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石と災害に関するwhaleboneのブックマーク (3)

  • 巨大津波 1771年八重山地震 明和の大津波 八重山大津波 乾隆大津波  写真レポート  石垣島 日本最大85.4m 津波石 人魚伝説 

    ★筆者(写真左下)身長175㎝から推定し高さ7.5~8mほどの津波大石(つなみうふいし・石垣島・大浜崎原公園・推定重量700トン) 津波によって海中にあったおびただしい数の大石が陸に打ち上げられている。その最大のものが大浜崎原公園の西北隅にある津波大石で、表面にはみどり石、テーブルサンゴなどサンゴ礁に寄生生物跡が残されている。(一部で明和大津波で打ち上げられたものと伝承されているが、最近の研究では約2000年ほど前の津波で打ち上げられたのではないかと推定されている。) ★日最悪・最大85.4m(弐拾八丈弐尺)の津波 1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時ごろ、沖縄県石垣島南東沖約40Km(北緯24.0度、東経124.3度)を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生。地震の揺れによる被害は一部の建物や石垣が崩れるなどの被害はあったが比較的軽微であった。しかし、この地震によって

  • 桜島爆発記念碑 - Wikipedia

    桜島爆発記念碑(さくらじまばくはつきねんひ、旧字体: 櫻島爆發記󠄂念碑)とは、1914年(大正3年)1月12日の鹿児島県桜島の噴火災害(大正大噴火)の後に建てられた石碑(災害記念碑)であり、複数存在する[1][2]が、中でも1924年(大正13年)1月に当時の鹿児島県鹿児島郡東桜島村大字湯之(現:鹿児島県鹿児島市東桜島町)に建立された碑を指すことが多い。項でもその碑についてのみ述べる。 概要[編集] 石碑の現在の所在地は、鹿児島県鹿児島市東桜島町にある鹿児島市立東桜島小学校の敷地内となっている。高さは2.5 mほど。碑文の内容は、前述の桜島大正大噴火の被害を伝えるものになっている。この大正大噴火の被害を伝える石碑は他にもあり、いずれも噴火時の桜島からの避難者らが移住先で建立したものが多く、大隅半島を中心に鹿児島県内に約50基確認されている[3]が、中でもこの石碑が注目される理由は、碑文

    桜島爆発記念碑 - Wikipedia
    whalebone
    whalebone 2012/10/04
    『碑文の内容から「科学不信の碑」として知られている』
  • くらし☆解説 『石碑は未来に伝える"ハザードマップ"』 | くらし☆解説 | 解説委員室ブログ:NHK

    《前説・岩渕》 東日大震災の被災地では、津波の記憶を後世に伝えることが大切だとして、石碑を使って教訓を伝えようという取り組みが行われています。山﨑解説委員とお伝えします。 どんな取り組みですか? 昔から大きな津波で被害がでた地域では、生き残った人たちが、後の時代に長く教訓を伝えたいという思いが強くあって、各地に石碑が建てられてきました。東日大震災の被災地でも、そうした取り組みが進められているのです。 これは、岩手県釜石市の根浜海岸の松林の中に建てられた御影石の石碑です。高さは2m70㎝、幅と奥行きはともに70㎝で、表面に2011、311と東日大震災が発生した日にちが刻まれています。そして碑文には『ともかく上へ上へ逃げよ。てんでんこに逃げよ。自分を助けよ。この地まで津波が来たこと、そして裏山へ逃げ、多くの人が助かったことを、後世に伝えて欲しい』と刻まれています。 《岩渕》助かった人

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