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ことばと宗教に関するwhaleboneのブックマーク (7)

  • ジャニオタと認知的不協和|比呂ころく

    誰にでも納得できないことというものはある。 その「納得できないこと」というのは心のモヤとして溜まり続け、酷いとシコリとして残ってしまう。 私も先日、納得できないことがあった。 怒りというものは得てして意に沿わないことで起こる。 解せない・釈然としない・不服である・面白くない・気に入らない… そういった感情が怒りに繋がっていく。 私の場合は毒マロが来て悲しんでいたら、 「そんなことでパニックになるな」と冷やかされ、「お前が悪い」と二重に叩かれた。 なぜ悲しい気持ちですら他人に指図されないといけないのか、それでその人達に怒った。(効果は得られなかった) むしろ毒マロ以上にそういう風に「自分は違うけど?」と上から目線で指摘してくる人に腹が立った。 私は共感が欲しかったのに帰って来たのは冷酷な分析、 よく「女は話を聞いて欲しかったのに、男はアドバイスする」という事例に似ている。 怒りの第二段階とい

    ジャニオタと認知的不協和|比呂ころく
    whalebone
    whalebone 2023/09/09
    『きしょくさ貧乏おじ』
  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
  • 暮らしの中の仏教語1

    一粒万倍(いちりゅうまんばい) 今年(平成14年)の喫茶説法では、暦(こよみ)についてのお話がございました。暦を見てみますと、一粒万倍日(いちりゅうまんばいにち)という日があります。事始めに用いられ吉日とされていそうです。 さて、一粒万倍とは、「一粒の種子もまけば万倍の粒となるの意で、少しのものもふえて多くの数になるたとえ。」で、少しのものでもそまつにしてはいけないというときなどに使います。また稲の別称だそうです。 この言葉は、報恩経というお経に由来する語です。暦にも取り入れられるのですから、生活の中に仏教が溶け込んでいる証拠になる言葉かもしれませんネ。 ↑上へ戻る 一大事(いちだいじ) 一大事だ!と言えば、重大なできごとや容易ならぬ事件の意味で、ちまたでは用いておりますが、これももとは仏教語です。 仏教語来の意味は、最も重要なこと、即ち、仏がこの世界に出現する一大目的のことです。―極論

  • Amazon.co.jp: ブッダのことば: スッタニパータ (岩波文庫 青 301-1): 中村元: 本

    Amazon.co.jp: ブッダのことば: スッタニパータ (岩波文庫 青 301-1): 中村元: 本
  • 三九郎 | 文化(豊作祈願の行事) | 蚕糸業の文化と歴史 | 高原社

    whalebone
    whalebone 2014/10/21
    『「さんくろう」は「三苦労」(病、災厄、重税)という三つの苦労を追い払う祭りだったものが、藩政に対する批判として取締りの対象となるのをおそれ、「三九郎」の文字をあててカモフラージュした』
  • ニーバーの祈り - Wikipedia

    ニーバーの祈り(ニーバーのいのり、英語: Serenity Prayer)は、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892–1971年)が作者であるとされる[1]、当初、無題だった祈りの言葉の通称。serenityの日語の訳語から「平静の祈り」「静穏の祈り」「平安の祈り」[2]とも呼称される。 この祈りは、アルコール依存症克服のための組織「アルコホーリクス・アノニマス」や、薬物依存症や神経症の克服を支援するプログラム12ステップのプログラムによって採用され、広く知られるようになった。 来歴と、その作者[編集] ラインホルド・ニーバーとその家族の証言[編集] 「祈り」は古くから口伝えの形で出回っていたにもかかわらず、1943年に行われた「祈り」に言及した(教会での)説教の記録が、一番古い記録であった。その次に古い記録は1944年の、軍付きの牧師と軍人のための教会図書についての連邦協議会

  • The Serenity Prayer(ニーバーの祈り)

    神よ、 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。 解 説 アメリカの神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバー(1892-1971)がマサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で1943年の夏に説教したときの祈り。礼拝の後、ハワード・チャンドラー・ロビンズという人がこの祈りの原稿をもらった。彼は、祈りを集めた小冊子を編集発行していた。ロビンズは翌年、彼が編集した祈りのの中に加えて出版した。その時は、ニーバーの名は付されてはいなかった。 第二次世界大戦の中、この祈りが書かれたカードが兵士たちに配られた。戦後になると、今度はアルコール依存症患者の断酒会のメンバーの目に留まり、その断酒

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