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ブックマーク / www.edu-kana.com (1)

  • 寄稿 関東大震災と朝鮮人虐殺 後藤周

    東大震災 (1923年 9 月 1 日) は関東地方に大きな被害をもたらしました。 とりわけ横浜市は中心部が壊滅し、 市内95%が倒壊・焼失、 死者・行方不明者26,600人、 住民の92.4%が罹災する大災害となりました。 県庁、 市役所、 そして 7 つの警察署のうち 6 署が倒壊・焼失し行政は機能せず、 救援、 治安活動の最もおくれた地域でした。 このような状況の中で、 1 日夜には市南部の避難地では 「朝鮮人が襲ってくる」 という流言が生まれ、 朝鮮人虐殺が 2 日、 3 日と全市に拡大します。 流言から虐殺という動きは東京、 千葉、 埼玉など関東地方全域で起こり、 多数の朝鮮人が虐殺されました。 関東大震災の朝鮮人虐殺について、 できるだけ横浜の事実を見ながら考えてみたいと思います。 1. 朝鮮人虐殺の実相 横浜には大震災の後に小学校で書かれた子どもたちの作文集が残っています。

    whalebone
    whalebone 2013/09/01
    横浜開港資料館に作文の展示があったが、当たり障りのないページが開いてあった/文末にある『震災美談』は近代デジタルライブラリーで公開されている http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/981895
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