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lifeと増田に関するwhirlのブックマーク (232)

  • チック・コリアについて語るよ(追記)

    タイトルは釣り。俺はニワカなので彼のことを語れるほどには知らない。 でも彼の訃報がなぜか受け入れられないのでなんとなく吐き出してみる。語るのはチック・コリアのことではなく俺の心情である。 チック・コリアはアメリカ生まれのジャズピアニストだ。体重はたしか173ポンド。 2/12(金)、Facebookで公表された彼の死は世界中のジャズファンに衝撃を与えた。79歳、癌だった。 彼の経歴は華やかで、功績も語り尽くせないだろう。 若いころからスタン・ゲッツやハービー・マンなど有名なジャズマンと共演し、数々の名演を残した。 特にマイルス・デイヴィスとのバンドは音楽史に刻まれるべき出来事だろう。フュージョンの先駆けとなるサウンドを作り、フュージョンを開花させ、音楽の幅を広げた立役者の一人であり、新しい音楽が花開いた時代を牽引したバンドのひとつだと思う。 スペインやラ・フィエスタなど、ジャズや吹奏楽に興

    チック・コリアについて語るよ(追記)
  • ずっと当たり前に憧れている

    20代半ばの女。田舎生まれ母子家庭で兄がいる。 周りの人は知っているのに私だけ知らなかった経験がたくさんあるので紹介させて欲しい。 ・お箸の持ち方を知らなかった。給べていて同じ班の女の子に言われた。親に相談したところ、自分自身が子供の頃に箸の持ち方について母(私から見たら祖母)に注意され気分が悪かったので、あえて私には注意しなかったらしい。ちなみに鉛筆の持ち方は授業で教えてくれたので知ってた。 ・口を閉じてべることを知らなかった。今ではクチャラーと呼ばれているやつだ。これもまた同じ班の女の子に指摘されて、最初は何がダメなのか理解できなかった。この女の子には嫌われていたので他にもズバズバ指摘をもらった。こんなマナーもへったくれもない私と話すのはさぞ気持ち悪かっただろうに当に感謝している。ありがとう。 ・喉を鳴らさずに飲み物を飲めなかった。無意識に喉を鳴らしていたらしい。これは習い事

    ずっと当たり前に憧れている
  • 100キロを超えてるくせに運動でやせようとしているデブにこれを読んでほしい

    いいか。 デブはまず事制限だ。 間違っても運動でやせようとするな。せめて90kg切るまでは事がんばれ。 かけてもいいが、デブの運動はちゃんとパートナーやトレーナーがついてない限り3か月以上続かない。 職業柄いろんなデブを見てきた俺が、特にダメなデブを紹介していく。 ジョギングするデブは自己評価高すぎまずコレ。100キロ越えてるデブのくせに毎日ジョギングとか言ってるやつ。 あのな。それができるならお前は今そんなに太ってないんだよ。 あとジョギングはリバウンドが一番きついのでジョギングやめた後それ以上に太る。 絶対にやめろ。 筋トレしたがるデブは自分の身体を粗末に扱いすぎ次。デブのくせに筋トレとか負荷が高い運動やってるやつ。 救いようのないバカ。 1か月続けられないことを保証するわ。 1か月続けたら続けたで膝が壊れて余計デブになる。 そういうことを考えられないくらいバカだからお前は今デブな

    100キロを超えてるくせに運動でやせようとしているデブにこれを読んでほしい
  • 防犯カメラの死角を必死で探したことがある

    実家に帰ってきて親のいない茶の間で水ようかんをべていたら、この家でこんなにしずかな時間を過ごすのは久しぶりだと気づいた。 それは両親が旅行(といっても彼らも私も都民なので県をまたいだ移動をするのは悩ましく、近場のホテルをとって普段よりすこし贅沢みたいなことをしている)で不在にしているのはもちろん、私が人との同棲結婚離婚を経てひさびさにひとりになったからというのもある。 10代後半から20代前半にかけては、親の不在期間はそのまま、好きな男の子を家にこっそり連れ込むためのタイミングだった。 いま、ひどいときには収入が5ケタになるような弱小フリーランスの私とはちがい、両親は当時から地に足のついた仕事をしており、なおかつ良くも悪くもバブル世代的な人たちだった。10年ほど前、実家の駐車スペースには黒くでかいベンツと流線形の銀色の外車が並んで置かれていて、家族である私から見てもそれらは笑ってしま

