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ブックマーク / massneko.hatenablog.com (45)

  • 浦安十景(七、プリン型コンクリフン) 千葉県浦安市入船 - 墳丘からの眺め

    物件は新浦安駅に近い入船東エステート内「プリン公園」にあります。 コンクリ部分の径8.5mくらい、高さは1.5m程の遊具。 反対側からしゃがんだ位置で。小さい子にはまさに富士山並みに見えるでしょう。 こちらは新浦安駅前地区を挟んだ西側の入船公園。 入船西エステートに面しています。 こちらのプリンは登りやすいように表面が凸凹の処理。 まるで葺石のネガのようでは… すべって遊ぶ遊具なので、半分は滑らか処理。 そんなところも、復元古墳っぽくないでしょうか。 小さな公園ですが、ほんのり土盛りのある桜の林があります。

    浦安十景(七、プリン型コンクリフン) 千葉県浦安市入船 - 墳丘からの眺め
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    watto 2021/08/03
    今どきはオリンピックの聖火台とか。
  • 浦安十景(六、高洲太陽の丘のスケルフン) 千葉県浦安市高洲 - 墳丘からの眺め

    高洲太陽の丘公園で圧倒的な存在感を放つ、スケルトン型の”円フン”。 正しい名称は「オムレツ・ジャングルジム」です。 ジャングルジムということは登れるわけです。 頂上あたりから。立つのは結構こわいです。 西側にも緩やかな丘があります。 二重構造になっています。 内側の土盛り。 墳丘防護施設のようでは。 黄色の選択がとても良いです。

    浦安十景(六、高洲太陽の丘のスケルフン) 千葉県浦安市高洲 - 墳丘からの眺め
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    watto 2021/08/02
    クリスタルガラスの前方後円墳とか、現代建材を用いた古墳は、モダンアートとしてまだあまりないみたいだから、やったもん勝ちのような気が…私が知らないだけであるのかな?
  • 「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」 @東京国立近代美術館・竹橋 - 墳丘からの眺め

    昨年秋から高知(県立近代美術館)~長崎(県美術館)と巡回してきて、最後の展示会場が東京の近美となっている隈研吾展に行きました。 5原則は、孔、粒子、やわらかい、斜め、時間。それぞれの”原則”に沿っての展示です。 ポスターの写真は、オドゥンバザル近代美術館(トルコ・エキシェヒル旧市街)2019年 エントランスホールにある、浮庵(Floating Tea House)2007年 天井の浮いた茶室です。 有料の第一会場(建築模型が中心)と、無料の第二会場とに分かれています。 第一会場は一部が撮影可(建築模型のみ) 隈研吾展 展示会場の様子。 吊り下がっている網目の照明は多分、国立競技場内のものだったと思います その下に、高輪ゲートウェイ駅の模型。折れ線の屋根やそれを支える構造がわかる(ような気がします) 建築模型の中では、2018年にスコットランドに開館した「V&Aダンディー」(ヴィクトリア&ア

    「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」 @東京国立近代美術館・竹橋 - 墳丘からの眺め
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    watto 2021/07/06
    あくまで人間のためであって、あんまり ネコ さんのためという感じがしないようですが…
  • 藤田家別邸洋館(藤田記念庭園) 青森県弘前市上白銀町 - 墳丘からの眺め

    弘前市民会館の南、道路を隔てた向い側には地元の名士の別邸があります。 冠木門から入場する藤田記念庭園。 おとぎ話のセットのような洋館は大正10年の築。 日商工会議所の創設者・初代会頭の藤田謙一氏(弘前市出身)の旧別邸で、設計は堀江佐吉の六男・堀江金造、施工は長男の堀江彦三郎。 青森県のサイトによれば当時の堀江組の技術力の高さを、面が台形の形をした袴腰屋根を反りを付けて玄関先まで下ろす技術や、階段吹抜け部分を八角形の塔にし外観にそびえさせるデザインに、見てとることができるとのこと。 旧藤田家別邸洋館|青森県庁ウェブサイト Aomori Prefectural Government 室内には”メイド”さんもいらっしゃる 「大正浪漫喫茶室」があるのですが、市民会館で一休みしたすぐ後だったので、”ちょっと見せていただくだけ”としました。 南側に回って。一階が喫茶室です。 庭にある、推定樹齢150

