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ブックマーク / whitecat-kat.hatenablog.com (167)

  • 国鉄労働組合史詳細解説 96 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 今回は、昭和59年2月以降の国鉄の動きについて、国鉄の部内誌などを参考に書かせていただこうと思います。 なお、組合視点の記事については、次回、組合史詳細解説 96-2として書かせていただきます。 ご了承ください。 約2万5千人の余剰人員 昭和59年の輸送システム改廃で国鉄では数多くの過剰人員が発生しました。 国鉄側の資料などによりますと、 計画 29,800人 実行 43,500人(+14,300)と当初計画よりも合理化が進んでしまいました。 退職予定者 22,000人 退職予定者が、当初の見込みを下回った原因は、年金支給開始年齢が55歳から56歳に延伸された為です。 この両者の差の約21,500人が58年度中に新たに発生した余剰人員であり,これに昨

    国鉄労働組合史詳細解説 96 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/10/09
    昭和59年2月以降の国鉄の動きについて、国鉄の部内誌などを参考に書かせていただこうと思います。#国鉄#昭和史#労働運動
  • 国鉄労働組合史詳細解説 95 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 当局の人員削減対策 国鉄の余剰人員は、昭和57年に退職のピーク以降は緩やかな減少を辿り、国鉄の監査報告書によると、59年度期首に於ける余剰人員(過員)は、24,500人となったと報告されています。 今後も合理化で、更に余剰人員(過員)が発生するため、その対策として、当局は、一時帰休制度や退職前提の休職制度などを提案してきます。 昭和58年監査報告書 134ページを抜粋 退職前提の休職や、派遣制度の導入 退職制度の見直し ① 退職条件=56歳以上の者の特別昇給は行わない。 ② 在職条件=55歳以上のものの定期昇給、ベア、昇職・昇格は行わない。 職員の申し出による休職 退職前提の休職の適用条件として ① 55歳以下であること ② 復職前提の休職期間又は派遣期間満了日から1年以上経過して

    国鉄労働組合史詳細解説 95 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/09/23
    59年度期首に於ける余剰人員(過員)は、24,500人となったと報告されています 今後も合理化で、更に余剰人員(過員)が発生するため、その対策として、当局は、一時帰休制度や退職前提の休職制度などを提案してきます。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 94 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中相互で読者登録しませんか? ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 日も国鉄労働運動史を底として、昭和59年2月以降の労働運動について見ていきたいと思います。 構造的な余剰人員【過員】問題 過員の問題は、昭和58年頃から顕著になってきたようで、運転職場などでは一足先に昭和57年頃から、発生していたと思われますが、国鉄部内誌、国鉄線 昭和60年1月号の記事によりますと、天王寺鉄道管理局では昭和58年12月21日に実施された、CTCの使用開始に伴い、余剰人員が発生したと記述されています。 国鉄があった時代を参照しますと、下記の記述を見ることが出来ます。 紀勢線 亀山~新宮間、参宮線 多気~鳥羽間CTC使用開始 12/21 国鉄大阪電気工事局と天王寺鉄道管埋局が57年10月から60億円を費して行った紀勢繰亀山~新宮間と参宮線

    国鉄労働組合史詳細解説 94 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/08/27
    過員の問題は、昭和58年頃から顕著になってきたようで、国鉄部内誌、国鉄線 昭和天王寺鉄道管理局では昭和58年12月21日に実施された、CTCの使用開始に伴い、余剰人員が発生したと記述されています。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 93 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 過員の発生と組合運動 国労の資料だけで見ていると見えてこない部分も多いのですが、「職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。」 と書かれていますが、大原社会問題研究所の「日労働年鑑 第55集 1985年版」を参照しますと、国労主流派であった民同左派が、昭和58年8月19日から23日まで開催された、定期大会では下記のような発言をしたと記録されています。 大合理化、分割・民営化にたいして、「労働者に犠牲をもたらさないかぎり、効率化を一面的には否定しない」との独自の「効率化」を模索し、前年の方針を踏襲した「長期抵抗路線」でたたかうとの運動方針を、議論のすえ、原案どおり採択した。また、武藤久委員長、山崎俊一書

