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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (18)

  • 坂口安吾 講談先生

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    wideangle 2019/12/15
  • 宮沢賢治 ツェねずみ

    ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのねずみがすんでいました。 ある日ツェねずみは、きょろきょろ四方を見まわしながら、床下街道(ゆかしたかいどう)を歩いていますと、向こうからいたちが、何かいいものをたくさんもって、風のように走って参りました。そしてツェねずみを見て、ちょっとたちどまって早口に言いました。 「おい、ツェねずみ。お前んとこの戸棚(とだな)の穴から、金米糖(こんぺいとう)がばらばらこぼれているぜ。早く行ってひろいな。」 ツェねずみは、もうひげもぴくぴくするくらいよろこんで、いたちにはお礼も言わずに、いっさんにそっちへ走って行きました。ところが戸棚の下まで来たとき、いきなり足がチクリとしました。そして、「止まれ、だれかっ。」と言う小さな鋭い声がします。 ツェねずみはびっくりしてよく見ますと、それは蟻(あり)でした。蟻の兵隊は、もう金米糖のまわりに四重の非常線を張っ

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    wideangle 2016/10/20
  • 岡本かの子 快走

    中の間で道子は弟の準二の正月着物を縫(ぬ)い終って、今度は兄の陸郎の分を縫いかけていた。 「それおやじのかい」 離れから廊下を歩いて来た陸郎は、通りすがりにちらと横目に見て訊(き)いた。 「兄さんのよ。これから兄さんも会社以外はなるべく和服で済ますのよ」 道子は顔も上げないで、忙がしそうに縫い進みながら言った。 「国策の線に添ってというのだね」 「だから、着物の縫い直しや新調にこの頃は一日中大変よ」 「はははははは、一人で忙がしがってら、だがね、断って置くが、銀ぶらなぞに出かけるとき、俺は和服なんか着ないよ」 そう言ってさっさと廊下を歩いて行く兄の後姿を、道子は顔を上げてじっと見ていたが、ほーっと吐息をついて縫い物を畳の上に置いた。すると急に屈托して来て、大きな脊伸びをした。肩が凝(こ)って、坐り続けた両腿がだるく張った感じだった。道子は立上って廊下を歩き出した。そのまま玄関で下駄を履(は

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    wideangle 2014/01/18
  • 新渡戸稲造 真の愛国心

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    wideangle 2013/11/18
  • 文部省 あたらしい憲法のはなし

    みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。 國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろ/\規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家は

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    wideangle 2013/03/11
  • 坂口安吾 明治開化 安吾捕物 その五 万引家族

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    wideangle 2013/02/19
    万引きっていうか盗癖の話といえば思い出すのがこれだ。
  • 作家別作品リスト:柳田 国男 - 青空文庫

    公開中の作品 アテヌキという地名 (新字新仮名、作品ID:58452) 家の話 (新字新仮名、作品ID:57979) 家を持つといふこと (新字旧仮名、作品ID:54903) 伊豆大島の話 (旧字旧仮名、作品ID:58319) おばけの声 (新字新仮名、作品ID:60320) 海上の道 (新字新仮名、作品ID:54331) 垣内の話 (新字新仮名、作品ID:58024) 潟に関する聯想 (旧字旧仮名、作品ID:56608) かはたれ時 (新字新仮名、作品ID:60321) 幻覚の実験 (新字新仮名、作品ID:60437) 故郷七十年 (新字新仮名、作品ID:55742) こども風土記 (新字新仮名、作品ID:53809) 祭礼名彙と其分類 (旧字旧仮名、作品ID:58031) 産婆を意味する方言 (旧字旧仮名、作品ID:58759) 私生児の方言 (旧字旧仮名、作品ID:58761) 私生

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    wideangle 2013/01/01
    さっそくきた!
  • 高神覚昇 般若心経講義

