 墳丘からの眺め
    watto
    watto 2020/02/20
    「道の駅ではなくて”駅の駅”?」すみません、ここに反応しました (^_^; よく考えると「道の "駅"」の "駅" が、リアルの駅と微妙に違うんですよね。
  • 末吉宮跡 沖縄県那覇市首里末吉町 - 墳丘からの眺め

    沖縄滞在最終日は、首里城の北から南へ、アップダウンの多いルートを歩いてみた(写真多めです) 最初に目指したのは末吉宮跡。 ゆいレールで首里へ向かう際、首里駅の手前左手に広がる緑のエリアが気になっていた。 「市民病院駅」で降りてホームからそのエリアを見る。朝8時前。 ホームの端から那覇方向。かなりの急こう配。 駅を出て、歩道橋の上から。 安謝川が流れる谷へ一旦降りる。 あたりは住宅地。 安謝川にかかる橋を渡る。橋から上流方向。 住宅街を適当に歩いていくと公園入口が。 末吉宮跡へ上がる道を探して遊歩道を上がっていく。振り返った先にモノレールの軌道。 玉城朝薫生誕300年記念碑があった。「組踊」の創始者だそう。 https://www.naha-contentsdb.jp/spot/520 そのすぐ西側に、丘上への石段があった。 石段の先は古道の趣。 案内表示が無く、グーグルマップにも示されない

    末吉宮跡 沖縄県那覇市首里末吉町 - 墳丘からの眺め
    watto
    watto 2020/02/13
    石垣をくぐるアーチのトンネルって、ヨーロッパあたりでは見かけそうな気がするけど実は難度かなり高くて、その証拠(?)にヤマト(本土)の城郭ではあまり見た記憶がないのだけど、どういうルートで伝播したのだろう?
  • 那覇行き 2020年1月 - 墳丘からの眺め

    1月中旬に那覇に行く機会があったので、そのときの様子を。 羽田から搭乗して進行方向右側の車窓。横浜港がよく見えた。 駿河湾上空にて。海岸線は田子の浦。 雪は中腹まで。 そこから西は雲の上だった。 那覇空港からは「ゆいれーる」乗車。雨が降っていた。 首里駅から先は昨年10月に延伸されたばかり。 カーブと高低差が続いていて、前面展望は見飽きない。 終着駅の「てだこ浦西」手前でトンネルに入る。 てだこ(太陽の子)浦西駅。ホームの先にトンネルが口を開けている。 その反対側の行き止まり部分。 帰路、「経塚」駅での車窓。ラッピング車両なので外が見えづらいが、一戸建て市街地のような墓地があった。 「おもろまち」駅で降りて、県立博物館の特別展「グスク・ぐすく・城 動乱の時代に生み出された遺産」を見る。 博物館の建物もグスク的。 吹き抜けホールは華やか。 企画展では県内各地のグスクについて、映像やジオラマ、

    那覇行き 2020年1月 - 墳丘からの眺め
    watto
    watto 2020/02/09
    ゆいレール! いつか必ず乗るリストに追加ぶくま。つか沖縄そろそろ行かなきゃ。
  • 「森村泰昌 エゴオブスクラ 東京2020 さまよえるニッポンの私」展 @原美術館・品川 - 墳丘からの眺め

    2020年12月末に建物老朽化により閉館する原美術館へ、最後から4つ目の企画展を見に行った。 門前を改めて見ると敷石も作品(by 平塚健一)だった。 https://www.kenrock.com/ 常緑の緑。 冬の日差しが壁に。 とてもモダンなエントランス。 元の個人邸宅・原邦造邸は、渡辺仁の設計により1938年に竣工した。 小さな白いタイルが外壁を覆う。 ガラスと鉄格子の玄関。 玄関側から見ると細い大理石柱。 外側から車寄せを。 下記のサイトに竣工当時の写真があるが、樹々の変化がダイナミック。 https://bijutsutecho.com/magazine/insight/19057 1月25日より森村泰昌展が開催されている。 あたたかな光が差し込む最初の展示室。 2階吹き抜けで、”室内ベランダ”もある。 最初の展示。 続く部屋には大作3点と、その構成物。 「美の巨人たち」でも放送

    「森村泰昌 エゴオブスクラ 東京2020 さまよえるニッポンの私」展 @原美術館・品川 - 墳丘からの眺め
    watto
    watto 2020/02/06
    個人邸宅大好きなのでメインの企画展もよかったですが、山手線の先頭車窓が乗り鉄のケがあるもんで興奮しました! いつか自分でもやってみたいのでぶくま。
  • 発掘された日本列島2019展 @江戸東京博物館・両国 - 墳丘からの眺め