    藤田家別邸洋館(藤田記念庭園) 青森県弘前市上白銀町 - 墳丘からの眺め
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    watto 2021/05/17
    冠木門【かぶきもん】が読めなかったぶくま。
  • 旧東奥義塾外人宣教師館 青森県弘前市下白銀町 - 墳丘からの眺め

    前回の旧弘前市立図書館のすぐ東側には、旧東奥義塾外人宣教師館の瀟洒な建物が残っている。(右端の赤屋根が図書館) 建物1階にはサロン・ド・カフェ・アンジュがはいる。おいしいアップルパイなどがあるそうで、賑わっていました。 自分たちは、お腹は満たされていたので上階へ。 上がってきた階段を振り返って。 壁際に平面図が掲示。 半分開いた扉に引き込まれ。 子供室のベッド。ここに泊まりたいと思いました。 主寝室ですが、リビングのような雰囲気。 机に向かったり、出窓のベンチでを読んだりして、ちょっと疲れたらすぐ横になれる理想的な環境。 ベッドの足元側の小テーブル。 隣の部屋は書斎。 広角で。 上記の左の壁の後ろ側の収納スペース。ふすまの押し入れがありました! 書斎の先のベランダには、ブランコが。 青森県観光情報サイトによれば、明治33年(1900)にアメリカのメソジスト・ミッションボードが設計したもの

    旧東奥義塾外人宣教師館 青森県弘前市下白銀町 - 墳丘からの眺め
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    watto 2021/05/10
    学校組織としての東奥義塾は、ぐぐったところ東奥義塾高等学校として現役?! ウィキペ https://bit.ly/3bg7ZEx ええっ?!
  • 月輪神社・勢至堂 埼玉県比企郡滑川町月輪 - 墳丘からの眺め

    前回のつづきの月輪古墳群。 関越自動車道をくぐって北東側へ。 グーグルマップに”神社”と記されていた神社。 小詞がある場所の佇まいは元古墳的雰囲気があるが土盛りは判らず。 境内(?)の南側に接してため池がありました。 そこから600mほど東に月輪神社があります。道路から見えてきた社殿は土盛りの上に。 南側に廻り込んで社殿を正面から。 御由緒には古墳のことは触れられていません。 検索すると、こちらの方のサイトに辿り着き、6世紀代に築かれた東西径46m・南北径46mの円墳で、横穴式石室があったとの言い伝えがあるとのこと。 月輪神社古墳(埼玉県滑川町) - 四季・めぐりめぐりて 拝殿前には6連のブランコが。 その南側の林の中には、滑り台や鉄棒、さらに別のブランコも。 月輪神社と道路を隔てた北側に、桜の見事な福正寺がありました、 「勢至堂」は嘉永2年(1849)の再建とのこと。 ”しだれ葉桜”がゆ

    月輪神社・勢至堂 埼玉県比企郡滑川町月輪 - 墳丘からの眺め
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    watto 2021/04/16
    勢至堂、藤原(九条)兼実ときたら私の中では陰の主役は法然上人。つか「月輪大納言」でぐぐったら九条兼実とこの地は深いご縁があったのですね。
  • 日本橋ダイヤビルディング(旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル) 東京都中央区日本橋1丁目 - 墳丘からの眺め

    橋界隈のモダン建築で、まだ見ていなかった大物が残っていました。 昭和5年(1930)築の旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル(日橋ダイヤビルディング:2014年にに高層部増築の形で保存・建替え) 江戸橋の西側たもとから。 艦橋のような塔屋が建物全体の魅力を増しています。 江戸橋上から西側方向。 ズームすると日橋が写ります。 江戸橋の東側歩道から見上げた日橋ダイヤビルディング。 建物北面には2階から4階まで、ベランダの付いた大きなガラス出窓が並びます。 かつては屋上から伸びた2つの「テルファー」という装置が稼働していて、船から各階へ荷揚げしていたそうです。 建物は昭和通りに面していますが20mほどセットバックして建っているので、前の「緑地」からじっくり眺めることができます。 下からですと塔屋がわかりにくいですが。 最上階に並ぶ窓の意匠も可愛らしい印象です。 正面玄関は南西側の隅に。 左右の壁も

