2011年3月11日、東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発事故。事故発生から数日の間に1号機、3号機、4号機が次々と爆発し、日本と世界を震撼させた。 そのとき、首相官邸の要請で策定された「最悪のシナリオ」があった。莫大な量の放射性物質が撒き散らされ、東京からも避難せねばならなくなる――。現実には、そのような事態は辛くも避けることができたが、当時の政府関係者と原子力関係者は未曾有の緊急事態をどう見ていたのか。 2011年3月25日に発表された技術的予測「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」の作成者で、当時原子力委員会委員長を務めていた近藤駿介氏に、首相補佐官として当時事故対応にあたった細野豪志衆議院議員が話を聞いた。(構成・林智裕、ライター) 「最悪のシナリオ」までの2週間 細野 今日は、高レベル放射性廃棄物の最終処分を取り扱うNUMO(原子力発電環境整備機構)という組織
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