ブルーハーツは、80年代も後半に向かう時期、矢沢栄吉をヒーローと崇めるような従来のヤンキー系不良でもなく、サブカル教養のあるニューウェーブ系でもなく、大多数の中間的なマス層の若者に語りかけるロックとして登場した。 それまでになく平易な日本語で、例えば「いつか会えるさ きっと会えるさ そんな仲間に」(街)といった、孤独やそこから生まれる他者と繋がりたい願望、「戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない」(NO NO NO)といった大人への素朴な反発を歌った彼らに共感していた、80年代後半の多数の中間的な若者とは、どんな存在だったのだろうか? 当時、既に60、70年代的なカウンターカルチャーや学生運動の文化は消えうせ、その後のツッパリ、暴走族ムーブメントも、80年前後頃の最大の盛り上がりを経て(金八先生や校内暴力を思い浮かべて欲しい)沈静化し、番長ヒーローはリアリティを失って極端にインフレ化す