タグ

言葉に関するwipogのブックマーク (13)

  • 星井七億内閣総理大臣談話(いわゆる星井談話)(星井七億)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    まずは、先の戦争によって命を落とされた多くの方々に、あらためて心より追悼の意を捧げます。 太平洋戦争に於ける日国民の戦没者の数は300万人余だと言われております。300万人——。命の重さ、あの戦争がいかに悲惨で誤りに満ちたものであったかを数字の規模で推し量ることはできませんが、それでもやはり失ったものの大きさを突きつけられる数であります。 私の生まれ育った場所は、沖縄戦の主戦場となった沖縄島のさらに南にある八重山諸島、石垣という小さな島です。沖縄戦は一般住民を直接戦闘へ巻き込み、太平洋戦争の中でも日米最大規模の戦争だったと伝えられています。私の故郷である石垣島も、島とは違い軍の上陸こそなかったものの、空襲や艦砲射撃、戦争マラリアなどの被害を受け、多くの犠牲者を出すこととなりました。南の端にある小さな島までをも巻き込むほどに戦禍は大きく、容赦がありませんでした。 こういった経緯のほか現

    星井七億内閣総理大臣談話(いわゆる星井談話)(星井七億)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
  • 浅田真央さん「ああ、幸せだな」 引退して気づいたこと:朝日新聞デジタル

    10代の君へ フィギュアスケート女子で人気と実力を備えた選手として活躍した浅田真央さん(28)。15歳で世界を驚かせた後、世界女王に3度も輝いた頃を「楽しいと思えなかった」と振り返ります。自分を見失う経験をして、初めてたどり着いた幸せとは。自身の体験をふまえ、今の10代へのメッセージを語ってもらいました。 「幸せ」と感じたのは初めて 全国各地を巡るアイスショー「浅田真央サンクスツアー」http://maotour.jp/を約1年前に始めて、「ああ、幸せだな」と思えるようになりました。そう感じたのは初めてです。選手のときは、大変だなと思うことが徐々に増えて、幸せだなと思えることがなくなってきてしまっていました。 たくさんの応援やメダルを獲得するのは、うれしいことではありました。でもうれしいは「強い」からこそ得られる。一方で、幸せは「柔らかい」ものじゃないですか。選手のときはそこまで気持ちが柔

    浅田真央さん「ああ、幸せだな」 引退して気づいたこと:朝日新聞デジタル
    wipog
    wipog 2019/05/28
  • 平成31年度東京大学大学院入学式 人文社会系研究科長式辞 | 東京大学

    平成31年度東京大学大学院入学式 人文社会系研究科長式辞 東京大学大学院に入学、進学された皆さん、日は誠におめでとうございます。今日のこの門出のよき日を迎え、ご列席のご家族の皆さま、関係者の皆さまもさぞお喜びのことと存じます。心よりお祝い申し上げます。皆さんと同様に、30数年前学大学院の門を潜り、期待と不安を胸に研究者への道を歩み始めた者として、これからお祝いと励ましの言葉を申し述べたいと思います。 私が研究の対象としているのは、古代中国の言葉と文字です。簡単に言ってしまえば漢文と漢字の歴史なのですが、甲骨文字に代表される出土文字資料はともかく、皆さんの中にはなぜこのようなものに今日的な研究価値があるのか、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。例えば司馬遷の『史記』は、中国の枠を超えた人類の古典として世界中で読み継がれ、夥しい量の注釈や翻訳が作られてきました。あらかたのことは分か

    平成31年度東京大学大学院入学式 人文社会系研究科長式辞 | 東京大学
    wipog
    wipog 2019/04/14
  • 「なんなら」の「その上」「加えて」の意味での用法が若い層中心に広がっているのか? - 💙💛しいたげられたしいたけ

    題ではない枝葉末節の部分への反応です。私はそういうことをよくやります。 瀧波 和賀 さんという方の、こちらの note がネットでたいへん話題になっている。「はてな」では1月23日の1日だけで1100件以上のブックマークを集めている。 note.mu 両親が健在で経済的にも問題なさそうで一見幸せそうな家庭の、内側から見た「闇」あるいは「機能不全」を詳述した、きわめて印象深い記事だった。ただし私が記事の主題を消化して、自分なりの意見を文字にするとしたら、かなり時間がかかりそうだと思った。 興味を持って同じ著者の記事をいくつか読んでみた。そうしたら、この記事の中で気になる部分があった。繰り返しますが主題ではなく枝葉の部分です。 note.mu 引用、失礼します。 普段料理をしない母が作るすき焼きは、しょっぱすぎたり水っぽかったり、なんならアクはそのままで、決して「とてもおいしい事」ではなか

    「なんなら」の「その上」「加えて」の意味での用法が若い層中心に広がっているのか? - 💙💛しいたげられたしいたけ
    wipog
    wipog 2019/01/26
  • 翻訳:2017、私たちはこのような中国を生きる。 – 辺境通信