    いったい仏教の根思想は何であるかということを、最も簡明に説くことは、なかなかむずかしいことではあるが、これを一言にしていえば、「空(くう)」の一字に帰するといっていいと思う。だが、その空は、仏教における一種の謎で、いわば公開せる秘密であるということができる。 何人にもわかっているようで、しかも誰にもほんとうにわかっていないのが空である。けだし、その空をば、いろいろの角度から、いろいろの立場から、いいあらわしているのが、仏教というおしえである。 ところで、その空を『心経』はどう説明しているかというに、「色即是空(しきそくぜくう)」と、「空即是色(くうそくぜしき)」の二つの方面から、これを説いているのである。すなわち、「色は即ち是れ空」とは、空のもつ否定の方面を現わし、「空は即ち是れ色」とは、空のもつ肯定の方面をいいあらわしているのである。したがって、「空」のなかには、否定と肯定、無と有との

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    wideangle 2012/12/26
  • 坂口安吾 もう軍備はいらない

    原子バクダンの被害写真が流行しているので、私も買った。ひどいと思った。 しかし、戦争なら、どんな武器を用いたって仕様がないじゃないか、なぜヒロシマやナガサキだけがいけないのだ。いけないのは、原子バクダンじゃなくて、戦争なんだ。 東京だってヒドかったね。ショーバイ柄もあったが、空襲のたび、まだ燃えている焼跡を歩きまわるのがあのころの私の日課のようなものであった。公園の大きな空壕の中や、劇場や地下室の中で、何千という人たちが一かたまり折り重なって私の目の前でまだいぶっていたね。 サイパンだのオキナワだのイオー島などで、まるで島の害虫をボクメツするようにして人間が一かたまりに吹きとばされても、それが戦争なんだ。 私もあのころは生きて再び平和の日をむかえる希望の半分を失っていた。日という国と一しょにオレも亡びることになるだろうとバクゼンと思いふけりながら、終戦ちかいころの焼野原にかこまれた乞

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    wideangle 2012/11/30
    "人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのはこの一条に限って全く世界一の憲法さ。戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。"
  • 坂口安吾 意慾的創作文章の形式と方法

    小説の文章を他の文章から区別する特徴は、小説のもつ独特の文章ではない。なぜなら小説に独特な文章といふものは存在しないからである。 「雨が降つた」ことを「雨が降つた」と表はすことは我々の日常の言葉も小説も同じことで、「悲しい雨が降つた」なぞといふことが小説の文章ではない。 勿論雨が「激しく」降つたとか「ポツポツ」降つたとか言はなければならない時もある。併(しか)し小説の場合には、雨の降つたことが独立して意味を持つことはまづ絶対にないのであつて、何よりも大切なことは、小説全体の効果から考へて雨の降つたことを書く必要があつたか、なかつたか、といふことである。 小説の文章は必要以外のことを書いてはならない。それは無用を通りこして小説を殺してしまふからである。そして、必要の事柄のみを選定するところに小説の文章の第一の鍵がある。 即ち小説の文章は、表現された文章よりもその文章をあやつる作者の意慾により

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    wideangle 2012/02/26
  • 坂口安吾 明治開化 安吾捕物 その一 舞踏会殺人事件

    氷川の海舟屋敷の黒板塀をくぐったのは神楽坂の剣術使い泉山虎之介。この男、時はもう明治十八九年という開化の時世であるが、酔っぱらうと、泉山虎之介タチバナの時安と見得を切って女中のホッペタをなめたがる悪癖がある。 虎之介は幼少のころ、海舟について剣術を習ったことがある。そのころの勝海舟はいたって貧乏、まだ幕府には重用されず、剣術や蘭学などをメシの種にしていた。習うこと二三年、海舟が官について多忙になったので、山岡鉄舟にあずけられた。そのとき虎之介は今なら小学校四五年生ぐらいの子供、それからズッと山岡について剣術を学び、今は神楽坂で道場をひらいているが、あんまりはやらない。 虎之介は海舟邸の玄関で、籐のイスに腰を下して、頭をおさえて考えこんだ。これがこの男の変った癖で、心配事があって海舟屋敷を訪れる時には、玄関の籐イスに腰かけて、頭をかかえて今更のように考えこむ。そのせいで、籐イスは脚が外れそう

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    wideangle 2011/11/04
  • 坂口安吾 明治開化 安吾捕物 読者への口上

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    wideangle 2011/11/04
  • 桐生悠々 関東防空大演習を嗤う