    防犯カメラの死角を必死で探したことがある
  • ハチャメチャに愛されて育った

    私はサンタを12歳まで信じていた。両親は当に私を大切にして甘やかして愛して育ててくれた。 父は私のことをシンプルに溺愛している。頭の中の9割以上は娘のことを占めていると思う。「お父さんはいつも娘の幸せを願っているよ」とか素面で言い出すから涙が出る。 母は「道を外れた事しなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「私が私である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてメチャメチャ愛が深い。 とにかくとにかく、もうハチャメチャに愛されて育ったので、私は人から愛される努力をしなかった。そして半端に頭の出来が良かったので適当に生きても高校生までは特に何も困らなかった。まあ半端なので大学入試まではこなせなかった。 「浪人したい。一年頑張るから」と言ったら私を信じてそこそこ投資をして浪人させてくれた。ろくに勉強せず適当な私文へ。 「就活めんどくさい。勉強は嫌いじゃないし公務員試験受ける」と

    ハチャメチャに愛されて育った
  • 山本山のほうじ茶

    もうすぐで70になろうかという母が「日橋まで山山のほうじ茶を買いに行きたい」と言い出した。 欲しいのは、3年前に友達のHさんと日橋に行った際にお勧めされて買った、店舗限定お徳用ほうじ茶で、通販はしていないらしい。 確かに数年前、母が「やっぱり専門店のほうじ茶は味が違う」とやたらと騒いでいたことを思い出す。 母はガラケー使いで方向音痴だ。コロナウイルスの蔓延する最中、余所様に道を尋ねるのも申し訳ないと言う。 仕方ないので、店舗限定お徳用ほうじ茶1パックの報酬で、人間Google Mapとしてお供することになった。 あっさり山山に着いたが、母は「こんなに白い店じゃなかった」と宣う。「店のイロチとか知らんがな」と薄情なムスメが考えている間に、母は店員さんに「この店、昔からこんな色でしたか?」と、老人性の申し訳ない質問をしていた。どうやら、このお店は2018年の秋にできたらしい。そうなると

    山本山のほうじ茶
    whirl
    whirl 2020/12/23
    個人的には山本山も海苔屋のイメージではある
  • きょうだい児だけど結婚したい話

    結婚を考えている相手がいる。 都内の職場で恋に落ち、しばらくして同棲し、時々どちらが皿を洗うかでケンカしながらも、それなりに暮らしている。 しかしこの結婚には大きなハードルが1つある。 1人で抱え続けるのも少し疲れたのでちょっと聞いていって欲しい。 それは私がきょうだい児であること。 兄弟姉妹に障害を持つ人がいる人のことをきょうだい児と呼ぶらしい。 私は2人兄妹で、5歳上の兄が生まれつき軽度〜中度の知的障害を持っている。 関西の実家で両親と3人で小さな家に住んでいる。 簡単な読み書きは出来て、なんなら私より綺麗な教科書通りの字を書く。 電車が好きで、休みの日には色鉛筆を駆使して私鉄の電車の絵を描く。 普段は一般企業の障害者雇用枠で働いていて、実家から毎日電車に乗って通勤して、多くはないが毎月給料を得ている。時々会社から製品の割引クーポンが送られてくると家族に分け与えてくれる。 父とサッカー

    きょうだい児だけど結婚したい話
    whirl
    whirl 2020/12/02
    親兄弟とはいえ他人ですので増田のことを薄情だとは思わないよ
  • 客にゴマを擦らせるトンカツ屋

    コロナ以降、自宅謹慎の影響で全く外していなかった。 外禁止を破るならあそこ、と決めていた外屋があった。 近所のトンカツ屋だ。実は一回も行ったことは無かったのだが、以前から気になってはいた。 コロナなのに毎日元気に営業している姿を見て勇気や元気を貰っていた。佇まいも良いし、雰囲気も好きだなと思っていた。 そこで先日、満を持してトンカツ屋に行ってきた。 トンカツを頼むと、何故かまず初めに小さなすり鉢に入ったゴマが出てきた。 すりこぎもついている。ほお、ゴマを擦れってか。 何の気無しにゴマを擦り始めた。ブチブチとゴマが割れていく。ある程度擦ったら粉末状になった。 さらに擦っていくと油が出てきてしっとりしてくる。 トンカツ屋ってどうしても出てくるまで時間がかかる。 でもゴマを擦っていると手持ち無沙汰が無くなって良い。 ゴマの擦り方によって感や風味が変わってくる。 たくさん擦りたい人、そのま