    中国ではFacebookやTwitterを見ることができないということは、比較的良く知られている。政府が特定のサイトやサービスを見れないように命令するということは僕たちの感覚の外にあるから、とかく「怖い監視国家・社会主義だし」と思いがちである。しかし現地に降り立ち一定の時間をすごしてみると、生活上でそうした息苦しさを感じることはほぼない。 確かに外国のニュースではノーベル平和賞をとった某氏が病院から移送され結局亡くなったただの、政府に抗議した弁護士が拘束されて戻ってこないだの色々物騒なニュースを見ることはある。だがそれはあくまで(多くは別の言語で見る)メディアの中の世界で、わが身とは遠く離れた場所の出来事でしかない。 しかもそうした情報は、多くの場合は自分から探さないと出てこない。逆に、自分で検索するならばUFOもネッシーもイルミナティの陰謀もその実在の「証拠」を見つけることができるのが、

    翻訳:2017、私たちはこのような中国を生きる。 – 辺境通信
  • 難民差別イラストを見て思い出したこと|七億ちゃん|note

    安全に暮らしたい 清潔な暮らしを送りたい 美味しいものがべたい 自由に遊びに行きたい おしゃれがしたい 贅沢がしたい 何の苦労もなく 生きたいように生きていきたい 他人の金で。 そうだ難民しよう! これはとある漫画家がフェイスブックに投稿して以来、ネット上で話題になっているイラストに書かれていた言葉だ。 実在するシリア難民の少女の写真をイラスト化し、その表情は実際の写真よりもやや卑しい笑みを携えている。先述の言葉は作者である漫画家によって独自に添えられたものであり、人によるフェイスブックでの記述から見てもこのイラストは難民を糾弾する意図で書かれたものであって、この少女が当にそんなことを思っているのか当人以外には永遠にわかりかねることだが、私はこのイラストに酷く差別的な印象を受けた。 シリア難民の受け入れ問題については一家言を持てるほど実情に明るくないのでここではその諸問題に言及するつ

    難民差別イラストを見て思い出したこと|七億ちゃん|note
    wipog
    wipog 2015/10/01
  • 黒田勇樹「がんばるということがわからなかった」〜ウツケモノの履歴書 vol.1(前編)〜 - リクナビNEXTジャーナル

    「天才子役」「絶世の美少年」とうたわれた黒田勇樹さんが、引越しのバイトをしていると報じられたのは2010年のこと。その後しばらくして「ハイパーメディアフリーター」を名乗り、ネットで人気を博すも、役者仕事からは遠ざかっていた。 そんな黒田さんが現在、演劇界に復帰。先月は役者人生初となる月2の舞台をこなし、精力的に活動を続けている。睡眠時間を削って稽古に励むなか、「なんで、そんなにがんばっているの」と共演者に指摘され、「オレは今がんばれているんだ」と思わず泣きそうになった。そんな今の環境を”奇跡”と語るーー。 黒田勇樹(くろだ・ゆうき) 1982年、東京都生まれ。幼少時より俳優として活躍。主な出演ドラマ作品に『人間・失格 たとえば僕が死んだら』『セカンド・チャンス』(ともに TBS)、『ひとつ屋根の下2』(フジテレビ)など。山田洋次監督映画『学校III』にてキネマ旬報新人男優賞などを受賞。2

    黒田勇樹「がんばるということがわからなかった」〜ウツケモノの履歴書 vol.1(前編)〜 - リクナビNEXTジャーナル
    wipog
    wipog 2015/09/01
  • 死者と生きる未来(高橋源一郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    これから書く文章の中には、読者のみなさんにとって、不愉快に感じられる箇所があるかもしれない。そのことをお許し願いたい。 わたしは大学を卒業していない。入学したが、わけあって大学を離れた。親や友人との交際も絶って、肉体労働をしながら、小さな小さな世界で生きた20代だった。 20代の終わり頃、腰を痛め、肉体労働もできなくなった。子とも別れ、養育費を送る身だったのに、金を稼ぐ術を失った。おまけに、ひどいギャンブル依存症になっていた。つてをたどり、やれる仕事は、他人にはいえないようなものでもやった。その一つが「女衒(ぜげん)」だった。簡単にいうなら、売春の斡旋である。 インターネットなどなかったから、三流夕刊紙に、内容をほのめかした広告を出す。男たちが電話をかけてきて、その男たちに女の子を紹介する。そんな、ヤクザがやっている商売の一番下っぱの仕事をした。わたしは、もっぱら新大久保のラブホテルに女

    死者と生きる未来(高橋源一郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
    wipog
    wipog 2015/08/31
    名文
  • 【戦後70年】奈良美智さんがドイツで驚いた「敗戦国の歴史認識」

