タグ

2011年9月15日のブックマーク (7件)

  • 宮城事件 - Wikipedia

    宮城事件(きゅうじょうじけん)は、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日時間)にかけて、宮城(皇居)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。終戦反対事件(しゅうせんはんたいじけん)、あるいは八・一五事件(はちいちごじけん)とも呼ばれる[1]。 日の降伏(ポツダム宣言受諾)を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳陸軍中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。しかし、陸軍首脳部・東部軍管区の説得に失敗した彼らは日降伏阻止を断念し、一部は自殺もしくは逮捕された。これにより、玉音放送と日の降伏表明は当初の予定通り行われた。 主要人物[編集] 政府[編集] 昭和天皇 鈴木貫太郎(首相、元侍従長、海兵14期) 阿南惟幾(陸軍大臣、元侍従武官、陸士18期) 米内光政(海軍大臣、元首相、海兵2

    宮城事件 - Wikipedia
  • [サイエンス・メール] 井藤賀操 氏 インタビュー 目次 at サイエンスライター 森山和道

  • 書評エッセイ『かわらの小石の図鑑 日本列島の生い立ちを考える』 at サイエンスライター 森山和道

    Tweetぎょうせい「悠」 2002年 掲載 『かわらの小石の図鑑 日列島の生い立ちを考える』 (千葉とき子・斎藤靖二 著/東海大学出版会) 地質学の基は地質調査である。 かわらに転がっている普通の小石を、豊富な図版で解説する『かわらの小石の図鑑』を手に取ったとき、大学での卒業論文時のフィールドワークのときの出来事を思い出した。 私の卒論のフィールドは岡山県の山の中で、カキや二枚貝の貝殻のかけらが集まってできた石灰岩の分布状況を調べること、そして地質図を作ることが、取りあえずの課題だった。 まず、自分のフィールドにどんな種類の岩石が分布するのかを把握しなければならない。 指導教官と一緒に山を歩きはじめて一日目が終わろうとしたころ。教官はスッとかがんで、1センチほどのごく小さな小石を何個か拾って私に突きだした。 「これがこのフィールドに分布する岩石だから、まずこれを肉眼で区別できるよう

  • 本郷館の最後

    ツイッターでも少しだけ書きましたが、『TOKYO STYLE』でも取材した文京区郷の木造3階建てアパート「郷館」が、ついに壊されてしまいました。1905(明治38)年に建造された「高等下宿」。今年で築106年! 林芙美子から一説によれば蒋介石まで、数々の著名人が暮らしたことでも知られる、貴重な文化遺産ですが、熱心な保存運動にもかかわらず、この8月になって突然の解体工事開始。新聞などの報道を読まれた方もいらっしゃるでしょうが、すでに建物は跡形もありません。 関東大震災を生き延び、太平洋戦争の空襲を生き延び、3月11日の地震にもびくともしなかった郷館ですが、重機にかかってはひとたまりもなく、あっというまに解体完了です。このあとは、いったいなにが建つんでしょう・・。 先週、現地を訪れてみたら、朝から工事現場を見守っているひとが何人もいました。そのひとりに話を聞いてみたら、「30年間も住んで

    本郷館の最後
  • フィールドノートを語ろう。

    文化人類学、考古学、地理学、地質学、建築学、測量学... フィールドワーク(野外調査)の技法が多様なら、現場の記録を書き付けるフィールドノート(野帳)の使い方もいろいろ。特製フィールドノートを作りたいという @chimey 先生(チベット学)のつぶやきに、地質学の @gervillaria さん @talotework さん @yuri_kreta さん、考古学の @akaneda007 さん @ta_niiyan さんらが反応して、フィールドノート談義が花開きます。

    フィールドノートを語ろう。
  • 麗しの姫路モノレール

    昭和41年6月5日姫路大博覧会最終日 手柄山駅に向う姫路モノレール。なんとその後ろに蒸気機関車(C58)の姿が映っています。 撮影された木村様によると、全くの偶然に撮影され、約40年後写真をデーター化していると時に初めて気付かれたそうです。 おそらくこのような構図の写真は世界でこの一枚だけではないでしょうか。 最新鋭の交通手段として華々しく登場した姫路モノレールと、消え行く定めであった古い蒸気機関車。なんとも感慨深い写真です。 大阪府交野市の木村様から御提供いただきました。ありがとうございます。 高度成長期であった昭和40年代、戦後の復興が軌道に乗り人々は個々の豊かさを求めた時代でした。 豊かさとは何か?はっきりとはわからないまま、豊かになる事を夢に精一杯生きた時代だったのかもしれません。 そんな時代に登場した未来の鉄道 『姫路モノレール』。姫路という地方都市の夢を乗せ走り出しました。 し

  • 姫路モノレールで45年前にトリップする

    姫路市営モノレールは、姫路駅、大将軍駅、手柄山駅のたった2区間を走っていたモノレールである。1966年に手柄山公園で開催された「姫路大博覧会」のための輸送機関として開業、wikipediaによれば当初は鳥取まで(!)の壮大な延伸計画もあったようだが、博覧会後に利用者が激減、モノレール事業を推進してきた市長の交代や、車両を作っていた日ロッキード・モノレール社の解散などもあり1979年には多大な赤字を残して正式廃業してしまった。そんなわけで、現在これらの橋脚のすべてがいつ撤去されてもおかしくない状態にある。 という話をきいて、私が想像していたのは、ただひっそりと物陰に佇むコンクリート柱の姿だった。ところが現地へきてみれば、この橋脚、ただの廃線橋脚じゃない。建物からはえてみたり突っ込んだり、なんだかやりたい放題だ。