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福島と津波に関するwhaleboneのブックマーク (6)

  • 「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」|NHK取材ノート

    「来ていますよ、津波。来ている、来ている! 川を上って来ていますよ! 正面」 それまで冷静だったパイロットの緊張した声で、カメラを前方へと向けると、名取川を津波が遡上してくる様子が確認できた。 午後3時54分。ヘリの映像が、テレビで生中継され始める。 白波がザーッと川を上ってくる様子の撮影を続けていると、再び前方の席に座るパイロットと整備士の叫び声がした。 「海、海、海。もっと左、左、左」 カメラマンの座席は後部右側。真ん前や左側はよく見えない。指示された側にカメラを振ると、黒い津波が陸上にも押し寄せていた。 東日大震災の津波の恐ろしさに、世界中の人が気づいた瞬間だった。 撮影できたのは「偶然」この映像を撮影したのは、当時入局1年目の鉾井喬だ。ヘリでの撮影は研修を含めてこの日が4回目。4回といっても、実際に放送に使われたのは、前日に撮影した海岸の不法投棄現場の映像が初めてだった。 NHK

    「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」|NHK取材ノート
  • 海からみた被災地 東日本大震災10年:朝日新聞デジタル

    東日大震災による津波は、陸地だけでなく海の中にも大きな被害をもたらした。大量のがれき、失われた漁場……。豊かな海はこの10年でどう変わったのか。水深35メートルまで潜ってみた。 あの日の岩手 沿岸部の陸前高田、大槌、大船渡などに押し寄せた津波は多数の人命を奪い、家屋を破壊した。警察庁によると、県全体の死者・行方不明者は5700人超、全壊建物は約2万戸に上った。津波によって建物などが流され、地上では残されたがれきなどから出火、市街地や山林を焼いた。 あの日の宮城 石巻や気仙沼、南三陸など太平洋沿岸部の広い範囲が津波で被害を受けた。6キロ内陸まで到達した場所もあったほか、南三陸町では最大23メートル超の高さを観測。女川漁港(女川町)では34メートルを超える遡上(そじょう)高を記録し、沖合のホタテの養殖場は壊滅的な打撃を受けた。石巻市では市立大川小の児童と教職員84人が死亡・行方不明となった。

    海からみた被災地 東日本大震災10年:朝日新聞デジタル
  • 「5000万人避難まで想定した最悪の事態」菅直人元首相が振り返る3.11 #あれから私は(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

    マグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う津波で、1万8000人あまりの死者・行方不明者を出した東日大震災。それは未曽有の原発事故も引き起こすことになった。震災当時、総理大臣だったのが菅直人衆院議員(74)。水素爆発も起きるなか、「最悪のシナリオ」として5000万人が避難することも想定していたという。10年後のいま、元首相に振り返ってもらった。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース 特集編集部) ──東日大震災から10年です。どんな感慨がありますか。 「あの震災では、津波で多くの人が犠牲になり、避難を強いられ、また、福島第一原発の事故も起きました。地震や津波では物理的な被害で元の住まいに戻ることができず、原発事故では放射線の影響で戻れていません。多くの人が戻れていないことを申し訳なく感じています」 ──菅さんは震災の翌月、諮問機関「東日大震災復興構想会議」を立ち上げ、そこで「創

    「5000万人避難まで想定した最悪の事態」菅直人元首相が振り返る3.11 #あれから私は(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
  • Google 未来へのキオク - あの日から 4 年

    ホーム 三陸を海からストリートビュー 福島県 震災から 4 年 子どもたちの思い出の場所の今 東北の今を記録する イノベーション東北 Google サイエンスフェア in 東北 東北 TECH 道場

    Google 未来へのキオク - あの日から 4 年
  • 福島県ホームページ - 組織別 - 全量全袋検査の流れについて

    福島県ホームページでは、従来のページからの問題点を改善されるようにサイト構成や分類の見直しを行い、平成26年3月29日に大幅にリニューアル致しました。 それに伴い、ページのアドレスが変更されております。 誠に申し訳ありませんが、前のページに戻っていただくか、下記の「福島県ホームページへ」のリンクからトップページにアクセスしていただき、再度、情報をお探しくださいますようお願いします。 福島県ホームページへ

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

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