    防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。 将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ人心阻喪の結果、我は或は、敵に対して和

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    wideangle 2011/03/25
  • 坂口安吾 特攻隊に捧ぐ

    数百万の血をささげたこの戦争に、我々の心を真に高めてくれるような当の美談が少いということは、なんとしても切ないことだ。それは一に軍部の指導方針が、その根に於(おい)て、たとえば「お母さん」と叫んで死ぬ兵隊に、是が非でも「天皇陛下万歳」と叫ばせようというような非人間的なものであるから、真に人間の魂に訴える美しい話が乏しいのは仕方がないことであろう。 けれども敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは当然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釈するのは決して健全なことではない。 たとえば戦争中は勇躍護国の花と散った特攻隊員が、敗戦後は専(もっぱ)ら「死にたくない」特攻隊員で、近頃では殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまったが、こう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄(ぐろう)することにほかならない。もとより死にたくないのは人の能で、自殺ですら多く

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    wideangle 2010/08/16
    特攻賛美のように読む人も出そうではあるよなあ…
  • 坂口安吾 不良少年とキリスト

    もう十日、歯がいたい。右頬に氷をのせ、ズルフォン剤をのんで、ねている。ねていたくないのだが、氷をのせると、ねる以外に仕方がない。ねてを読む。太宰のをあらかた読みかえした。 ズルフォン剤を三箱カラにしたが、痛みがとまらない。是非なく、医者へ行った。一向にハカバカしく行かない。 「ハア、たいへん、よろしい。私の申上げることも、ズルフォン剤をのんで、氷嚢をあてる、それだけです。それが何より、よろしい」 こっちは、それだけでは、よろしくないのである。 「今に、治るだろうと思います」 この若い医者は、完璧な言葉を用いる。今に、治るだろうと思います、か。医学は主観的認識の問題であるか、薬物の客観的効果の問題であるか。ともかく、こっちは、歯が痛いのだよ。 原子バクダンで百万人一瞬にたゝきつぶしたって、たった一人の歯の痛みがとまらなきゃ、なにが文明だい。バカヤロー。 女房がズルフォン剤のガラスビンを縦

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    wideangle 2009/12/25
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42840_24908.html "親があっても、子が育つんだ。親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てゝ、親らしくなりやがった出来損いが、動物とも人間ともつか
  • ルバイヤート (ハイヤーム オマル)

    この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫

    ルバイヤート (ハイヤーム オマル)
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    wideangle 2009/05/24
  • 坂口安吾 帝銀事件を論ず

    帝銀事件はとくに智能犯というほどのものではないようだ。 この犯人から特別つよく感じさせられるのはむしろ戦争の匂いである。私は、外地の戦場は知らないのだが、私の住む町が一望の焼け野となり、その二カ月ほど後に再び空襲を受けて、あるアパートの防空壕へ五〇キロの焼夷弾が落ちた。中に七人の屈強な壮年工がはいっていて爆死したが、爆死といっても、爆発力はないのだし、ただ衝撃で死んだだけで、焼けてもおらず、生きたままの服装で、ただ青ざめて目をとじている屍体であった。 翌日はうららかな初夏の陽がふりかがやいていたが、私が用があって、このアパートを通りかかると、アパートの隣はすでに焼け野なのだが、今しも二人の若者が七人の屍体をつみ重ねて、火をつけるところで、ちょうど七人目を運んできて、ドッコイショと放りだしたところであったが、放りだして、まだ真新しい死人の戦闘帽にふと気がつくと、それをチョイとつまみとって、火

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    wideangle 2008/10/18
  • 断崖の錯覚 (太宰 治 黒木 舜平)

    津軽の大地主の六男として生まれる。共産主義運動から脱落して遺書のつもりで書いた第一創作集のタイトルは「晩年」(昭和11年)という。この時太宰は27歳だった。その後太平洋戦争に向う時期から戦争末期までの困難な間も、妥協を許さない創作活動を続けた数少ない作家の一人である。戦後「斜陽」(昭和22年)は大きな反響を呼び、若い読者をひきつけた。 「太宰治」

    断崖の錯覚 (太宰 治 黒木 舜平)
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    wideangle 2008/09/13
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