NHK2016年の大河ドラマ『真田丸』も、いよいよ佳境を迎え、真田幸村と徳川家康の一騎打ちも迫ってきた。そんなクライマックスの舞台に用意されている大阪夏の陣には、ちょっと信じがたいミステリアスな伝承が存在することをご存じだろうか。それは、「徳川家康は、大坂夏の陣で後藤又兵衛の槍を受けて戦死していた」という“もう一つの史実”である。 そんなことを言えば、「家康が死んだのは夏の陣の翌年で、駿府城で食したてんぷらにあたったからじゃ?」「後藤又兵衛なら、道明寺の戦いで片倉重綱の鉄砲部隊にやられているはずだろ?」という反論の矢が飛んできそうだが、大阪・堺市にある南宗寺には、“家康は夏の陣で死んだ”ことを思わせる数々の遺物が存在するのだ。果たして、家康は本当に夏の陣で命果てたのか?歴史の深い謎を検証する。 ◆大阪夏の陣 大阪夏の陣は、慶長20年(1615年)5月6日と7日の2日間にわたり、徳川幕府軍と