    日本橋ダイヤビルディング(旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル) 東京都中央区日本橋1丁目 - 墳丘からの眺め
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    watto 2021/03/26
    "「テルファー」" 今はなんで使われないんだろうと即座に「コンテナ」が思い浮かび、そゆえばコンテナいつからとぐぐったら http://japancontainer.com/first/story/ ええっ、1956年、まだたったの65年前!?
  • 築地界隈の建築巡り・23  東京都中央区入船~築地の消失物件 - 墳丘からの眺め

    このシリーズを始めたきっかけは、無くなってしまった建築に気づいたことにありました。 その後に中央区のサイトなどで、他にも最近になって無くなった建物があったことを知りました。 ストリートビューで遡ると画像が残っているものもあったので、わかる範囲でまとめてみました。 入船1丁目、昭和4年築の久長家住宅があった場所。 「典型的な町家の構えを持ちながら、一部に銅板を貼付け、看板建築への過渡期を示す」もので「入船地区にあって、太平洋戦争中の建物疎開を奇跡的に逃れ残存した建物」だったそうです。 元は米屋さんで、俵を積むために1階の土間の天井が高くなっていたとのこと。 久長家住宅 中央区ホームページ 2020年の2月つまり1年前までは、きれいな形で残っていたようです。 こちらは築地6丁目、長屋建築が周囲に残る駐車場。 2017年9月時点のストリートビューを見ると、寺社風の名残りがある建物が。以前は、お風

    築地界隈の建築巡り・23  東京都中央区入船~築地の消失物件 - 墳丘からの眺め
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    watto 2021/02/25
    建物が取り壊されると、そこにどんな建物があったか思い出せないことがあるから、この試みはいいかもぶくま。
  • 向島・玉ノ井散歩(中編) 東京都墨田区東向島・墨田 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 曳舟駅西側の鳩の街通り界隈を歩いた後、水戸街道を下って東向島駅北東側の旧玉ノ井エリアに移動した。 東武伊勢崎線の高架下に見えた蒸気機関車。 東向島駅には東武博物館があった。惹かれるものがあったが、入館は別の機会で。 昭和35年に就役し、平成3年に引退した1720系デラックスロマンスカーの先頭車両。 その先には東向島駅入口。サインには「旧玉ノ井」との記載もある。 駅前の魅力的なカフェ。 その先の建物の、雰囲気がある2階。 とても古い郵便ポストが残る場所をガイドの方に教えていただきました。 そして、こちらが昭和の香りが漂う貴重な建物。 ゆるくカーブを描く建物の隅や、円柱付け柱があることなどに面影を残しています。 ガラス窓の隅の意匠もファッショナブルでした。 いろは通りに戻ると、塔屋のある玩具屋さん。 屋根裏の窓回りが見事。 おかっぱのようなアーチの形に、タイルが丁寧に貼られて

    向島・玉ノ井散歩(中編) 東京都墨田区東向島・墨田 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/12/20
    旧国鉄ボンネット特急に似た東武特急「けごん」一度乗りたかったな。鉄道パートにばかり反応してすみません。
  • 行田市駅・ひろせ野鳥の森駅 @秩父鉄道 - 墳丘からの眺め

    さきたま古墳公園からは市内循環バスに乗って行田市駅へ。 ロゴがgood! 駅前広場の様子。 待合室は木造。 改札口のある跨線橋から西方向。 スイカ・パスモは使えません。 ホーム上の待合室。 ホームの駅名表示板。伸ばす母音の上にバーがあります。 秩父方面に向かって、ひろせ野鳥の森駅で下車。 6駅目なんですが、途中の熊谷駅で20分以上停車して、所要時間40分。 駅を降りて振り返って。 駅の案内地図には宮塚古墳も記されていた。 宮塚古墳については次回エントリで。 帰路、次の電車まで10数分あったので、駅名になっている野鳥の森の入口へ行ってみた。 住宅地の先に土手が。 ここが荒川の堤防だった。川のある南側が野鳥の森になっている。 線路との間の民家に、ツリーテラスがあった。素敵です。 少し先に、森への入口が。 斜路を降りた先に大きな案内板。 野趣あふれる森の小道。 深入りすると電車を逃しそうなので、

    行田市駅・ひろせ野鳥の森駅 @秩父鉄道 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/10/21
    プロローグは鉄道というパターン。
  • りゅうてつ(流山鉄道)流山駅 - 墳丘からの眺め

