政府は6日、11月に南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣する陸上自衛隊の部隊に、3月に施行された安全保障関連法で実施可能になった「駆けつけ警護」と「宿営地の共同警護」の任務を付与する方針を固めた。 複数の政府関係者が明らかにした。近く、新任務実施のための訓練開始を正式に発表する方向だ。 安保関連法の施行により、現地で国連職員や民間人、他国軍兵士らが武装集団などに襲われた場合に陸自部隊が救援に行く「駆けつけ警護」ができるようになったほか、宿営地を他国軍と共同で警護することが可能となった。だが、政府は、7月の参院選で争点化されるのを避けるため、新任務を実施する上で必要な訓練をこれまで行わず、武器使用の範囲などを定める部隊行動基準といった内部規則の作成やその周知徹底などにとどめてきた。
2016.08.08 ビョークの「女ことば」への翻訳の違和感と、男尊女卑の歴史を持つ日本語を巧みに使い分ける宇多田ヒカル わたしはかねてより、映画、テレビドラマ、小説などフィクションにおける「女ことば」に関心を持っている。それは自身が、解剖学的には男性として生まれながら身体を女性化していくMtF(Male to Female)トランスジェンダーであることも大きい。同性に性欲や恋愛感情を抱く男性であるゲイと、性別違和を抱くMtFらをひっくるめて「オネエ」や「オカマ」と呼び、「女ことばを話す」とする固定観念がはびこっており、そのちがいや、ゲイやトランスジェンダーのあいだでも多様な人々がいるという当たり前の事実が、なかなか一般には語られないことに対するいきどおりもある。オネエことばを話すゲイの男性もいれば、わたしのようにショートカットを好むMtFもいるのに。 2000年に渋谷のシネマライズで、F
ヘイトスピーチによる被害を訴えてきた川崎市川崎区の在日コリアン3世崔(チェ)江以子(カンイヂャ)さん(43)は9日、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷にさらされているとして川崎署に相談に訪れ、防犯パトロールの実施を求めた。差別ツイートは増え続け、家族を含めて危害が加えられる恐怖を募らせている。 昨年11月に川崎区桜本でヘイトデモに抗議したのを機に名指しの差別的言動がネット上にあふれるようになった。崔さんの画像とともに「嫌なら即刻出てけ」と排斥を叫ぶものから、「原因菌は元から断たないとダメ」「あなた方に消えてほしいと願っている」と殺害を想起させる書き込みまでが続く。 崔さんは「書き込みをしている人が誰か分からないのに、自分は相手に特定され、職場もさらされている。自力では気の付けようがない」と相談に踏み切った。相模原市で起きた障害者施設殺傷事件もきっかけになったといい、「障害者が『いなく
ようやく訪れたリオデジャネイロ五輪初勝利の瞬間。しかし、わずか勝ち点1が届かず、決勝トーナメント進出はならなかった。 グループリーグ2連勝ですでに決勝トーナメント進出が決まっていたナイジェリアに続き、残る3カ国すべてに2位通過のチャンスがあったグループリーグ第3戦。 日本はスウェーデンを1-0で下し、通算成績を1勝1敗1分けの勝ち点4としたものの、同じグループのもうひとつの試合で、コロンビアがナイジェリアに2-0で勝利し、1勝2分けの勝ち点5に伸ばしたため、日本のグループリーグ敗退が決まった。 矢島慎也のゴールでスウェーデンには1-0と勝利したが... 4-5で敗れたナイジェリア戦は、十分に引き分けに持ち込めた試合だったし、2-2で引き分けたコロンビア戦は、勝っていても何ら不思議のない試合だった。わずか勝ち点1差でのグループリーグ敗退だっただけに、前の2試合のどちらか一方でも違う結果になっ
リオ・オリンピックのサッカーU-23日本代表(手倉森ジャパン)、残念な結果となってしまいました。 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 ということで。 4年後の東京オリンピックを見据えて、ド素人の自分なりに分析してみたいと思います。 ※当方、1999年頃からサッカー日本代表を割と熱烈に応援しておりますが、サッカーに関してはド素人でございます。ご了承ください。 ベストな18人を選ぶ事の難しさを痛感。 これはもうね…。 本気で勝ちたかったら、オーバーエイジも含め、ベストな18人を選ばなきゃイカン、ということがしみじみ分かりましたね。 これはあくまでも、本気で勝ちたかったら、という話です。 逆に言うと、オリンピックのサッカーにはガチで取り組んでない国も結構あるんですよね。 「五輪は所詮、23歳以下の大会。ガチで戦うのはワールドカップだけでOK」 という感じでしょうか。 たとえば今回
日本国憲法の成立過程で、戦争の放棄をうたった九条は、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相(当時、以下同じ)が連合国軍総司令部(GHQ)側に提案したという学説を補強する新たな史料を堀尾輝久・東大名誉教授が見つけた。史料が事実なら、一部の改憲勢力が主張する「今の憲法は戦勝国の押しつけ」との根拠は弱まる。今秋から各党による憲法論議が始まった場合、制定過程が議論される可能性がある。 (安藤美由紀、北條香子) 九条は、一九四六年一月二十四日に幣原首相とマッカーサーGHQ最高司令官が会談した結果生まれたとされるが、どちらが提案したかは両説がある。マッカーサーは米上院などで幣原首相の発案と証言しているが、「信用できない」とする識者もいる。 堀尾氏は五七年に岸内閣の下で議論が始まった憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の成立過程を調査するため五八年に渡米し、マッカーサーと書簡を交わした事実に着目。高柳は
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