    客にゴマを擦らせるトンカツ屋
    whirl
    whirl 2020/11/26
    文句の一つでも言っているのだろうと思って開いた俺は心が汚れているのだなあ
  • 中学生一年かの昼休みにクラスの後ろの方で、男どもが盛り上がって誰かを..

    中学生一年かの昼休みにクラスの後ろの方で、男どもが盛り上がって誰かを胴上げしていた。 楽しそうだったので僕も無邪気に参加したあとに訳を聞くと、どうやらクラスの加藤くんが女子に告白して成功したらしい。 めでたい事だなあと感心していたら、どうやら相手の女子は僕の右隣の席にいる神前さんらしく、加藤くんは僕の左隣の席だったようだ。 つまり僕の席はできたてホヤホヤカップルの間に挟まれる形になっていた。 その奇妙な構図はクラス中の注目(胴上げするほど騒いだから誰でも知ってる)を集め、僕は周りの目線にとても恥ずかしい思いをしたことをよく覚えている。 左からの熱い視線に緊張する僕は、とにかく加藤くんの怒りを買わないように、隣の神前さんは丁重にお取り扱いをすることに決めた。 神前さんは僕の班の班長で、一気でハキハキした明るい女の子だった。 儚く守ってあげる存在ではないが、勉強は得意でないようだったので親切

    中学生一年かの昼休みにクラスの後ろの方で、男どもが盛り上がって誰かを..
  • 追記/妻が合理的すぎて嫌だ

    多分他人からしたらめちゃくちゃ些細なことだろうが、家の器が全てプラスチック製なのが気持ち悪い。 安くて軽く、割れることもないので雑に使える 共働きでお互い忙しい我々夫婦にとっては実に合理的だ。 でも考えても見て欲しい。ペラペラのプラ皿でカレーべる気持ちを。味気なさすぎる。子供会の催しかと突っ込みたくなる。小さい器棚にスタックされた皿々のみすぼらしさと言ったらない。料理は好きでよくするが、プラ皿に盛り付けるのではテンションが上がらない。 それから弁当。これは毎朝交互に作っているんだが、はおかずを使い捨てのスチロール容器に入れる。おかずと言っても茹で野菜1つと焼いた肉1つという簡素なものだが。俺の職場では弁当はみんなでべるので恥ずかしい。しかし、これも忙しいだから仕方ない。使い捨て容器は1つ10円そこらの容器で弁当箱を持って帰って洗う手間が省けるなら安いものだ。合理的だ。 それか

    追記/妻が合理的すぎて嫌だ
    whirl
    whirl 2020/10/09
    それは合理性なのか?という
  • 同人誌作ってたおばさんのとある反省文

    趣味でつながってる仲間に年齢差はない、みたいなこというの、ほんとやめてほしい。 それを信じていたせいで、ずっとイタイおばはんになってるのに気付かなかった。 私はアラフィフ、ハッキリ書くと54歳で、もう紛れもないババア。 30代40代のコが卑下してババアとかいうのとは違う、正真正銘、タテヨコ斜め前後左右どこから見ても完全なババアなんだけど、ちょっと前まで、20代30代の趣味を同じくする若い女の子達といっしょにごはんとかべたりしてた。自分から誘うこともあったし、グループLINEとかで参加を呼びかけてる飲み会とかイベント後の打ち上げに参加することもあった。 参加の方はまだしも、自分から若いコ誘うなんてイタイよねって今ならわかる。 でも去年くらいまで気付かなかったんだよね…。 趣味は、少年漫画二次創作ジャンプ系の漫画やアニメの二次小説とか漫画とかを書いて、pixivに投稿したりコミケとか赤ブ

    同人誌作ってたおばさんのとある反省文
    whirl
    whirl 2020/10/05
    もっといろいろ楽しんでいただきたいような気もするが
  • 幼少期に性的な被害にあった男の今

