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2013年10月13日のブックマーク (3件)

  • とあるイタリア人地質学者の人生 | ヤマザキマリ・Sequere naturam:Mari Yamazaki's Blog

    イタリアではネームを考える時以外は大抵国営放送のラジオ番組RAI3を聞いているのですが、この局ではジャンルを問わない様々な音楽が聞けるだけでなく、文芸関連や映画、または政治等に関する時事問題の番組も多く、つけっぱなしにしているだけでかなり多元的な知識や情報を提供をしてもらえるので大変気に入っています。 先日いつも通りに朝起きてすぐにこのラジオを聞き始めたら、「今から50年前、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のエルト・エ・カッソ渓谷の村のヴァイオントダムで起こった大惨事について」という、専門家を招いての座談会方式の番組が放送されている最中でした。 このダムは1960年に竣工された当時、堤高の高さが262メートルという当時世界で一番高いアーチダムとして注目を浴びていたのですが、その後1963年に天候不順が続く中隣接していた山が大規模な地滑りを起こし、膨大な土砂と岩盤が時速100km程度とされ

    とあるイタリア人地質学者の人生 | ヤマザキマリ・Sequere naturam:Mari Yamazaki's Blog
  • 川崎市市民ミュージアム

    等々力緑地の旧施設は閉鎖しました。市内の他施設やオンライン等で、 アウトリーチ形式での展覧会やワークショップ等を開催しています。

    whalebone
    whalebone 2013/10/13
    『特別臨時列車で行く 「川崎の地下の大動脈を知る“武蔵野貨物線の秘密”」』
  • 世直し一揆 - Wikipedia

    世直し一揆(よなおしいっき)は、江戸時代後半から明治時代初期にかけて多発した一揆。 概要[編集] 江戸時代後期、社会の不安定な状況によって各地で一揆が頻発するようになる。特に幕末に日が開国して安政条約が締結されると、生糸や茶の輸出が盛んになり、その分物価が急上昇した。更に江戸幕府や諸藩の財政悪化による重税によって人々の生活は苦しんだ。特に文久年間以後には政情が緊迫するようになると、諸藩が万が一に備えて米を備蓄するようになって豊作でも米が流通しないという事態に陥った。元治元年(1864年)に京都で禁門の変が起きるとその傾向に拍車がかかり、続く長州征伐の決定によって全国的に米価が上昇した。これによって都市部では打ちこわしが、地方では一揆が頻発するようになった。特に慶応2年(1866年)の第2次長州征伐中と同4年(明治元年・1868年)の戊辰戦争中にその最高潮に達した。 打ちこわしや一揆そのも