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2012年8月15日のブックマーク (8件)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

  • 川崎市市民ミュージアム

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    川崎市市民ミュージアム
  • ニュース映画 | リサーチ・ナビ | 国立国会図書館

    1. ニュース映画とは戦前から近年まで映画館で上映されていた劇場用ニュースです。初めは主に新聞社各社が発行していましたが、映画法の施行により1940年に朝日新聞社、大阪毎日新聞社、読売新聞社、同盟通信社4社のニュース映画部が国策会社として社団法人日ニュース映画社に統合されます。同社発行の「日ニュース」は日唯一のニュース映画となり、全国で強制上映されるようになります。 戦後は映画法の廃止により再び数社から発行されていましたが、テレビの普及に伴い現在はほぼ廃刊となっています。 2. 当館の所蔵についてニュース映画が収録されているDVD等の資料のうち、主なものは以下のとおりです。なお、ニュース映画そのものは当館では所蔵していません。(【 】内は当館請求記号) 写真集『日ニュース映画史 : 開戦前夜から終戦直後まで』(毎日新聞社 1977【GB531-75】) 日ニュースの1940(第1

    ニュース映画 | リサーチ・ナビ | 国立国会図書館
  • 大本営発表

    昭和16年12月8日朝7時、時報を告げた後ラジオは突然臨時ニュースのチャイムを鳴らした。 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申上げます。大営陸海軍部午前6時発表。帝国陸海軍部隊は八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。」日放送協会の館野守男アナウンサーはニュースを繰り返した後、 「今日は重大ニュースがあるかも知れませんから、ラヂオのスイッチは切らないでください」と国民に呼びかけた。 ラジオ嫌いで自宅にラジオを持っていなかった作家太宰治は、隣から聞こえてくるラジオ放送に耳を傾けていた。その日の騒動を作品「十二月八日」に記している。 ラヂオは、けさから軍歌の連続だ。一生懸命だ。つぎからつぎといろんな軍歌を放送して、たうたう種切れになったか、敵は幾万ありとても、などといふ古い古い軍歌まで飛び出して来る始末なので、ひとりで噴き出した。放送局の無邪気さ

  • B-29トヨタ爆撃の真相

    序文: この度(2007.3.9)B-29の縁で、豊田市平和を願い戦争を記録する会から、終戦前日のトヨタ爆撃の真相を解き明かした 冊子 『 わたしは模擬原子爆弾パンプキンをトヨタへ投下した 』 をいただきました。 その内容は、トヨタ自動車挙母工場(現社工場)に模擬原子爆弾パンプキンを命中させた元B-29指揮官(原爆投下作戦の極秘部隊、米陸軍第509混成軍団) フレデリック・C・ボック大尉がトヨタ自動車㈱最高顧問 豊田英二氏に宛てた書簡を基に、 当時の米軍資料などを解読し作戦の背景と行動を解き明かした『トヨタ爆撃の解説書』です。 この冊子は、1995.7.7豊田市民への説明会&中日新聞での記者発表(報道は7月24日付) などを通して市民に公開されてはいますが、何故か、豊田市図書館には蔵書もありません。 米陸軍第509混成軍団の標的となり壊滅寸前であったトヨタは、 62年後の現在、世界一の自

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • ウィリアム・ジョイス - Wikipedia

    1945年、逮捕後のウィリアム・ジョイス ウィリアム・ジョイス(William Joyce, 1906年4月24日 - 1946年1月3日)は、アメリカ合衆国のファシスト。第二次世界大戦中、ドイツからイギリスに向けてプロパガンダ放送を行い、ホーホー卿 (Lord Haw-Haw) という通称で広く知られた。この戦時中の行動のため、ジョイスはイギリス政府に大逆罪で処刑された。 生い立ち[編集] 1906年、アメリカ合衆国ニューヨークで、アイルランド系カトリックの父とイングランド系プロテスタントの母の間に生まれる[1]。生後しばらくしてジョイスは、アイルランドのゴールウェイに父に連れられて移住し、1915年から1921年までイエズス会が運営するセント・イグナティウス・カレッジで学んだ。 当時のアイルランド系カトリックとしては珍しく、ジョイス父子はイギリスとの統合を支持するユニオニストであり、ア

    ウィリアム・ジョイス - Wikipedia
  • 東京ローズ - Wikipedia

    この項目では、太平洋戦争中の連合国軍向け宣伝放送のアナウンサーについて説明しています。その他の用法については「Tokyo Rose」をご覧ください。 テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。 「東京ローズ」の1人であるアイバ・戸栗・ダキノ(GHQによる取調べ時) 東京ローズ(とうきょうローズ、英語: Tokyo Rose)は、日軍が第二次世界大戦中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーに、アメリカ軍将兵がつけた愛称。 複数存在したが、特定されているのは一人のみである[注釈 1]。 プロパガンダ放送[編集] 「ゼロ・アワー」[編集] 日政府は太平洋戦争中、「ラジオ・

    東京ローズ - Wikipedia