    画集「NO WAR!」より。Untitled 2004-2005 (c) Yoshitomo Nara, courtesy of the artist 終戦から70年という節目の年、安倍政権が進める安保関連法案は国民的な議論を呼んでいる。この夏、私たちは戦争や安全保障についてどう考えたらよいのだろうか。2014年末に戦争をテーマにした画集「NO WAR!」(美術出版社)を上梓したのは、国際的な現代美術家、奈良美智さんだ。 私たちは奈良さんの画集からかつてないほどの強いメッセージを受け取ることができる。東日大震災や福島第一原発事故を経て、原発再稼働、安保関連法案など、「世の中の流れを見ている時に、このままだと、おかしくなっちゃうんじゃないかと不安をすごく覚えた」という奈良さん。前半のインタビューでは、画集を出したきっかけを『「僕はこういうことを考えてきたんだよ」っていうふうに出してもいいん

    【戦後70年】奈良美智さんがドイツで驚いた「敗戦国の歴史認識」
  • (インタビュー)「私たち」の民主主義 作家・赤坂真理さん:朝日新聞デジタル

    戦後70年の節目の夏、安倍政権は国民の理解が進んでいないのを知りながら、安全保障関連法案の成立を急いでいる。戦争を知らない世代の視点で日の戦後を問うてきた作家の赤坂真理さんは、背後にある日米のいびつな関係に着目する。私たちは戦後日が築いた民主主義、歩んできた歴史とどう向き合うべきか。 ――… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。

    (インタビュー)「私たち」の民主主義 作家・赤坂真理さん:朝日新聞デジタル
    wipog
    wipog 2015/07/23
  • 平成29年度 入学式 教養学部長式辞(平成29年4月12日) - 総合情報 - 総合情報

    3000人を超える新入生、そして約6000人のご家族のみなさま、その思い出に深く刻まれるであろうこの時をここに共有できることを光栄に存じます。 そして学への入学を許可された新入生のみなさんが、当に東京大学で学んでよかったとの深い喜びを抱いて卒業の日を迎えられることを心から願い、そのために学の一員として微力を尽くしたいと考えます。 入学にあたり、新入生のみなさんには期待もあれば不安もあるでしょう。現在の心境も、各人各様かもしれません。大学で過ごす毎日が始まるこの時期に、これからの時間はどのような選択の場面なのか、ということをいくつかの観点から考えてもらいたいと思います。 まず自分自身にとっての選択。みなさんは、駒場キャンパスの教養学部において前期課程を過ごすことになります。東京大学は、高校卒業・大学入学段階の限られた知識・情報や先入観を頼りに学生がその専門を選択するのは適切ではないと考

    wipog
    wipog 2015/04/03
  • 運命は変えられる。アジア人初ボストンバレエ団トップダンサーが語る「不可能を越える力」

    倉永美沙さんは、北米の名門ボストン・バレエ団のプリンシパル(最高位ダンサー)として活躍するバレリーナだ。日人がアメリカのバレエ団のトップを務めることは想像を絶するほど困難を伴う。それは、技量や実力よりも体格や顔つきなど遺伝的な壁が立ちはだかるからだ。彼女自身、自らのコンプレックスに打ち負けそうになったことが何度もあるという。しかし、ボストン・バレエ団の中央で彼女は誰よりも華やかに舞い、見る者の心を捉えて離さない。

    運命は変えられる。アジア人初ボストンバレエ団トップダンサーが語る「不可能を越える力」
    wipog
    wipog 2015/02/19
  • 「3年前に77人が犠牲となったノルウェー銃乱射事件で生き残りました。質問があれば何でも聞いてください」当時17歳だった生存者が掲示板で質疑応答 : らばQ

    「3年前に77人が犠牲となったノルウェー銃乱射事件で生き残りました。質問があれば何でも聞いてください」当時17歳だった生存者が掲示板で質疑応答 2011年7月22日、今からちょうど3年前に、ノルウェーのオスロ政府庁舎爆破事件とウトヤ島銃乱射事件が連続して発生し、77名が死亡しました。 世界に衝撃を与えた銃撃事件で生き残った、当時17歳の少年が質問を受け付けていました。 海外掲示板でのやりとりをご紹介します。 掲示板で質疑応答を受け付けていたのは、事件当時17歳だったJarl Riskjell Gjerdeさん。 (ノルウェー連続テロ事件 - Wikipedia)(当時の海外記事) Q: どんなことが起きているか気づいたとき、最初に思ったことは何ですか? A: 「なんてこった!」実際に大きな声を発したと思う。最初のうちは、誰か10代の若いやつがAK47ライフルでふざけているだけかと思っていた

    「3年前に77人が犠牲となったノルウェー銃乱射事件で生き残りました。質問があれば何でも聞いてください」当時17歳だった生存者が掲示板で質疑応答 : らばQ
  • 1