人類初の世界紛争 第一次大戦開戦へのカウントダウン 20世紀が幕を開けたとき、世界ではヨーロッパに集まる5つの大国が権力をふるっていた。 オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ帝国、ロシア帝国、フランスそして英国。 列強による植民地争奪戦が行われていたものの、一方では各国間で協力関係も結ばれ、 1870年以降、ヨーロッパでは大規模な戦いは起こっていなかった。 ところが、今から100年前の6月28日、突如ヨーロッパの平穏は引き裂かれ、 暗い雲が世界を覆ってしまう…。 国々を戦いへ向かわせたのは一体何だったのか。 今号では、第一次世界大戦の開戦前夜に迫ってみたい。 参考資料:『八月の砲声〈上・下〉』 バーバラ・W・タックマン著、 『第一次世界大戦 忘れられた戦争』 山上正太郎著 ほか 写真上 © Imperial War Museum=以下IWM (Q 2978)、 写真下 © IWM (Q 5
蒸気機関車誕生への道 不遇の天才トレヴィシック 産業革命が進む19世紀前半、リバプールとマンチェスターの間で世界初の鉄道が開通した。 その立役者として知られるのが、「蒸気機関の父」ジェームズ・ワットと 「蒸気機関車(鉄道)の父」ジョージ・スティーブンソンだ。 だが、鉄道誕生に大きく貢献したにもかかわらず、2人の著名人たちの影に隠れ、 その存在を忘れられている人物がいる。 その男の名はリチャード・トレヴィシック。 時代に翻弄された彼の紆余曲折の人生を軸に、 リバプール~マンチェスター間に鉄道が走るまでの物語をお送りしたい。 「欧州の田舎」から「大英帝国」へ 1830年9月15日。 新たな時代への幕開けの瞬間を一目見ようと、多くの人々がリバプールのエッジ・ヒル駅に集まり、駅周辺は異様な熱狂と興奮に包まれていた。今か今かと待ちわびるなか、甲高い汽笛が響きわたった。煙管から煙を勢いよく吐き出しなが
日本地震学の父 ジョン・ミルン 3月11日、東日本を襲った地震と大津波の 想像を絶する破壊力に、世界中の人々が言葉を失った。 研究により約千年に1度の割合で、三陸地方が同規模の被害に 見舞われていることも報告され、改めて『地震大国』日本の苛酷な宿命に 思いをめぐらせた人も多いことだろう。 ところが、この日本で「地震学」が確立されたのはそう昔のことではない。 しかも、その礎を築いたのはある英国人だった。 名をジョン・ミルン博士という。 今号では同博士の多大な功績を取り上げたい。 (一番上メイン写真)シャイド・ハウスの書斎にて研究作業に没頭するジョン・ミルン。 (上)震災による被害を受けた日本の村 1876~1895年撮影。ともに©Carisbrooke Castle Museum ランカシャー訛りで質問攻め 1876年3月8日、ひとりの若き英国人科学者が明治政府の招聘で日本にやって来た。 政
自然史博物館を創った男たち ロンドンのサウスケンジントンにある自然史博物館は、 世界最大規模の生命科学・地球科学のコレクションを誇る。 19世紀後半、この大がかりな博物館建設のプロジェクトを実現させたのは、 3人の有能な科学者、政治家、建築家であった。 自然史博物館は言わば、この3人の男たちの情熱と信念と才能の結晶なのである。 今月のサバイバーでは、自然史博物館を創った男たちの物語をお送りしよう。 ◆◇◆ マンチェスターとロンドンで回り始めた歯車 ◆◇◆ 1861年秋。 イングランド北部のマンチェスターの町では、早くも木枯らしと呼びたくなるほどの冷たい風が吹くようになっていた。既に冬物のコートに身を包み、足早に事務所へと急ぐ1人の男の姿があった。右手に下げた書類カバンはずっしりと重く、男はそれを左手に持ち替えたが、それに自分でも気づいていない様子だった。男の頭の中には、今取り組んでいる数々
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