今から30年以上も昔、私が中・高生だった1970年代後半のお話。青木小夜子の「FMバラエティ」やタモリの「オールナイトニッポン」、野沢那智&白石冬美の「ナチチャコパック(パックインミュージック)」などを聴くのが楽しみだったラジオ少年が最初に買ってもらったラジカセがソニー製品(多分CF-1630)。実家のテレビもトリニトロン、‘79年のウォークマン登場でAV機器=ソニーブランドは確立された。同じ頃、地元福岡のスーパーは黒船ダイエーに駆逐され、郊外にはダイエーの大型商業施設が続々と誕生した。ついには獅子のいなくなった地に鷹の球団までをも誘致してくれて福岡はダイエーの城下町と化した。高校生の頃、いろいろ参考書に手を出したが、中でも気に入っていたのは『前田の物理』(前田和貞・著、代々木ライブラリー)。代々木ゼミナールの名物講師、前田和貞による独特な図解がとてもわかり易かった。本日のネタ本『じどうし
2月14日、半導体事業の「事実上の売却」を検討していることを明らかにした東芝。綱川智社長の衝撃の記者会見から一夜明けた15日、東芝の原子力事業に携わっていた元社員はこう呻いた。 「あの会社の裏切りがなければ……」 今から11年前、東芝は米原子炉メーカー大手のウエスチングハウス(WH)を買収した。売り手は1999年にWH を買収した英国核燃料会社(BNFL)である。 実はこの時、東芝にはパートナーがいた。総合商社の丸紅だ。米欧で電力自由化が本格化する中、IPP(独立発電事業者)として各国の電力市場に参入していた丸紅は、川上から川下まで一気通貫でエネルギー事業を手掛けるため、WHへの出資に意欲を見せていた。 WH買収の蔭にいた「兄弟」 資金調達力があり、外国企業との交渉にも長けた丸紅は、財務基盤の弱い東芝にとって心強い存在だった。まして当時の丸紅社長は勝俣宣夫。東京電力社長、勝俣恒久の弟である
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