    国鉄労働組合史詳細解説 93 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/08/13
    国労の資料だけで見ていると見えてこない部分も多いのですが、「職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。」
  • 国鉄労働組合史詳細解説 92 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 日も、国労運動史を底として、検証を深めたいと思います。 任期途中で交代した高木総裁 仁杉総裁は、第8代高木総裁の後任として昭和58年12月2日に就任しています。 その背景には、高木総裁が、臨調の分割民営化に対して、批判的であったこともその要員と言われています。 当時の高木総裁の考え方では、国鉄は公共財であると言う考え方が根底にあり、国鉄を処分することに対して非常に批判的でした。 その辺が当時の中曽根首相には面白くなかったというところでしょうか。 中曽根首相の中には、そうした意味では、「総評を潰すのが目的であった」と言う発言も理解できるような気がします。 中曽根首相としては、元国鉄常務理事で前鉄建公団総裁の仁杉巌氏を第9代国鉄総裁に任命したのでした。 仁杉氏の略歴は、下記の通りです。 仁杉総裁略歴 国

    国鉄労働組合史詳細解説 92 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/08/03
    高木総裁は、臨調の分割民営化に対して、批判的であったこともその要員と言われています。 当時の高木総裁の考え方では、国鉄は公共財と言う考え方が根底にあり、非常に批判的。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 91-2 - 日本国有鉄道 労働運動史

    今回は、労働運動視点というよりも、国鉄の再建計画と臨調と言う視点に立って考えていきたいと思います。 第2臨調が始まったのは昭和56年3月であり、財政再建を旗印に掲げたものでした。 当時は3k赤字(国鉄・米・国民健康保険)と呼ばれる赤字補?が問題視されていました。 特に、国鉄の赤字額は増大で、利子を払うために新たな借金をすると言う自転車操業に追われている状況となっていましたが、その多くは来であれば国が整備すべき若しくは税金で補填すべき部分に対しても過剰な国鉄への依存や短期鉄道債券による資金調達などの問題(新線建設などの場合30年40年と長期にわたり費用の償還等が発生するため資金調達もそれに合わせた長期かつ低廉な資金で調達すべきところですが、これを最短6年ほどで償還する鉄道債券などで調達していたことなども一つの原因ではないかと考えています。建設途中に償還期間がくるため新たな債券を発行するなど

    国鉄労働組合史詳細解説 91-2 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/07/13
    今回は、労働運動視点というよりも、国鉄の再建計画と臨調と言う視点に立って考えていきたいと思います。 第2臨調が始まったのは昭和56年3月であり、財政再建を旗印に掲げたものでした。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 90-2 - 日本国有鉄道 労働運動史

    貨物事業縮小の陳情に対する当局の態度 再び当時の国鉄の資料を参照しますと、国鉄としては陳情に対して、下記のような対応策で応じていきたいと回答しています。 少し長いですが、全文引用させていただきます 四、陳情と対応策 陳情内容をいろいろな角度から述べましたが、陳情に対して私どもがどう対応しているか述べてみたいと思います。 貨物取扱駅存続460駅体制は、物流のまとまりを考えて組んだものであり、この駅体制と直行システム化は、言わば車の両輪であり、貨物取扱駅の存続はできない。 輸送ルート確保の車扱については、一定のまとまりのある区聞に限定して直行列車を設定しているので、輸送量の少ない区間には送れないことになる。しかし、コンテナでは、ほぽ全方位の輸送を確保するととにしている。 コンテナ輸送のメリットを最大限に発揮させるため、拠点駅への通運免許の付替、通返事業者等の集配力の強化、長距離区間貨物取扱駅が

    国鉄労働組合史詳細解説 90-2 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/06/04
    再び当時の国鉄の資料を参照しますと、国鉄としては陳情に対して、下記のような対応策で応じていきたいと回答しています。当時の資料としてみていただければ幸いです。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 90 - 日本国有鉄道 労働運動史

    当局の輸送改変の不当性を訴え、荷主の要望を集約する運動に出た国労 国鉄が、昭和59年2月の改正に向けて行った輸送改変に対して、組合としては、「国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる」として、「荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。」とした運動方針を打ち立てるのですが、元々国鉄労働者の度重なるストライキにより、荷主が離れていった現状にあって、これはどうなんだろうかと思ってしまうのは私だけでしょうか。 「国鉄貨物輸送の問題を国民生活面や産業・経済活動・交通公害などの問題として社会問題化させ、政治的課題にまで押し上げる運動を通じて、国鉄貨物問題を赤字や黒字という財政的課題にまで押しあげる運動を通じて、国鉄問題を赤字や黒字