    女性に対する性的暴行のニュースを見ると自分のことのようで心が痛みます。 自分の経験を元に、男性の被害実態も知ってほしくて書いてみました。 男性の被害は声を上げづらいと思うので、こういうときに匿名サービスがあるのは当に助かります。 幼少期から度々性的暴行の被害にあいました。 大きく分けて3回。 小学生低学年、高学年、そして中学生の頃です。 最初の被害は小学校1年生のとき、5つ年の離れた姉によるものでした。 べ物やさんごっこと題して、姉がお客さん役、自分がべ物役でした。 姉はべ進むたびにわたしの服を脱がせ、最後に裸になった時点でべ終わったことにして終わります。 局部を直接触れられることもありました。 親は共働きで日中家にいませんでしたので、姉と二人での留守番の間、1日に数回、1ヶ月ほど続きました。 なんとなく恥ずかしい感じはありましたが、そういう遊びだと姉に言われれば従わざるを得ませ

    幼少期に性的な被害にあった男の今
  • ニチレイのフード自販機の思い出

    ニチレイのフード自販機がそう遠くない将来にサービスを終了するかもしれない、という記事を読んだ。 「ニチレイのフード自販機終了」という文字に、昔のことを思い出したので書く。 中学生になって数ヶ月した頃、父親の勤める会社が倒産した。 ただでさえ裕福でなかった家庭(市営住宅に住み、両親共働きで、年1回の家族旅行なんていうものもなかった)で、それはかなりの衝撃だった。 だけど、落ちるときはとことん落ちる。 職を探す、と言っていた父親は職にありつく前にストレスや不摂生から持病をこじらせ、入院した。 ただでさえ苦しい生活費にさらに上乗せされた入院費に文字通り頭を抱える母親は、精神的に強くはなく、度々そのストレスを私に向けるようになった。 家に家族といるのがしんどくて仕方ない。家族が揃う毎晩がまるでお通夜のような、そんな思春期の1年間だった。 そんな時に限ってテレビはセレブブームで、誰ともなく番組を消し

    ニチレイのフード自販機の思い出
  • ひとまわり上の41歳の女の先輩を好きになった

    タイトルの通り。 私は29歳男。 今年の春、今の会社に転職した。 そこにいたのがその先輩。 転職先は以前いた会社とは全然業種が違うので、仕事を一から教えてもらっている。 初めは、優しい先輩だな。お姉さんって感じ。ぐらいに思っていたが、少し天然な感じと、仕事中たまにお菓子をべる姿を見てキュンとしてしまった。 雑談でわかったのが、 その先輩は独身で実家暮らし。 両親の軽い介護も担ってる様子。 こちらから何か行動を起こしたいが、 なにぶん入ったばかりの会社。 当は社内恋愛なんてリスクを取らず、違うコミュニティで恋愛をした方がいいとはわかっているが、好きになってしまったんだよね。 コロナで外に誘うのもはばかられるし、万が一それが原因でコロナにでもなったら向こうの両親も大変だ。 さて、どうしたもんか。 これから仕事だ。 今日も隣の席に彼女はいる。

    ひとまわり上の41歳の女の先輩を好きになった
  • ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よ..

    ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よんどころない事情で小さい頃からじーちゃんとばーちゃんと暮らしてたんだけど、当たり前のように貧乏だった。 田舎のじーちゃんばーちゃんだから、買ってくれる服やおもちゃのセンスも微妙に変で。 私はたまにわがままを言ったけど、幼いなりに家庭の事情もうっすらわかってたから、あんまり無茶は言わないようにしていたような覚えがある。それでもじーちゃんばーちゃんは困ってたかもしれないけど。 とある年の12月、私が通ってる保育園でクリスマスパーティーをする予定で、その年はみんなパーティーはおめかししてきてねってことになってた。 ばーちゃんはお迎えで先生におめかしの話をされた後、帰り道で「お金もないし、あんたはすぐ服汚すからどうしようかね」と言った。そこで私はかわいい服は買ってもらえないんだと察して拗ねて、それでも帰ってからばーちゃんと2人で手

    ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よ..
  • 妹の緊急避妊に立ち会った話

    ‪私と妹には大きな断絶があった。 母から未だに「あの頃のお前たちは喧嘩の途中から姉妹で殺し合うんじゃないかと思わせるくらい憎みあっていた」と言われるほどに。 勉強ができて中高と国立に入り賢い賢いと言われた私を見ていた妹は、地元の中学から私学への指定校推薦を勝ち取って高校へ入学した。 「金がかかるけどお前は勉強ができないし仕方ないな。先生に媚び売って内心稼げる人当たりがあって良かったな」と妹は父から言われていた。 推薦で高校に入るにはおべんちゃらだけでは叶わない。 妹もきっとたくさん努力をしたけど、専業主婦家庭だった我が家では、稼ぎ頭の父の言うことが全て正しかった。 だから、妹は「先生に媚びを売って大学付属の私学に入ったしたたかな女の子」だった。 その頃の姉妹喧嘩はいつでも「賢いだけの堅物の姉」vs「したたかで気が強く感情の起伏が激しい妹」だった。 殴り合いもしたし、一度喧嘩したら数日どころ

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  • ほぼ叔父に育てられた

    父親はモラハラで母に興味が無く気まぐれに私を殴り 母親はアル中で不倫中毒で家事一切しない 共働きで父母どちらも炊事洗濯掃除全くしない そんな家庭で育った 乳幼児の頃から当に叔父に助けられて育った 叔父は母の年離れた弟で叔父が大学生の時に私が生まれた 私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい) それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた 高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった 小学校入学とともに父母に引き取られた 地獄だった 叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした 母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんがべられて嬉しかった 10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことが

    ほぼ叔父に育てられた
  • オタクだけどオタクになりきれない

    俺はオタクだと自認して生きてきて既に30歳を超えたが、時々「俺は当にオタクなのか?」という疑問を抱く。 アニメは好きだ。親父がオタク気質だった事もあり小学生の頃から年上向けのアニメや古典と言えるアニメも自然と見てきた。 中学生になり小遣いが増えるとそのほぼ全てを漫画やラノベに費やしたし、 自室にPCやネット環境もあったんでネット老人会と呼ばれる文化にもギリギリで滑り込んだ。 高校生になり無事に孤立した俺はMMORPG廃人と化して後、ボトラーとなった自分の業の深さに恐れおののきガリ勉に転生して国立大に入ったが、 どこに行こうとボッチはボッチ、これからはニコニコ動画が覇権を取ると信じてネットの海を一人で漂っていた。 根暗でボッチでオタク文化漬け。どう見てもオタクである。 しかし何と言うか、社会人になってある程度人付き合いが出来る様になり、オタクを自負する人物と交流する内に、自分はそれほどオタ

    オタクだけどオタクになりきれない
    whirl
    whirl 2020/04/13
    「完全に理解した→なにもわからない→チョットデキル」的な進化というか自分にはあんな情熱はないみたいな気分になるのは本質的にはオタクだからなんだと思いますよ
  • コスパの良い贅沢

    ティッシュを鼻セレブにする 毎朝のパンを高級生パンにする こういうの教えて

    コスパの良い贅沢
    whirl
    whirl 2020/03/24
    何か一つ毎日使うもののグレードをあげる。それが何かは人それぞれというか。タオルとかはわりと違う感が出るので好きです。
  • 精神疾患の父に友だちができた(追記あり)

    精神疾患をもつ父親に友だちができ、家族一同毎日小躍りしている。うれしくてたまらない。 還暦を過ぎたいい大人の人間に友達が一人できたぐらいで何を大げさな、と思う御仁もあるかもしれないが、 今回ばかりは許してほしい。何せ父に友だちができたのだ。それもまともな友だちが! 父は30年以上前に統合失調症と診断され、以来入退院を繰り返している。精神疾患を抱えながらも、私達子供をわすために 無理に働きに出てはクビになり、体調を崩して入院するという生活が10年近く続いた。そのたびに父は激しい劣等感と自尊感情の低下に 苛まれ、ことあるごとに私たち家族に「ごめんなあ、ごめんなあ」と言っていた。 私の記憶の中の父は、いつも縁側でタバコを吸いながら力なくうなだれていた。 父はとても優しく、人のことを悪く言わないという美点がいくつもある反面、口下手で気が弱かった。 そのため、精神病院の少々ガラ悪めの人々にしょっち

    精神疾患の父に友だちができた(追記あり)