    毎年楽しみにしている「発掘された日列島展」が今年も6月1日から始まった。 6月2日の日曜日、9時半の開館と同時に入館。 日で毎年約8千件超実施される発掘調査から近年の特に注目された出土品を見せる展覧会で、「国民が埋蔵文化財に親しみ、その保護の重要性に関する理解を深める」ことを目的に平成7年から開始され今年で第25回目。 自分は2013年からで今年が7回目。2013年には仁徳天皇陵から出土した女子や馬の埴輪が展示されていた。 2019年の出品遺跡の一覧。時代や地域が偏らないように選ばれている模様。 今年のメインステージは古墳時代。 一つ目は岡山市の金蔵山(かなくらやま)古墳の埴輪。 解説によれば、岡山市の金蔵山古墳は4世紀後半(古墳時代前期末~中期初頭)の墳長約160mの前方後円墳。4世紀までの古墳では近畿を除けば西日最大規模。 このたび前方部の発掘調査が行われ、くびれ部付近で新たに「

    発掘された日本列島2019展 @江戸東京博物館・両国 - 墳丘からの眺め
    watto
    watto 2019/06/05
    あれ? 福島県の浜通りにも遺跡があり古代から現代まで連綿と続く暮らしがあることを、どうして指摘されるまで意識しなかったのだろう…?
  • とうてい山古墳 愛知県西尾市東幡豆町下側内 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき、12月上旬の西三河古墳旅の最終回。 吉良吉田駅から名鉄蒲郡線、ワンマンの2両編成に乗車。後ろの車両はドアが開かないのでしばらく他に人がいなかった。 ときどき南側に三河湾を見ながら田園地帯を進む。こちらは後面展望。 そのまま乗れば豊橋停車のひかりに乗れたが、まだ陽があったので、もう一ヶ所、古墳探訪をするために、東幡豆(ひがしはず)駅で下車した。 駅から近いということも、その”決断”を後押しした。 ただし、グーグルマップの雰囲気は正しいアプローチを示していないようだった。 東幡豆小学校のすぐ北で国道247号に出ると、向かい側に標柱が! 標柱がなければ民家の入口にしか見えない。 少し入ると、別の標柱。 そこを上がるとさらに別の標柱。 矢印の方向を見てみると・・・ 結構草深い。 その先でまた標柱を見つけてほっとするも・・・ 竹薮のトンネルはすでに暗かった。 そこを抜けると、生け垣とベ

    とうてい山古墳 愛知県西尾市東幡豆町下側内 - 墳丘からの眺め
    watto
    watto 2019/01/01
    長旅お疲れ様でした。愛知県民なのに知らないところばかりでした。愛知県が古墳大国(大県?)だということだけは、さすがにちらっと知っていましたが。
  • 比蘇山古墳(桜井神社) 木造薬師如来座像 愛知県安城市桜井町桜林 - 墳丘からの眺め

    前回の、二子古墳の南東端の細道を150mほど南に進むと、桜井神社が墳頂に載る比蘇山(ひそやま)古墳に出る。 右が神社境内だが、歩いてきた細道をそのまま左に行ってみた。 木立の中に土盛りが見える。 なかなかの高さ。 ここはくびれ部か? 墳丘上の桜井神社に参拝。 拝殿の後ろを見てみる。 墳頂いっぱいに殿の基礎が載っていた。 拝殿から参道方向。燈籠の先に比高差1.5mほどの石段がある。ここが前方部? 反対側(神社の西側~しかし東側かも?)から見た墳丘。 神社の西側は緩く窪んだ谷状になっていた。右が桜井神社。 左奥の竹薮にも山伏塚古墳という直径7mほどの円墳があったようだが見落としてしまった。 安城市教育委員会が発行した「桜井古墳群保存管理計画書」の比蘇山(ひそやま)古墳遺跡の項では、墳形は”前方後円(方)墳か”とあり、前方後方墳の可能性も示唆されていた。 「資料編 桜井町の古墳」にて、桜井神社

    比蘇山古墳(桜井神社) 木造薬師如来座像 愛知県安城市桜井町桜林 - 墳丘からの眺め
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    watto 2018/12/24
    愛知周辺の神仏分離のユルさは以前から気になっていたが、境内にこれほど立派な仏像がある神社の存在は知らなかった!
  • 新芝運河 竹芝橋~香取橋 - 墳丘からの眺め