    流山市立博物館へ行くにあたり、「りゅうてつ」を利用しました。 JRの新松戸駅の改札からまっすぐ進んだ路地の先が幸谷(こうや)駅。 起点はひとつ南の馬橋駅。常磐線と一駅分並走ですが、こちらは裏路地の雰囲気。 流山鉄道の駅数は6つ。 こちらが終着駅の流山ホーム。 自販機も電車使用。 ホームの先には車庫が。 外へ出て、駅舎を。 博物館へは車庫に沿った道を進みます。途中には車庫入口。 エアコンの部品が積まれていました。 パンタグラフも。 駅南側の跨線橋から。 そこから右に目を移すと、高台に流山市役所。造成中の広い土地がありました。 背面の南側、馬橋方面。流山鉄道は単線です。 南西側に線路跡のような道が。地図を見るとこの先にキッコーマンの工場があります。

    りゅうてつ(流山鉄道)流山駅 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/09/04
    最後の写真、このカーブは確かに線路跡! こういうの萌えます!(テツの話題が出てくると食いつく
  • 別府市公会堂(別府市中央公民館・別府市市民会館) 大分県別府市上田の湯町 - 墳丘からの眺め

    別府には、前回のレンガホールの北西600mに、もうひとつの吉田鉄郎建築がある。 別府駅から徒歩7分の距離。 建物前に大きな広場があり、その前には大通り。建物が映える広さがあるが、敷地の2の木が大きく育っていて正面の絵を撮るのは難しかった。 2の大木の間から。 入口は2階に。3階の窓までを含む5連のアーチが壁から凹み、4の列柱を形づくっているようにみえる。高さがあり幅もある階段も素晴らしい。 通りに面した説明板は簡素な内容。 別府市公会堂 (中央公民館・市民会館) 建設:昭和3年3月28日 復原:平成28年3月7日(竣工) 設計:吉田鉄郎(旧逓信省技師) 別府市を代表する近代化遺産として平成6年11月26日に別府市指定有形文化財に指定されました。 建物の1階部分を中央公民館、2・3階部分を市民会館として使用しています。 中央の3つのアーチ下に出入り口扉があり、その上がバルコニー状になっ

    別府市公会堂(別府市中央公民館・別府市市民会館) 大分県別府市上田の湯町 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/08/18
    20枚目の突然の上から目線にギョっとしたのは錯覚ではなかったのですね。
  • 宇佐神宮 大分県宇佐市大字南宇佐 - 墳丘からの眺め

    宇佐神宮に着いたのは17時近く。国道沿いの広い駐車場に停めて、仲見世の前の参道を進んだ先の鳥居。 この先の左側に、前回の蒸気機関車が置かれていた。 鳥居の脇にあった御由緒。「全国に4万社あまりある八幡社の総宮」とある。 宇佐神宮御由緒 当神宮は全国に4万社あまりある八幡社の総宮であります。 神代に比売大神が馬城の峰(大元山)に御降臨になった宇佐の地に、欽明天皇32年(571)に応神天皇の御神霊が初めて八幡大神としてあらわれ、宇佐の各地を御巡幸ののち、神亀2年(725)に亀山の一之御殿に御鎮座になりました。 また、天平5年(733)比売大神を二之御殿にお迎えし、のち弘仁14年(823)神託により神功皇后が三之御殿に御鎮祭されました 皇室は我が国鎮護の大社として御崇敬に篤く、特に八幡大神が東大寺大仏建立援助のため神輿にて上洛されたこと、また和気清麻呂公が皇統護持にかかわる神託を授かった故事

    宇佐神宮 大分県宇佐市大字南宇佐 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/07/18
    いつもと更新時間が違いますが、ひょっとして予約公開ではなく即時公開しちゃいました?← 大きなお世話
  • 凶首塚古墳 大分県宇佐市大字北宇佐 - 墳丘からの眺め

