厚生労働省の統計不正をめぐる安倍晋三政権と野党との国会論戦は、どうやら野党側の徒労に終わる気配だ。産業界の賃上げ実現を唱えた首相を意識し、首相官邸側への何らかの忖度(そんたく)が厚労省幹部に働いた可能性は、否定しきれない。かといって調査結果を意図をもってあからさまに操作したと断定する材料は乏しい。振り返れば、政府の統計数値をめぐる疑惑はいつの時代にもあった。結果をよく見せたいという政治家などと
厚生労働省の統計不正をめぐる安倍晋三政権と野党との国会論戦は、どうやら野党側の徒労に終わる気配だ。産業界の賃上げ実現を唱えた首相を意識し、首相官邸側への何らかの忖度(そんたく)が厚労省幹部に働いた可能性は、否定しきれない。かといって調査結果を意図をもってあからさまに操作したと断定する材料は乏しい。振り返れば、政府の統計数値をめぐる疑惑はいつの時代にもあった。結果をよく見せたいという政治家などと
「予防医療」へのインセンティブ強化策を打ち出した安倍首相ーー「予防医療」や「健康寿命の延伸」が一般レベルでも叫ばれることが増えました。国も予防医療に力を入れる方針を示していますが、これについてどうお考えですか? 安倍首相は、2018年9月以降、「全世代型社会保障改革」について、予防医療や健康寿命増進に焦点を当てる姿勢を明らかにしています。 たとえば、この年9月20日のテレビインタビューでは、財政のために国民の負担を増やしていくという考え方を批判し、「医療保険においても、しっかりと予防にインセンティブを置いていく、健康にインセンティブを置いていくことによって、結局、医療費が削減されていくという方向もあります」と述べています。 首相の指示を受けて、厚生労働省はその翌月の10月22日に「2040年を展望した社会保障・働き方改革本部」を設置し、「健康寿命延伸タスクフォース」など4つのプロジェクトチ
[Tyler Cowen, “Why statistical discrimination is higher than is either socially optimal or Bayesian rational” Marginal Revolution, August 16, 2018] 制度の中にあるのが軽度の統計的差別だけであるとしよう。統計的差別とは、偏見ではなく、単に特定の仕事で一部の集団が他の集団より成功する確率が高い、という社会的判断だ。たとえば、大多数の人は、女性がNBA(訳注:全米バスケットボール協会のこと。MBAではない。為念)に入れるとは思ってないだろうが、だからと言ってそれが偏見だとは筆者は思わない。 だがここで、さらなる仮定を導入してみよう。世の中には評価の階層が複数あって、各階層の人や組織は、人材発掘者、師匠、指導者として成功していると思われたいと願っている
Social constructivism: the basics Posted by Joseph Heath on May 26, 2018 | philosophy 筆者の同僚のジョルダン・ピーターソンがこれほどの有名人になった理由の一つは、彼の批評の多くがあまりにも難解だからだ彼の批判者の多くがあまりにも混乱しているからだ。ピーターソンの論争は、(このようなたとえ話が許されるなら)ナイフでの白兵戦に銃を持ち込む奴のように見えることが一度ならずあった。このことは、ピーターソンの社会構築主義に関するさまざまな議論で特に顕著であり、その中には「樽の中の魚を撃つ」(訳注:アホらしいほど簡単な、という意味の慣用的比喩)ような質の議論もあった。その主な理由は、何かが「社会的に構築された」と言うことが何を意味するのか、そして、それが政治的に何を意味するのかについて、学者や運動家を含む多くの人たち
インフルエンザの治療薬であるタミフルは、異常行動との因果関係が否定できないことからこれまで10歳代の患者さんへの投与は原則として制限されていました。しかし、ようやく使用制限を解除する方針となりました。 タミフルに限らず、薬はみな未知の副作用があるかもしれないと考えなければなりません。重篤な副作用が疑われる報告が出てきたとき、「この薬の使用を中止すべきだろうか。このまま使い続けると大きな薬害が起きてしまうのでは」「しかし一方でこの薬を使わないと助けられない患者がいるかもしれない」というジレンマが生じます。 タミフルにはインフルエンザによる発熱の期間が短くなるという利益がありますが、もともと健康な小児がインフルエンザにかかってもほとんどの場合は自然に治りますし、タミフル以外の抗インフルエンザ薬もありました。当時、タミフルによる異常行動のリスクがどの程度か不明であったわけですから、いったん使用を