    国鉄労働組合史詳細解説 90 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/05/24
    国鉄が、昭和59年2月の改正に向けて行った輸送改変に対して、組合としては、「国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるよか否かが、重要
  • 国鉄労働組合史詳細解説 89 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 地方都市圏で導入された「都市型ダイヤ」 国鉄は、昭和59年の大幅な輸送改善、【システムチェンジ】を提案してきましたが、最も大きな点は地方都市に於ける都市型ダイヤの導入でした。 59年2月の改正で、ヤード系輸送の廃止ばかりが目立ちますが、昭和57年11月の改正で広島地区のダイヤを列車形ダイヤから都市型ダイヤに変更して試行した結果顕著な結果でがでたことから、全国的に地方都市圏でも広島方式が検討されることになりました。 国鉄線 昭和58(1983)年12月 主要中核都市圏の輸送改善例から引用 この結果を受けて国鉄では下表のように、広島形の都市間輸送を行うこととなりました。【61年11月改正は省略】 (1)旅客輸送、① 都市間輸送=山陽・九州の急行、九州内の特急の需要に応じた見直し。北海道

    国鉄労働組合史詳細解説 89 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/05/15
    国鉄は、昭和59年の大幅な輸送改善、【システムチェンジ】を提案してきましたが、最も大きな点は地方都市に於ける都市型ダイヤの導入でした。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 88 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 貨物合理化で職場を奪われる組合員 今回は、「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物合理化が計画について、国鉄当局側に資料などを参照しながらお話を進めたいと思います。 今回の貨物輸送合理化により、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となるころから、動労としては既に、労使対決から協調路線にその軸足を移していましたのでさほど大きな反対運動にはならなかったのでは無いかと推測していますが、国労にとっては保守基地の再編成による要員縮減は、直接組合員の減少に繋がるため、強く反対せざるを得ませんでした。 国鉄貨物の衰退は、どこにあったのか? 貨物輸送は、昭和45年から減少に転じ、その原因としては下記のような理由があったと言われています。 昭和40年後半を中心に頻発した

    国鉄労働組合史詳細解説 88 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/05/05
    今回の貨物輸送合理化により、2万人強の要員減を計画、動労としては既に、労使対決から協調路線にその軸足を移していましたが、国労にとっても、要員縮減は組員の減少に繋がるため、反対せざるを得ませんでした。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 87 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 今回は少し視点を変えて 今回は、労働組合視点ではなく国鉄当局視点で、国鉄改革をどのように受け止めていたのか見ていきたいと思います。 国鉄改革に関しては、急進派もいれば慎重派【守旧派】もいたわけで、国鉄の中でもその辺りは微妙な温度差はあったと思われます。 国鉄と言う組織が政治の介入を受けやすく、かつ民業圧迫の名の下関連事業などを制限された状況の中で、道路整備は特別会計による国策で整備され、国有鉄道は国鉄自らの資金調達で行わねばならないという矛盾についても国鉄が実質破綻する昭和45年頃までは何も特段の措置を政府は講じることはありませんでした。 その後の再建計画も言わば、数字あわせの再建計画のための再建計画であり、国鉄当局も政府も誰もが責任を負わない体制になっていました。 結果的に、積み

    国鉄労働組合史詳細解説 87 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2018/04/15
    労働組合視点ではなく国鉄当局視点で、国鉄改革をどのように受け止めていたのか見ていきたいと思います。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 86 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただこうと思います。 今回も、国労の資料を底として、他の資料等を参照しながら見ていきます。 国鉄主導では無く、自民党主導で進められる国鉄改革 国鉄改革は、自民党ベースで進められることとなり、それは国鉄当局にとっても、内心忸怩たる思いもあったかと思います。 特に、今回の再建監理委員会の権限は単なる諮問機関では無く実行力を伴うということで、その拘束力は大きなものがありました。 民営化反対を明確にする国労 国労は、監理員会設の設置に反対し、社会党【現・社民党】や共産党と連携を図りながら、法案成立阻止を目指しましたが、法案は82年11月30日に臨時国会へ提出されて以後、国労としては、廃案を目指し法案反対署名100万人の集約や2回の総決起集会などを実施しましたが、当時の世

    国鉄労働組合史詳細解説 86 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/03/26
    国鉄改革は、自民党ベースで進められることとなり、それは国鉄当局にとっても、内心忸怩たる思いもあったかと思います。 特に、今回の再建監理委員会の権限は諮問機関では無くその拘束力は大きなものがありました。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 85 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 今回は、国労の記事と言うよりも、当局の話を中心にさせていただきます。 再建監理員会の発足と緊急提言に関するお話の続きとなります。 国鉄当局としても、臨調の答申は、当初予想していた以上に厳しいものでした。 国鉄に対する国民の評価が決め手 電電公社【現・NTT】が積極的に真藤総裁以下民営化に進んだのとは対照的であり、電電公社は積極的に民営化に動くことで実質的に分割を免れ組織温存出来たのに対し、国鉄は結局地域分割並びに労働者の解雇と新会社による再雇用という形で行われました。これにより、結果的に多くの国鉄職員が職場を去ることになりました。 私の父親は管理職をしていたのですが、国鉄民営化の職員振り分けの責任感から採用辞退して退職しました。 52歳でした。 その