    前々回のつづき。 旧協働会館の外観を見学後、旧海岸通りを南に進むと桜のきれいな竹芝橋に出た。 芝離宮恩師公園で見た、御衣黄さくらも植わっていた。 黄緑色というのは、葉のようで花のようで不思議な印象だった。 橋から北東側。 南西側の新芝運河。 運河沿いの遊歩道にガス灯があった。 ちゃんとマントルで光っている。 銀座で見た時は非常なレア感があったが、こんなに並ぶ場所があったとは。 銀座ガス灯通りのガス燈 - 墳丘からの眺め 竹芝橋を遊歩道から。 橋下の壁への反射がきれいだった。 遊歩道の先の銅像。近づいたときは逆光だったので物の人に見えた。 遊歩道にあった案内地図。 運河の十字路。正面は鹿島橋。 天王洲アイルのマンション群とモノレール。 モノレールを真下から。 田町駅南側の大型再開発、TGMM芝浦プロジェクトが進行中。36階と31階のツインタワーを中心とした東京ガス・三井不動産・三菱地所によ

    新芝運河 竹芝橋~香取橋 - 墳丘からの眺め
    watto
    watto 2017/04/30
    連続1000日更新おめでとうございます&お疲れ様です。これは偉業だ!
  • 七輿山古墳 群馬県藤岡市上落合 - 墳丘からの眺め

    今回からは群馬県。4/14に藤岡市、沼田市、吉岡町の3ヶ所の古墳群を探訪した。 一番見たかったのは初めに訪れた藤岡市の七輿山(ななこしやま)古墳。 4年前の夏に行った国史跡だが、昇寛さんのサイト・埼群古墳館別館: 古墳探訪記群馬を目にして、桜の時期に再訪したいと思っていた。 車であれば上信越自動車道・藤岡ICを降りて10分ほどの距離で、無料の駐車場もある。 休息所を兼ねた「七輿の門展示館」の側から。 左が後円部、右が前方部となる。 説明板があった。 国指定史跡 七輿山古墳 所在地:藤岡市上落合831-1ほか 所有者:国・藤岡市 指定日:昭和2年6月14日 追加指定:平成8年9月26日 古墳は、鏑川と鮎川に形成された舌状の河岸段丘に造られた三段築成の前方後円墳である。大きさは全長145m、後円部径87m、前方部幅106m、前方部と後円部の高さは16mを計る。 4回にわたる確認調査の結果、中堤

    七輿山古墳 群馬県藤岡市上落合 - 墳丘からの眺め
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    watto 2017/04/21
    古墳の時代はソメイヨシノなんかなかったのにと思いながら見ていたら、思ったことが最後の方に書いてあった。
  • 新町館(三宅家住宅)~路地~伊賀坂 東京都文京区白山 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 お七の墓のある円乗寺からは、門の前の道を南へ進んだ。 途中に残っていた立派な煉瓦塀。 道がクランク状に突き当たるところに登録有形文化財となっている昭和前期の建物があった。 新町館(三宅家住宅文化遺産オンライン 東京都 昭和前/1926-1988 鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建,建築面積57㎡ 1棟 東京都文京区白山1-29-5 登録年月日:19980902 登録有形文化財(建造物) 住宅兼法律事務所として建てられ、工事中に関東大震災に遭う。鉄筋コンクリート造陸屋根住宅の初期のもの。箱形の容器に縦長の開口部を穿ち、北面に玄関ポーチ、南面にベイウィンドウを設ける。ドイツ壁の仕上げとし、軒下にトリグリフ状の飾りを付ける。 ポーチの部分。 新町館の少し手前、住宅の間に気になる細道があった。 入っていくと左が開けて児童公園が現われた(白山一丁目児童遊園) さらに下って路地が