2018.02.21 Wed 「医師の知識と良心は、患者の健康を守るために捧げられる」――福島の甲状腺検査をめぐる倫理的問題 大阪大学・髙野徹氏インタビュー / 服部美咲 2011年10月以降、福島県では県民健康調査の一環として、甲状腺のスクリーニング検査(無症状の集団に対して超音波で甲状腺の状態を調べる検査)を継続している。対象は事故当時おおむね18歳以下だった福島県民(1994年4月2日から2014年4月1日までに生まれた県民)約38万人で、2018年現在3巡目を実施し、2018年5月からは4巡目が開始される予定である。 甲状腺検査を含む県民健康調査の目的は当初「県民の不安を解消すること」と「県民の健康を見守ること」とされていた。2016年に県は県民健康調査についての中間とりまとめを出し、県民健康調査の目的を「事故による被ばく線量の評価を行うとともに被ばくによる健康への影響について考察
についてブランコ・ミラノビッチが書いている。 Several weeks ago on Twitter I wrote (in an obviously very short form) why I thought that Taleb was one of the most important thinkers today. Let me explain in greater detail. Taleb went from (a) technical observation about non-Gaussian distributions of some phenomena to (b) generalization of what this means for our perception of reality and the way we comprehend things (epi
「容疑者@白石隆浩 ♀は俺 ♂の嫁♪」さん( https://twitter.com/SOSFukushima/status/943969668510781440 )からのご質問にお答えします。 甲状腺の検査は医療行為である。(YES/NO) Yes。医療行為です。 ある医療行為には「大きなデメリットがあり、かつ、メリットはほとんどない」ということが標準的知見として得られている状態において、当該の医療行為を行ったならば、その行為は医療過誤である。(YES/NO) ほぼYes。医療過誤です。例外については後述。 (無症状者に対する)甲状腺検査は「大きなデメリットがあり、かつ、メリットはほとんどない」ということは、標準的知見として得られている。(YES/NO) ほぼYes。より適切に言えば、標準的知見となりつつある、です。専門家と一般の臨床医の間でギャップが生じることはしばしばあります。詳しく
ツイッターなどで、科学者はどのように不完全なエビデンスを国民に伝えるべきかという議論が盛り上がっています。そのきっかけの一つになったのは、こちらの私のツイートだと思います。 大事なことなので何度でも言います。35分に1人が他人のたばこの煙で亡くなっています。今回のチャンスを逃したら、今後10~20年はチャンスは来ないと思っています。国民の声は必ず届きます、今こそ声を上げましょう。#たばこ煙害死なくそう https://t.co/jOXevFxkPe — 津川友介 (@yusuke_tsugawa) 2017年5月24日 この「35分に1人」という数字は、日本で年間15,000人の人が受動喫煙によって亡くなっているという研究結果から来ています。これに対して、以下のように様々なコメントを頂きました。結論から言うと、この15,000人という数字はそれほど科学的根拠の強いものではないのではないか、
毎日のようにマスメディアで論じられている東京都・築地市場(中央区)の豊洲への移転問題の混乱は、小池百合子知事が豊洲市場(江東区)の安全に疑問を呈したことから始まった。豊洲市場の安全は科学的にも、法的にも担保されているし、どうみても築地には古さからくる多くの問題があり、豊洲移転以外の選択肢はあり得ないが、迷走を続けている。 豊洲市場などのように、汚染された土地を再利用する場合の法律は土壌汚染対策法であるが、環境省が作った解説書には、「土壌汚染があったとしても、摂取経路が遮断され、きちんと健康リスクの管理ができていれば、私たちの健康に何も問題はありません」と書かれている(2016年8月「土壌汚染対策法のしくみ」)。豊洲市場では、地下水を一切使用しないので、「摂取経路が遮断され」に該当し、法律上は飛散防止だけでよく、地下水質の測定義務もない。 豊洲市場の混乱の原因の第一は、多くの人が市場でこの地
Posted by Joseph Heath 先週のエントリでは,現代の大学界隈に見られる多種多様なふるまいをジャーナリストたちがひとしなみに「ポリティカル・コレクトネス」の一語でくくってしまいがちだとぼやきました。「古典的な」ポリティカル・コレクトネス-たとえば言葉狩り-の問題はすっかり廃れているのですが、それとは別の困った傾向が潮流として存在することを述べたのです。今週はその続きとして、私たち(物事を分類するのが大好きなのです)が「規範的な社会学(normative sociology)」と呼んでいる、やはり少々問題がある慣習について書こうと思います。 この「規範的な社会学」というコンセプトの由来は、ロバート・ノージックが「アナーキー・国家・ユートピア」の中で軽い調子で書いたジョークです。「規範的社会学、つまり『何が問題を引き起こしている”べき”なのか』、の学問がわれわれ全員を魅了する