    国鉄労働組合史詳細解説 85 - 日本国有鉄道 労働運動史
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    whitecat_kat 2018/03/02
    電電公社【現・NTT】が積極的に民営化に進んだのとは対照的であり、電電公社は積極的に民営化に動き分割を免れ組織温存に成功したのに対し、国鉄は地域分割並びに労働者の解雇と新会社による再雇用が行われました
  • 国鉄労働組合史詳細解説 84 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 皆様長らく更新できませんでしたが、久々に更新させていただきます。 日も国鉄改革について書かせていただきます。 強大な権限を持つ再建監理委員会 第九八国会で審議に入り、八三年五月一三日に可決・成立した。国鉄再建監理委員会(以下、監理委員会と略す)は、単なる研究報告的な委員会では無く、行政委員会という位置づけがなされ、再建のための諸政策の執行機関としての性格が打ち出されていました、 運輸省としては運輸省組織の改編にまで切り込まれるのでは無いかという危惧があったようです、それよりも衝撃を受けたのは当局であったと思われます。 臨調第4部会の中間報告に対して、国鉄の意見として、昭和57(1982)年6月掲載、国有鉄道の記事で、国鉄の見解を以下のように述べています。 長いですが、全文引用させ

    国鉄労働組合史詳細解説 84 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/02/04
    第九八国会で審議に入り、八三年五月一三日に可決・成立した。国鉄再建監理委員会(以下、監理委員会と略す)は、単なる研究報告的な委員会では無く、再建のための機関としての性格が打ち出されていました、
  • 国鉄労働組合史詳細解説 83 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 当に久々の更新でございます、日は、鈴木・中曽根両首相により進められた、臨時行財政改革【略称、第2臨調】に関するお話をさせていただこうと思います。 鈴木首相の政策の目玉にしたかった臨時行政調査会 鈴木首相誕生の背景は、言葉は悪いが棚ぼた的なものであり、大平首相急逝に伴う自民党内の派閥の軋轢から生まれたと言ってもよく、目玉になる政策などもありませんでした。 最終的には、中曽根内閣が鈴木首相が取り組んだ臨調を受け継ぐ形で、国鉄や電電公社の民営化を進めることになったのでした。 第二臨調と言われてますが、実は「第一臨調」と呼ばれるものも有ったのです。 昭和36年に実施された。臨時行政調査会【通称第一次臨調】 昭和36(1961)年~昭和39(1964)年にかけて実施された「臨時行政調査会

    国鉄労働組合史詳細解説 83 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2018/01/05
    木・中曽根両首相により進められた、臨時行財政改革【略称、第2臨調】に関するお話をさせていただこうと思います。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 82 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? またしばらく間が空いてしまいましたが、更新させていただきます。 今回も、国鉄労働運動史を底として、解説を加えさせていただきます。 入浴に関する国労の主張と当局の見解 昭和57年3月から始まったの職場総点検では、今までの慣行がいよいよ明らかにされたことは既に述べてきたことですが、是正は強力に進められ、昭和57年12月の総点検では、入浴問題は概ね是正され、3月の点検で時間内入浴が行われていた職場が1677か所、12月の点検では583か所に減少したとはいえ1/3の職場では依然時間内入浴が行われているとして、より強力な方策がとられたようです、これについては国労は、勤務時間内入浴は、既得権益であるとしてその権利を守るべきであると言う主張を行っていました。 門司(保線区、運転区、機関区、客貨

    国鉄労働組合史詳細解説 82 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2017/12/10
    昭和57年3月から始まったの職場総点検では、今までの慣行がいよいよ明らかにされたことは既に述べてきたことですが、是正は強力に進められ、昭和57年12月の総点検では、入浴問題は概ね是正されました
  • 国鉄労働組合史詳細解説 81 - 日本国有鉄道 労働運動史

