Expired:掲載期限切れです この記事は,AP通信 との契約の掲載期限を過ぎましたので本サーバから削除しました。 このページは20秒後にITmedia NEWS トップページに自動的に切り替わります。
ワシントンD.C.の中心部に広大な敷地を持つ、スミソニアン博物館。そこには、世界で最初に動力飛行を実現したライト兄弟の飛行機、アポロ16号が持ち帰った月の石、あるいは持ち主が不幸になることで知られる「呪いのダイヤモンド」 まで、実に様々な人類の「宝」たちが収蔵されている。 そこに1998年、日本人が開発した“とあるゲーム”が収蔵された。その名は――「バーチャファイター」。そして、この開発者こそが『アウトラン』や『スペースハリアー』などの「体感ゲーム」でセガを世界的企業に押し上げ、現在も欧米の開発者から高い評価を受ける、鈴木裕氏である。 この連載では、日本のゲーム業界黎明期のクリエイターを取材してきた。だが、鈴木裕氏はその巨大な業績に比して、今ではあまり語られなくなった人物だ。日本ではその名前は、ドリームキャストの「シェンムー」シリーズの続報が聞こえなくなった頃を境に、ゲームファンの間から消
Oculus Japanの立ち上げに関わり、日本のVRムーブメントの先駆者として活動してきたGOROman氏が、12月24日付でOculus VR社(Facebook Japan株式会社)を退社した。氏は2013年Oculus Riftに出会い、「これからはVRだ!」と突然自らの会社を飛び出してOculus VR社に入社。VR上で初音ミクと会える「Mikulus」など、数々のVRコンテンツの開発者としても知られる人物だ。今回の退社も、けしてVR界隈から離れることを意味するものではない。 ならば、GOROman氏はいま何を見据え、どこへ向かおうとしているのか? 電ファミニコゲーマーでは、VR専門メディア「PANORA」に掲載された西田宗千佳氏によるインタビュー記事(外部リンク)の「全文版」を詳細な注釈とともに公開。注目のエンジニア、GOROman氏とは何者かを探ってみた。 GOROman、と
声優の肝付兼太さんが亡くなった。肝付さんといえば、テレビ朝日版『ドラえもん』の初代スネ夫、『銀河鉄道999』の車掌、『にこにこぷん』のじゃじゃまるなど、実に多くの役を演じたことで知られる。 その肝付さんは、俳優・声優の地位向上に関しても積極的に行動した。中でも、1973年の「外国映画日本語版の権利を護るための俳優集会」とこれに伴うデモは大きな注目を集めたが、このとき日本俳優連合(日俳連)組織部チーフとして奮闘したのだ。 日俳連は、1963年創立の日本放送芸能家協会(放芸協)を前身とし、制作者と対等に契約を結びにくい俳優の弱い立場を解消し、出演料や条件の改善、社会的地位の向上を目指して1971年に発足した。 「声の演技権」は古くからの問題で、放芸協設立前の1962年に久松保夫さん(バート・ランカスターの吹き替えなどが有名)が、米放送局が外国テレビドラマの日本語版もフィルムも音声もこちらに権利
アニメ・マンガ・ゲーム等を始めとした表現の自由を守る活動や、児童虐待の問題、年金の問題、花粉症の問題等、多くの政策に取り組んできた山田太郎議員が、自身のプロフィールについて語ってくれたので文字起こししました。 本当に様々な経験をしてきたことがよく分かります。文字起こしなので日本語としては少し読みにくいものの、内容はすごく面白いので、長いですがぜひ最後まで読んでいただければと思います。学生時代の山田太郎議員。経営者時代の山田太郎議員。教育者としての山田太郎議員。様々な顔があります。 文字起こしをする動画: 政見放送収録。政策の三本柱の一つはもちろん表現の自由【第222回 参議院議員山田太郎のさんちゃんねる-連続5日目】(2016/06/17放送) https://www.youtube.com/watch?v=ArUbjpi5BOQ&feature=youtu.be&t=22m25s 以下、
プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリさんが3日、米アリゾナ州の病院で死去した。74歳だった。家族の代理人が「32年間にわたる、パーキンソン病との闘いの末に亡くなった」と明らかにした。アリさんは世界王者に3度なっただけでなく、リングの外でもベトナム戦争への反対や人種差別、信仰の自由をめぐる言動で注目を集めた、20世紀の米社会を代表する人物の一人だった。 死去を米メディアはトップニュースで伝えた。オバマ米大統領は、困難な時にも信念を貫いた姿勢や、闘病中にも平和のメッセージを伝えた点をたたえ、「モハメド・アリは世界を揺るがした。そして、それによって世界はより良い場所になった」と追悼する声明を出した。 1942年、米ケンタッキー州ルイビルで生まれ、旧名はカシアス・クレイ。12歳からボクシングを始めた。60年のローマ五輪でライトヘビー級の金メダルを獲得したが、自伝では米国へ帰国後に黒人であ
いよいよあす4月2日、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」が最終回を迎える。今週水曜放送の第153回では、ヒロインの白岡あさ(波瑠)が、自分のつくった女子大学の学生である平塚明(はる)、のちの女性解放運動家・平塚らいてう(大島優子)たちの来宅を受け、論難されるという場面があった。 だが、あさはらいてうの言い分を最後まで聞いたうえ、ここまで自分の意見を持ってきちんと物が言える女性が出てきたとはと感服してみせる。そして最後に「秋の運動会ででもお会いしまひょ。今年はうちもあんさんがたと一緒に自転車乗り、参加させてもらいますよってになあ」とにこやかに再会を約束するのだった。 自転車がつないだ五代とあさ、そしてらいてう 運動会に自転車とは、いまからするとちょっと奇異にも思える。しかし、あさのモデル・広岡浅子が設立に尽力した日本女子大学校(現・日本女子大学)の運動会では、実際に自転車乗りが呼び物となっ
沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。 2人のウルトラマンは対照的。金城さんが近未来のファンタジーとして描いたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」は放送時の、1971年の東京が舞台。スモッグの空や工場地帯、ヘドロの海が戦いの場になり、時に怪獣よりも恐ろしい人間の心の闇もテーマになった。 特撮界に多大な足跡を残した上原さん。ウルトラマンと並ぶ特撮ヒーロー、仮面ライダーの誕生にも関わったというから驚きだ。米軍占領下の沖縄から上京し脚本家になるまでのいきさつや、ウルトラシリーズ屈指の異色作「怪獣使いと少年」に込めた願い、故郷・沖縄への思いまで、語ってもらった。(聞き手・磯野直) ■疎開船と
竹内郁雄氏(61歳) 撮影:大星直輝 竹内氏によると、Lispはすべての言語の原点なのだという。「いまRubyがブームだが、Rubyは要するにカッコのないLisp。XMLもぶ厚いカッコのあるLisp。いろいろなプログラミング技法を見ますが、『Lispにあった』ということが多いです」(竹内氏) 竹内氏の業績をひと言で語るのは難しい。1971~1973年、日本電信電話公社(現NTT) 武蔵野電気通信研究所 基礎研究部において、Lispを使った自然言語処理システムの研究を行い、1974~1979年、同研究所で人工知能研究を支援するための記号処理システムを次々に開発。1980~1986年、同研究所などで同社比約1000倍の規模の記号処理システムTAO/ELISを、ハードウェアからOS、応用ソフトまで一貫して設計・実装した。ELISについては竹内氏の功績を含めコン
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く