    前回の葛原古墳から宇佐神宮へ向かったがその手前にある、ちょっと怖い名前の古墳へ立ち寄った。 グーグルマップに導かれて凶首塚(きょうしゅづか)古墳へ向かうと、水田を隔てた対岸に導かれた。 畦は細くて辿ると崩してしまいそうだったので、遠目からズームで。 巨石で組まれた石室が露出していた。 一応周囲を回ってみると古墳入口の標柱が! 上がっていくと、石室正面側に出られた。 立派な防護柵。 土が無くなっても、石室をしっかり押さえる天井石。 大型動物のような存在感があった。 そこから振り返った東方向。斜面を下ると寄藻川が流れる。川の対岸に宇佐神宮があるが、左側の電柱の右に鳥居が写っていた。 ここから宇佐神宮までは1㎞ほどで、一直線の道でつながっている。それが古墳入口の標柱が立っていた道で、天皇即位や国家異変の際に宇佐神宮に天皇の使い(勅使)が派遣された勅使街道だった。 神宮の反対側には宇佐の駅があり、

    凶首塚古墳 大分県宇佐市大字北宇佐 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/07/16
    「きょうしゅ」=「梟首」=晒し首。かつてここは晒し首にも使われたんでしょうか…?
  • カジヤバ古墳 長崎県壱岐市芦辺町国分川迎触 - 墳丘からの眺め

    前回のムギカミ神社古墳から、さらに壱岐国分寺跡に近づいて、同じくカタカナ4文字の名前に惹かれて訪ねた「カジヤバ古墳」 道路沿いの擁壁の上で、案内板や階段も整備されていた。 階段を上がって墳丘と対面。 最初はここが開口部だと思った。 上記をくぐった先。 そこから左を見て違和感が。 こちら側が前室・開口部のようだ。 上記で振り返った奥壁。 ということは上記の開口部は見学用に作られたもののようだ。 正しい開口部へ回り込む。 現地説明板。上記の回り込んだところが「北西方向に開口」 する側だった。 墳丘自体も道路工事で、5mずらして移築されていた。 カジヤバ古墳 所在地:壱岐市芦辺町国分川迎触字平原311 古墳は6世紀後半に造られた円墳で、墳丘は後世の耕作や道路工事等によって一部破壊されていたが、残存部分から墳丘規模は直径11m前後、高さ3m前後であったと復元されている。 石室は北西方向に開口して

    カジヤバ古墳 長崎県壱岐市芦辺町国分川迎触 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/06/26
    スペインで、素人が絵画を修復してオリジナルとは似ても似つかぬものにしてしまったことが話題になりましたが https://bit.ly/3i93L3F 古墳の復元でもそんな事例があるのですね!?
  • 鬼の足跡(牧崎公園) 長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良東触 - 墳丘からの眺め

    岳ノ辻へ行った後、まだ日が残っていたので、「鬼の足跡」と呼ばれる景勝地も訪ねてみた。郷ノ浦の中心部から車で10分ほどの場所にある。 駐車場の先はゴルフコースのような景観が。 (実際にアイアン持って練習している人も…) 園路を進むと立派な石碑。 石碑の先が大きく落ち窪んでいて、その端が門のように海とつながっていた。 ズームで。 グーグルアースで。上から見た窪みの形が「足跡」 長崎旅ネットのサイトによれば、崖の高さは30m、窪みの周囲は110m。 大鬼の「デイ」が壱岐をまたいで魚をとった足跡と伝わるもので、もう片方の足跡が勝町辰の島の蛇ヶ谷となるそうだ。 https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/740/ 洞門の上にも細い道がついていた。 その道から振り返った東側。後ずさると落ちるので、おそるおそる。 自分の影も写っています。 崖をロープで降りれば、洞門か

    鬼の足跡(牧崎公園) 長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良東触 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/06/18
    洞門の上を通れるのがいいです! こういうとき日本の行政は「崩落の危険がある」とかなんとか言って規制をかけるのが大好きな印象があるので。
  • ブルーインパルス 東京上空飛行 - 墳丘からの眺め

    オフィス出社だった昨日、午前中にフライト情報を知ったので、フライトコースに近い増上寺境内に移動して、iphone6sで撮影しました。 1回目では、飛行隊が真上に来た時に自分の体を左右どちらまわりにするか迷って、画面がふらついてしまいました。 ブルーインパルス 1周目 2020/5/29 新宿の上空を過ぎて、2周目に入るあたりの横直線。 ブルーインパルス 遠望 2020/5/29 2周目は、お寺の屋根に被ってしまいましたが、真下からきれいに撮れました。 ブルーインパルス 2周目 2020/5/29