    日も、国鉄労働組合運動史から抜粋した内容に解説を加えながらアップさせていただきます。 法令から見る勤務時間内入浴についての可否について 今回は、昭和57年のブルトレヤミ手当事件を端緒とした、職場規律総点検(特別監査)により、多くの悪慣行が存在したとして、「勤務時間内入浴」が大きくクローズアップされることになりました。 国労の見解とに対する当局の行動とそれに対抗する国労の闘いが描かれています。 この点について何か根拠法令は無いかと探してみたところ、 下記の通り労働安全衛生規則 の中に、勤務時間中に身体や被服を汚染する恐れがある場合と規定しており、鉄道以外の職種では危険物(化学薬品等を扱う職種等が該当します)を扱う職種など該当することがわかりました。 もっとも、入浴設備に限らず、工場内コンビナート等ではすぐに使えるシャワー設備などが該当します。 これに照らしてみると、国鉄の場合は保線区・工場

    国鉄労働組合史詳細解説 81 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2017/11/29
    今回は、昭和57年のブルトレヤミ手当事件を端緒とした、職場規律総点検(特別監査)により、多くの悪慣行が存在したとして、「勤務時間内入浴」が大きくクローズアップされ 国労の見解と当局に対抗する国労の闘い
  • 国鉄労働組合史詳細解説 80 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 国鉄当局は「緊急11項目」の一環として「乗車証制度の改正」に着手する動きを見せていたが、82年10月15日に初めてその改定を明らかにし、理由を明示しないまま10月22日をタイムリミットに設定してきた。すでに国労は、当局のこうした動きに対し、臨調答申に屈して改悪すべき制度ではないとの立場から、乗車証制度は職責の重要な雇用・労働条件である点を重視して、「国鉄110年の中で確立された制度であり、就職の際に明示された雇用・労働条件である」こと、それゆえ「労使協議の上意見の一致を見て制度の改正は実施すべきである」こと、また、乗車制度の基は「精勤乗車証・永年乗車証・家族割引である」こと、などを上げ改悪反対を主張した。動労。全施労・全動労もこれを重要課題と位置づけ、「改悪反対」で意思統一をはか

    国鉄労働組合史詳細解説 80 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2017/11/19
    国鉄当局は「緊急11項目」の一環として「乗車制度の改正」に着手する動きを見せていたが、82年10月15日に初めてその改定を明らかにし、理由を明示しないまま10月22日をタイムリミットに設定してきた。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 79-2 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 皆様こんにちは、再び議員兼職の問題について私なりに当時の資料などを調べたところからお話をさせていただこうと思います。 衆議院と参議院で意見が分かれた兼職議員問題 地方議員の兼職は、昭和26年6月からですが、当時の議論の経緯を見てみますと、衆議院は町村議員まで認める、参議院は市会議員まで認めるべきという意見で双方で意見が分かれていたようです、原則は町村議会議員までしか認めないが、今回当選した市議会議員については、任期中に限り例外として認めるとしたもので、その後なし崩し的に改正されて、市会議員までは兼職が認められたと言う経緯があります。 なお、この時に県議会議員等に出馬した議員は兼職が認められず、国鉄を退職したものと看做すと明記されています。 日国有鉄道法の一部を改正する法律法律第百

    国鉄労働組合史詳細解説 79-2 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2017/11/16
    皆様こんにちは、再び議員兼職の問題について私なりに当時の資料などを調べて処からお話をさせていただこうと思います。
  • 国鉄労働組合史詳細解説 79 - 日本国有鉄道 労働運動史

    ランキング参加中社会 ランキング参加中歴史 ランキング参加中鉄道 ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 国鉄改革との組合の動き様々 昭和57年頃から国労と動労の動きには、明確な違いが見えてきました。 特に昭和57年の大幅な減量ダイヤは、動労には衝撃でした。 貨物輸送ダイヤの減便は、同時に機関車の大量余剰に繋がるからです。 駅業務等と異なり、機関車乗務員の場合は列車の削減=乗務員の削減となるため。 乗務員の削減=組合員の減少につながります。 より現実的な選択をした動労に対して、国労は反発を強めることになります。 動労は「改定案は職場闘争を圧殺する意図を持っているとし批判をしながら、結局、「こんにちの情勢のもとではこれ以上の前進はないと判断し」て、協定締結の道を選択した。この動労の方向には、全施労も同調した。動労と全施労のこうした動向は、先の57・11ダイヤ改正問題の先行妥結にもみられた

    国鉄労働組合史詳細解説 79 - 日本国有鉄道 労働運動史
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2017/11/07
    国労にしてみれば、国鉄が発足してから、ずっと国鉄の兼職議員は続いてきたからという思いがありました。「地方議員が駅舎、駅前広場、踏切、等の改善に一定の役割を果たしてきたことをどのように評価するか」