    新町館(三宅家住宅)~路地~伊賀坂 東京都文京区白山 - 墳丘からの眺め
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    watto 2017/03/21
    [google:山門不幸] 知りませんでした。検索しました。
  • 神田界隈の寺社とモダン建築・4 一口太田姫神社~淡路坂~湯島聖堂~相生坂~昌平坂 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 ワテラスから御茶ノ水駅へ。外堀通りの東側にも平日朝の出口専用の臨時改札口がある。日立製作所社への通勤客向けとして作られたものか。 上り・下りのホームの東端から階段で上った出口。 たまたまここを通りかかった時、数人のグループを連れた案内ガイドの方がいらして、よく通る声での話を横で聞くことができた。改札横の木に、鳥の巣箱のように取り付けられているのは太田姫稲荷神社の元宮だった。 現在は御茶ノ水駅から南に400mほど、坂を降りたあたりに鎮座する太田姫稲荷神社がもともとあった場所。昭和初期に総武線を通す工事でここから移転したそうだ。 一口と書いて「いもあらい」と読むことを知った。 一口(いもあらい)太田姫神社 一口である太田姫神社は江戸城外濠(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田川を開削した時 江戸城の結界また鬼門の護り神として旧江戸城(現皇居)よりこの地に移された。 昭和

    神田界隈の寺社とモダン建築・4 一口太田姫神社~淡路坂~湯島聖堂~相生坂~昌平坂 - 墳丘からの眺め
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    watto 2017/03/05
    そゆえば湯島聖堂にはどうやって参拝すればいいんだろうと疑問を感じて検索したら、いろんな説が出てきて興味深かった。
  • 泉岳寺 赤穂義士墓所 東京都港区高輪 - 墳丘からの眺め

    少し前、昨年11月に訪ねた高輪の泉岳寺。 情報が多くてまとめきれずに下書きのままとしていたが、忘れないうちに。 都営浅草線の泉岳寺駅、A2の出口から150mでお寺の入口がある。 天保7年(1836)に再建された中門。元来はこの前に総門もあったとのこと。 中門のそばには由緒ありそうな日家屋があった。 中門の先にはみやげもの屋などもあり、短いが門前町の雰囲気。 境内の案内板。高輪台の台地の端(下)に境内が、斜面に墓所がある。 山門は天保3年(1832)の再建。2階に十六羅漢が安置される。 見逃してしまったが1階天井には「江戸三龍」のひとつの銅彫大蟠龍がはめ込まれているそうだ。 山門の前・右手に大石内蔵助良雄銅像 この銅像は、浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、所有が転々としていましたが、泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕したものです。 内蔵助が、当時の風俗であ

    泉岳寺 赤穂義士墓所 東京都港区高輪 - 墳丘からの眺め
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    watto 2017/01/16
    高名な割には観光地としてはイマイチなんですよねココ。土産物店も少ないし。観光地だと思ったらいけないのかも。
  • 三変稲荷神社古墳 龍池弁財天 埼玉県川越市小仙波町 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 喜多院の山門から徒歩8分ほど、住宅地の中を歩いていくと鳥居が見えてきた。 直前に子どもが3人、元気よく駆け出してきて走り去っていった。 三変土田稲荷は喜多院が所有する神社で別名は榎の木稲荷。ただし、聳えている大木は榎の木ではなくてムクノキだった。 裏に喜多院と彫られた石碑。 三変土田は検索すると創価学会系のサイトが多くヒットするが、法華経で土地・国土(土田・娑婆世界)を三度にわたって変えて(三変)仏国土にすることを意味するようだ。 喜多院の公式サイトでは榎の木稲荷となっていて下記の説明がある。 昔、喜多院に長い間住んでいた化け上手な白い狐が正体を見破られ、おひまをもらいお寺を出ることになりました。そこで白い狐は尊海僧正にお礼だと言い、「2500年も前の釈迦(仏教の開祖)が布教をしている姿をお見せいたしましょう。そのかわり、私が化けている間、一言たりとも声を出してはいけません

    三変稲荷神社古墳 龍池弁財天 埼玉県川越市小仙波町 - 墳丘からの眺め
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    watto 2016/12/21
    古木いい!
  • 新沢千塚古墳群 橿原市北越智町・川西町 「古墳めぐりと博物館見学ツアー」・6 - 墳丘からの眺め

    前回のつづきのツアー、古墳めぐりパート最後の訪問地が日最大級の規模を誇る群集墳・新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群だった。 以下はいただいたパンフの新沢千塚古墳群の項をまとめたもの。 ・古墳の数:古墳群全体で約600基、史跡指定地で約370基 ・築造時期:4世紀終盤~6世紀終盤(最盛期は5世紀後半~6世紀後半) ・古墳の形態:円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳、長方形墳 ・埋葬形態:木棺直葬(最盛期は横穴式石室が主流だった時代にもかかわらず) ・副葬品の特徴:126号墳ではペルシャ伝来のガラス碗・ガラス皿や、朝鮮半島から中国北東部にかけての地域から伝わった金・銀製品が出土。発掘された当時は「地下の正倉院」ともいわれた。他にも金製品などを副葬した古墳はいくつかある。 ・造営氏族:不明だが、蘇我氏・東漢氏・大伴氏などの意見がある。鳥屋ミサンザイ古墳や桝山古墳と無関係ではないと考えられている。