    ブルーインパルス 東京上空飛行 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/05/30
    おお、増刊号!
  • 木花村古墳 宮崎県宮崎市大字熊野 - 墳丘からの眺め

    都城市から宮崎市へ戻ってきて、少し時間があったので、宮崎空港の南側にピンが立っていた木花村(きばなそん)古墳群へ立ち寄ってみた。 清武南ICで降りて、県道を東へ 向かうと、清武川右岸の”低位段丘上”の畑の中に、墳丘が残っていた。 最初に訪ねたのは2号墳。すぐ背面の果樹園で作業をしている方にことわって、看板近くに車を停めさせていただいた。 説明板の位置はくびれ部あたりで、右奥が前方部になる。 県と市で立てた説明板。 名称:県指定史跡 木花村古墳 指定年月日:昭和12年7月2日 木花村古墳は、清武川に面した標高10m前後の低位段丘上に立地し、前方後円墳3基、円墳5基が県指定史跡となっています。現存する古墳は、前方後円墳3基(1~3号墳)と円墳1基(4号墳)で、3号墳は墳丘の一部のみ残っています。 1号墳の墳丘規模は、墳頂58m、後円部径27m、同高3.5m、前ぽ部幅23m、同長28m、同高3.

    木花村古墳 宮崎県宮崎市大字熊野 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/05/26
    お疲れ様でした。古墳の上に墓地? お墓の上にお墓? と思ってちょっと調べたら過去記事に登場する恵解山古墳なんかもそうなんですね。
  • 沖水古墳 宮崎県都城市早水町 - 墳丘からの眺め

    都城市では、もう一か所、早水神社境内にある沖水(おきみず)古墳を訪ねた。 15.3haの早水公園には5つの池がある。駐車場が充実。早水神社は公園内の東寄り。 駐車場から池越しに墳丘。 鳥居から参道へ入る。 その先の左側に沖水古墳があった。 説明板には、後の平安時代(それでも十分古いですが) に埋納された経筒と鏡について詳しく書かれていた。 種別 県指定文化財 名称 都城市沖水古墳 指定年月日 昭和11年7月17日 大正末期までは川東町から千町にかけて小規模古墳が散在していたようであるが、現在は早水神社の参道沿いに所在する低い墳丘一基(2号墳)だけが残っている。 この墳丘の築造時期や埋葬主体などの詳細は不明であるが、昭和49年に墳丘頂部から平安時代に埋納された鋳銅製経筒・中国製湖州鏡(宋代・浙江省湖州産)・玉石とこれらを収納した軽石製の円筒型容器が発見された。 経筒と軽石製容器は約60cm離

    沖水古墳 宮崎県都城市早水町 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/05/25
    なぜ古墳時代から5世紀ほども隔てた平安期の埋納品が…? 墳丘が祭祀の場として再利用されたということでしょうか…? いろいろと想像が膨らみます。
  • 雪野山古墳発掘30周年記念展示「今蘇る!琵琶湖に君臨した王 雪野山古墳」展 @明治大学博物館・御茶ノ水 - 墳丘からの眺め

    すでに昨年終了した展覧会です。(2019年10月4日~10月27日) エントリのタイミングを迷っていた間に、かなり時間が経ってしまいました(写真多めです、50枚程) 雪野山古墳は滋賀県東近江市の雪野山山頂に立地する、古墳時代前期(4世紀前半)に築造された前方後円墳。全長は70m。 平成元年、展望台設置工事前の試掘調査で竪穴式石室が見つかり、三角縁神獣鏡3面が発見された。その後の発掘調査で「未盗掘」であったことが判明。 当展では鏡の他に漆製品の靫(ゆき:矢筒)や鉄製の小札冑(こざねかぶと)なども出展されたが、被葬者の権力を象徴する豊かな副葬品は一括で重文指定を受け、古墳も国史跡に指定された。 発掘調査は大阪大学が実施しているが、明治大学佐々木憲一教授が携わっていた縁で、今回の明治大学博物館での展示となった。尚、展の主催者には明治大学の他に東近江市も入っていた。 会場入り口前には、埋葬施設(

    雪野山古墳発掘30周年記念展示「今蘇る!琵琶湖に君臨した王 雪野山古墳」展 @明治大学博物館・御茶ノ水 - 墳丘からの眺め
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    watto 2020/03/05
    ものすごい情報量!