「知り合いから借金をする際のマナーを知りたい」 「シンデレラのガラスの靴は本当にハイヒールなのか」 はたまた、 「100年前の牛乳瓶の正体を知りたい」 これらの相談、すべて図書館に寄せられたものです。わずかな手がかりからネット上で見つからなかった答えも、お目当ての本も探し当ててしまう。知られざる図書館の力です。 (ネットワーク報道部記者 林田健太 馬渕安代 田隈佑紀)
少し前に弱者男性、いわゆるキモくて金のないおっさんの一部が「女をあてがえ」と騒いで話題になったが、これがまったく腑に落ちない。 倫理的問題はおいて、たとえば女性をモノのように扱う世界で国だか地域だか家族だかが女をお前にあてがってくれたとして、それはたぶんお前にふさわしい女性、つまり「キモくて金のないおばさん」なんだが…それでいいんだろうか? 1 なぜか自分にはキモくもなく金も普通にある若い女性があてがわれると考えている。 2 キモくて金のないおばさんでもいいからほしい ・女体が欲しい。性欲。 ・子孫を残したい。 ・身の回りの世話や家事、介護を任せたい。 等。 1は論外として、2の立場のキモくて金のないおっさんは、そういった古典的な男女観で家庭を運営する場合、かわりに自分は一生キモくて金のないおばさんのATMになる必要がある。 それでもいいという考えでの「あてがえ!」なら、潔さはあるよな。だ
大ざっぱにいえば、2010年代の反差別論が「ネトウヨや歴史修正主義者は差別者」というものだったとすれば、2020年前後の反差別論は「差別構造に無自覚に加担するマジョリティも同じように差別者である」という方向へと段階が進んできた。ごく一部の極端な差別者のみならず、マジョリティであることそのものの日常的(everyday)な差別性が問題視されるようになってきた。 その一つが「男性特権」であり、不公平で不平等な性差別的構造に対するマジョリティ男性たちの無自覚な加担の問題である。しかし、マジョリティとしての多数派男性の特権性の問題を自分事として引き受けることに、まだまだ戸惑いや違和感を覚える男性たちも多いように思われる。 そうした状況の中で、あらためて、「弱者男性」論がネットを中心に注目されている。 とはいえ、そこで言われる「弱者」の基準は、今もまだはっきりしない。それは労働の非正規性や収入の話な
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く