    新沢千塚古墳群 橿原市北越智町・川西町 「古墳めぐりと博物館見学ツアー」・6 - 墳丘からの眺め
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    watto 2016/12/18
    “解説板は見ずに、裾をぐるりと一周する。” “答えは「前方後方墳」” いいなぁ、これ。
  • 沼山古墳 橿原市白橿町 「古墳めぐりと博物館見学ツアー」・3 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 菖蒲池古墳を見学した後、西に向かい近鉄吉野線を渡って住宅や団地が並ぶ”ニュータウン”エリアに入った。 団地の公園という風情の白橿近隣公園。 公園散策路の石段を上がっていくと、それらしき土盛りが見えてきた。 回り込んでいくと説明板が。 その後ろに開口部があった。 現地の説明板。 沼山古墳 昭和57年に公園整備に伴う発掘調査が実施されました。径約18m・高さ5.5mの円墳で、墳丘の中央に片袖の横穴式石室が南側に開口しています。石室の規模は、玄室が長さ4.95m・幅2.95m、高さ4.25mで、これに長さ4.5m、幅1.8m、高さ1.8mの片袖の羨道がとりつきます。花崗岩の自然石を長手積にし、玄室内は高さ2mまで垂直に積み、それから上は四壁を内傾に積上げています。そのため天井での面積は狭く二枚の天井石で覆っています。玄門部には閉塞石が残っていました。玄室内からは、銀製空玉・ガラス

    沼山古墳 橿原市白橿町 「古墳めぐりと博物館見学ツアー」・3 - 墳丘からの眺め
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    watto 2016/12/15
    石室に入れるのがすごい!
  • 飛鳥寺・飛鳥大仏 奈良県高市郡明日香村飛鳥 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 岡寺の次に訪ねたのは飛鳥寺。こちらには30年以上前の学生時代に一度来たきりだった。 推古4年(596)、蘇我馬子によって日で初めて伽藍を擁する大寺院として創建された飛鳥寺(鳥形山 安居院、旧称は法興寺、元興寺~平城京へ移転)は国の史跡、かつては3つの金堂に囲まれた五重塔もあったが鎌倉期に落雷で焼失し、今は江戸期に再建された小さな堂が残っている。 見どころは創建当初から同じ位置に安置されている日最古の大仏。 高さ3mに近い座像は、鞍作止利(くらつくりのとり)により606年に完成。火災に遭いながらも、お顔と手の一部は当初からのものが残っている。 門前にあった説明板。 飛鳥寺(あすかでら) 「日書紀」によれば、崇峻天皇元年(588)に蘇我馬子は法興寺を建立することを計画、同5年には仏堂(金堂)・歩廊(回廊)が完成、推古天皇元年(593)には塔を起工し、同4年には一応の建物

    飛鳥寺・飛鳥大仏 奈良県高市郡明日香村飛鳥 - 墳丘からの眺め
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    watto 2016/12/07
    行きたい。行ったことないから。
  • 富塚跡 大隈重信銅像 @早稲田大学 - 墳丘からの眺め

    4つ前のエントリのつづき。 會津八一記念博物館を見たあとにキャンパス内にある古墳跡を訪ねた。 「早稲田大学9号館あたり」というヒントを頼りに建物周辺へ。 壁面に小さなアーチが並んでリズムをつくっている。 建物前にはそれらしき案内板は見当たらず。 裏は資材置き場のようで、柵の外は墓地だった。 少し高くなっている西側、「第3西門」の方へ階段を上がってみた。 すると説明板が! 富塚古墳跡の説明だった。 新宿区登録史跡 富塚跡 所在地:新宿区西早稲田1-6 登録年月日:昭和62年3月12日 このあたりは、昭和41年(1966)に甘水園内に移転するまで水稲荷神社の敷地であった。神社の境内には、富塚という古墳(円墳)があった。 戸塚の地名の起源は、この付近に塚(古墳)が多く「十塚」・「百八塚」などと呼ばれたからとか、そのうちの一つである富塚に因んだ、とかいわれている。 水稲荷神社移転時に崩され、整地さ

