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Wikipediaと津波に関するwhaleboneのブックマーク (5)

  • 山下文男 - Wikipedia

    山下 文男(やました ふみお、1924年 (大正13年)1月16日- 2011年(平成23年) 12月13日)は、いわゆる「津波てんでんこ」を広めた日の津波災害史研究家。元日共産党中央委員会文化部長。『津波ものがたり』で「日自然災害学会賞」功績賞、「平成15年度防災功労者表彰」などを受賞。[1] 岩手県気仙郡綾里村(現大船渡市三陸町綾里)出身。1896年の明治三陸津波では、山下の祖母ら親族3人を含む一族9人が溺死した。1933年の9歳の時にも昭和三陸津波に遭い、高台に登って難を逃れた。この時期の昭和東北大凶作も体験している。 1967年の善隣学生会館事件について、「井上清の中傷に答える 厳然たる事実にもとづいて」を著し、歴史学者井上清による日共産党と日中友好協会への批判に反論した[2]。1970年代には日共産党中央委員会文化部長を務め、民社党委員長春日一幸の発言に端を発した日

  • 慶長三陸地震 - Wikipedia

    慶長三陸地震(けいちょうさんりくじしん)・慶長奥州地震は、1611年12月2日(慶長16年10月28日)、現在の青森県、岩手県、宮城県を襲った地震。慶長奥州地震とも呼ばれる。震源や地震の規模については諸説ある(詳細は後述)[注 3]。 概要[編集] 発生時刻は、『政宗君記録引証記』には1611年12月2日(慶長16年10月28日)、巳刻過ぎ(10-11時頃)、『慶長日件録』には午刻(12時頃)、『言諸卿記』には辰刻(8時頃)大地震とあり、史料によるバラつきが大きい。また『武藤六右衛門所蔵古文書』には「大地震三度仕」とあり、3度大きく揺れたことになり、午前中に複数回の大地震が発生したと解釈できる[3]。 津波襲来時刻は、『宮古由来記』では昼八ツ時(午後2時頃)に大津波(現地時間)と記録され、『小家記録』は昼七ツ(15時頃)とある。当時、日を探検中のビスカイノらも、奥州沿岸の測量中に地震と

    慶長三陸地震 - Wikipedia
  • 津波てんでんこ - Wikipedia

    津波てんでんこ(つなみてんでんこ)は、津波からの避難についての標語ないしは合い言葉である。 「てんでん」とは、「てんでに」や「てんでんばらばらに」という意味で、「津波てんでんこ」とは、薄情なようではあっても、「てんでんばらばらに急いで早く逃げよ」という、津波から逃れるための教えである[1]。 三陸地方では昔から「津波起きたら、てんでんこだ」と伝えられてきた。 東日大震災以前から釜石市に伝わってきた用語としては、「命てんでんこ」、「命てんでん」、「命てんでっこ」、「命てんでんっこ」や単に「てんでんこ」などがあった。三陸海岸で津波避難の標語に転化したのは、明治三陸地震(1896年(明治29年)6月15日)の津波の頃からと言われている[2]。 山下文男(1924年生まれ、現在の大船渡市三陸町綾里出身)の父親は、その祖父からこの言葉について聞かされていたという。山下と同様に三陸の津波災害を語り継

  • 君沢形 - Wikipedia

    君沢形一番船「ヘダ号」の絵図。ロシア人によって運用中の状態が描かれており、ロシア海軍の軍艦旗を掲揚している。 君沢形(きみさわがた、くんたくがた[1])は、幕末に日の君沢郡戸田村などで建造された西洋式帆船の型式。原型は、下田沖で難破したロシア船員帰国用に戸田村で建造された「ヘダ号」で、同型船10隻を日で使用するために量産した。帆装形式はスクーナーに分類される。ヘダ号の名は戸田村に由来し、君沢形の名前は戸田村が属した君沢郡に由来する。ヘダ号及び君沢形の建造は、日人にとって、洋式船の建造技術を実地で習得する重要な機会となった。なお、「君沢形」の名は、同型船に限らずスクーナー全般をさす一般名詞としても用いられることがある[2]。 1854年10月21日(嘉永7年8月30日)、日露和親条約の締結交渉のため、ロシア帝国のエフィム・プチャーチン提督はフリゲート「ディアナ」で来日した。しかし、下田

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  • 八重山地震 - Wikipedia

    八重山地震(やえやまじしん)は、1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時頃に八重山列島近海を震源として発生した地震である。 この地震が引き起こした大津波により先島諸島が大きな被害を受けた。この大津波は、牧野清による『八重山の明和大津波』(1968年)[4]以降、日の元号を取って明和の大津波とも呼ばれている[5]。 概要[編集] 地震発生のメカニズムは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むために生ずる、歪みがもとで発生した海溝型地震と考えられており、地震によって発生した海底地すべりが大津波を引き起こしたとされる[6][7]。 東北大学災害科学国際研究所の調査によれば、津波で陸に打ち上がったと伝えられるサンゴ巨礫(津波石)を南西諸島の10の島において調査した結果、高波に由来する巨礫が全域に分布するのに対して、津波に由来するものは宮古列島や八重山列島に限られ、それよ

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