12日エントリで紹介したRuss Robertsのエッセイを巡る論争について、表題のEconospeakエントリ(原題は「Where Should We Put Economic Empiricism on the Hubris-Humility Spectrum?」)でピーター・ドーマンが以下のようにまとめている(ただしこのまとめは、小生が12日エントリを書いた後に勃発したコーエン=ノアピニオン氏論争が中心になっている)。 A bit of a kerfuffle has broken out over the claim that, as economics gets more empirical, it also gets more reliable. Russ Roberts says that, in the name of empiricism, economists are
ユンダ @y00black 非喫煙者の遭遇する喫煙者がマナー悪い人ばかりに思えるのは、マナーの良い喫煙者は非喫煙者の前では吸わないから。非喫煙者に喫煙者と認識される時点で、第一選抜を通過してる 2017-03-01 10:43:20
経済指標の結果の解説や将来予測の仕事に絡めた日本のエコノミストとIMFやFedの欧米エコノミストとの対比がこちらのツイートで取り上げられているのを読んで、FRB理事の予測者としての成績を取り上げたデロングのブログ記事を思い出した(H/T Economist's View)。 以下はその成績ランキング。 最下位のチャールズ・プロッサーについて、デロングは以下のように皮肉っている。 It is quite an accomplishment to both be (a) the worst economic forecaster among your peers, and yet (b) engage in no public reflection and discussion of how and why you got the past wrong, and how you are cha
やっと会えたね(本能寺で)。林岳彦です。さいきんルンバを買いました。ルンバが動いているのを眺めるときに、「実はどこかで山本昌がこのルンバをラジコンで操作している」のだと想像しながらその動きを眺めるととても贅沢な気分になれます。おすすめのライフハックです。 さて。 確率概念についての記事については前編だけ書いて、1年以上も間が空いてしまいました。もう間男と呼ばれても仕方ありません。たいへん申し訳ありません。 前回(前編)では、「可能世界論からコルモゴロフの定理までを繋げる」話をしました。 今回(後編)では、前回の内容を踏まえて: 「可能である」という概念と「確率」概念のあいだのギャップ について書いていきたいと思います。 (今回も長い記事になっております。本当にすみません。。) 前編のおさらいと補足:「様相論理と確率測度」の記事の追加 あまりにも間が空いてしまったので、まずは以下の前回記事を
以前、アンドリュー・ゲルマンとピーター・ドーマンの効用理論批判を取り上げたことがあったが、その両者の最近のやり取りがゲルマンのブログで紹介されている。エントリには「計量経済学と統計学の違い:変動する介入効果から効用に至るまで、経済学者は不変のモデルを好むようだが、統計学者は変動する方が安心する(Differences between econometrics and statistics: From varying treatment effects to utilities, economists seem to like models that are fixed in stone, while statisticians tend to be more comfortable with variation)」という長いタイトルが付けられている。 やり取りは、ある特定の変動に焦点を当て
去年の話になりますが、ある統計を元にした2つの記事が注目されたことがありました。 Afternoon Cafe 日本の貧困対策がどれほど貧困かよく分かる数字(BLOGOS版) 自力で生きていけない人たちを国や政府は助けるべきだとは思わないと言う人が日本では三人に一人以上もいることがアンケートでわかりました。 日本 38% アメリカ 28% イギリス 8% フランス 8% ドイツ 7% 中国 9% インド 8% 日本はなんという生きにくい国なのでしょうか。 「人様に迷惑をかけるな」という日本的な美徳は、度が過ぎれば他人に冷酷であることの裏返しでもあります。(中略)こういう冷酷な国民性だから生活保護をサディスティックに攻撃する政治になるのか、それともこういう政治だから人々の心がささくれ立って冷酷になってしまうのか、卵が先か鶏が先かですが、どこかでこの閉じたスパイラルを断ち切らねばいけませんね。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く