    富塚跡 大隈重信銅像 @早稲田大学 - 墳丘からの眺め
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    watto 2016/11/21
    うちの近所(でもないか)の名古屋工業大学も、キャンパスに古墳があることで有名(でもないか)。
  • 慶岸寺(庚申塔)~六郷用水跡(石橋供養塔) 狛江(岩戸・駒井地域)の文化財めぐり・その1 - 墳丘からの眺め

    東京文化財ウィーク2016のパンフを見ていたら、狛江市教育委員会主催のツアー案内があったので参加しました。 テーマは「狛江の魅力を歩いて学ぼうー岩戸・駒井地域をめぐる」 パンフに寺社や史跡をめぐるとあったので、狛江なら古墳も含まれているであろうと予想していたら、なんと3ヶ所も! 下記は当日いただいた10頁程あるリーフレットから。 赤いラインを半時計回りに各所で解説を受けながら約3時間、川跡や旧道を、高低差を味わいながら楽しく歩きました。 10月29日(土)の午後1時に小田急線の喜多見駅前集合。この日の駅前広場は仮装した子どもたちで大賑わい。 広場に面してNゲージ専門の模型屋さんもあります。 駅前(南口)の案内地図はなぜか現在地が端によっていました。隣駅の成城学園前駅のほうが中央寄り。今回歩いたルートは左に切れた部分がメイン。 参加者は20人ほど。係りの方に先導されながら二の橋商店街を世田谷

    慶岸寺(庚申塔)~六郷用水跡(石橋供養塔) 狛江(岩戸・駒井地域)の文化財めぐり・その1 - 墳丘からの眺め
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    watto 2016/11/02
    三枚目の「×原発⇒○自然」が気になる。
  • 八幡塚古墳 宇佐神社 狐塚古墳 東京都世田谷区尾山台 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 鵜の木駅から電車を乗りついで、東急大井町線の九品仏駅で下車し、環八通りの南側に残る2基の古墳を訪ねた。 環八通りを越えると全体が多摩川に向かって下る斜面になる。この多摩川沿いの台地の縁に、古墳が点々と連なっている。 住宅街を少し回り道しながらのアプローチ。ここは右へ。 滑り止めの模様がついた坂道が多い。ここは坂道を左に見ながら通過。 左から降りてきて右の道を降りた。間の石碑には「左 籠谷戸 右 多摩川」と刻まれている。 籠谷戸で検索すると、そこから500mほど南東にある田園調布八幡神社のサイトがヒットした。田園調布八幡神社 神社が創建された鎌倉期、そこは篭谷戸(ろうやと)と呼ばれる多摩川の入江に面し、物資を積んで盛んに出入りする舟を監視できる港の入口に突き出した台地であり、台地上には鎌倉街道が通る要衝の地であったとのこと。 その重要性は古墳が築かれた時代から変わっていなかっ

    八幡塚古墳 宇佐神社 狐塚古墳 東京都世田谷区尾山台 - 墳丘からの眺め
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    watto 2016/10/15
    1枚目、3枚目、4枚目の写真を見て、デイリーポータルZのこの記事を思い出しました ⇒ http://portal.nifty.com/kiji/160826197281_1.htm “理想的な「立体Y字路」を探して”
  • 上目黒氷川神社(目黒富士) 東京都目黒区大橋 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 国道246号にかかる「旧」歩道橋から見た上目黒氷川神社。 石垣の左端、交番との間にある階段も「登山道」だった。 「登山口」のサイン。 参道正面も玉川通り(国道246)に面している。 台地上の境内への急な石段。 石段の下に神社の解説。石段は玉川通りの拡張工事で急勾配になってしまったそうだ。 氷川神社 大橋2-16-21 祭神は素戔嗚命を主神とし、天照大御神、菅原道真を合祀しています。旧上目黒村の鎮守で、天正年間(1573~1592)に上目黒村の旧家加藤氏がこの地に迎えたといわれています。 正面の石段は文化13年(1816)に造られましたが、明治38年(1905)に前を通る大山街道(現、玉川通り)を拡張する際に、現在の急勾配な石段に改修されました。境内には花崗岩造りの4基の鳥居や小松石造りの2対の狛犬があります。 また、石段の下には「武州荏原郡菅刈荘目黒郷」と刻まれた供養塔や天

    上目黒氷川神社(目黒富士) 東京都目黒区大橋 - 墳丘からの眺め
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    watto 2016/10/04
    こういう台地に「富士」と名前を付けて大事にする感覚、いいなぁ。うちから至近距離にある高台は、頂上付近を容赦なく切り崩して国道と私鉄の線路を通している…