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統計と哲学に関するwoykiakesのブックマーク (26)

  • 統計学は真実発見の奉仕者ではなく喧嘩の仲裁役 - himaginary’s diary

    ハモンド・インタビューの昨日エントリで紹介した箇所でフリードマンは、ポパーから大きな影響を受けたことを認めている。しかしその後ポパーは、フリードマンの方法論を道具主義(instrumentalism)としてむしろ批判するようになり、人間的にも寛容さを失っていったという。そのためフリードマンは、以下のように、自身の方法論をいわゆるポパー的な方法論とは異なるものとして説明している。 If you and I disagree about a proposition, the question is how do we resolve our difference? If we adopt a Misesian methodological point of view, the only way we can resolve our difference is by arguing with o

    統計学は真実発見の奉仕者ではなく喧嘩の仲裁役 - himaginary’s diary
  • 歴史は確率的か? - himaginary’s diary

    というエントリ(原題は「Is history probabilistic?」)の冒頭でDaniel Littleが以下のように書いている。 Many of our intuitions about causality are driven by a background assumption of determinism: one cause, one effect, always. But it is evident in many realms -- including especially the social world -- that causation is probabilistic. A cause makes its effects more likely than they would be in the absence of the cause. Exposure t

    歴史は確率的か? - himaginary’s diary
  • サイモン・レン=ルイス「マクロ経済学におけるミクロ的基礎づけヘゲモニーを医学になぞらえると」

    [Simon Wren-Lewis, “Medicine and the microfoundations hegemony in macroeconomics,” Mainly Macro, August 25, 2017] 主に経済学者向けの話. このところ,こんな気持ちが強まってきた――私がいう「ミクロ的基礎づけヘゲモニー」を論じたときに,経済学と医学の類推をもっとやっておいた方がよかったんじゃないか.ミクロ的基礎づけのヘゲモニーとは,「あらゆる方程式が首尾一貫してミクロ経済理論から導き出されていているモデルだけがマクロ経済のモデルとして『妥当』だ」という考え方のことだ.ここで私が思い描いているのはどんな類推かというと,一方では〔医学における〕生物学が〔経済学における〕ミクロ的基礎に対応し,他方ではたとえば喫煙と肺がんを結びつける統計分析がミクロ的基礎をもたないモデルに対応する,そう

    サイモン・レン=ルイス「マクロ経済学におけるミクロ的基礎づけヘゲモニーを医学になぞらえると」
  • 経済学実証主義は傲慢=謙虚軸のどこに位置すると考えるべきか? - himaginary’s diary

    12日エントリで紹介したRuss Robertsのエッセイを巡る論争について、表題のEconospeakエントリ(原題は「Where Should We Put Economic Empiricism on the Hubris-Humility Spectrum?」)でピーター・ドーマンが以下のようにまとめている(ただしこのまとめは、小生が12日エントリを書いた後に勃発したコーエン=ノアピニオン氏論争が中心になっている)。 A bit of a kerfuffle has broken out over the claim that, as economics gets more empirical, it also gets more reliable. Russ Roberts says that, in the name of empiricism, economists are

    経済学実証主義は傲慢=謙虚軸のどこに位置すると考えるべきか? - himaginary’s diary
  • 経済学者は実際には何を知っているのか? - himaginary’s diary

    ブログでも折に触れ取り上げてきたAutor-Dorn-Hanson論文(cf. ここ)にJonathan Rothwellが反論を寄せ、Autor-Dorn-Hansonが再反論した。それを見たRuss Robertsが実証研究の正確性全般に疑問符を付ける表題のエッセイ(原題は「What Do Economists Actually Know?」)を書いたところ、ジョン・コクラン、Don Boudreauxが肯定的、Adam Ozimek、ノアピニオン氏が批判的な反応を示した。 以下はRobertsのエッセイの一節。 Is Rothwell correct? I have no idea. Here is what I do know. There is likely to no way of knowing which view is correct with anything clo

    経済学者は実際には何を知っているのか? - himaginary’s diary
  • ベイズの定理はキリスト教の擁護から始まった - himaginary’s diary

    というブログエントリにEconomist's Viewがリンクしている。そのエントリは、脳科学とベイズの定理を扱ったノーチラス誌*1のブログ記事の冒頭部を引用したものである。 以下はその冒頭部。 Presbyterian reverend Thomas Bayes had no reason to suspect he’d make any lasting contribution to humankind. Born in England at the beginning of the 18th century, Bayes was a quiet and questioning man. He published only two works in his lifetime. In 1731, he wrote a defense of God’s—and the British mo

    ベイズの定理はキリスト教の擁護から始まった - himaginary’s diary
  • 「確率変数」の定義に関するおはなし

    @kenmatsu4が夜中にもかかわらず、もやもやしていた「確率変数」の定義に対して @oshokawa さんと @teramonagi さん、さらには @ibaibabaibai 先生にアドバイスをもらうという、稀に見る貴重なツイート群をまとめました。

    「確率変数」の定義に関するおはなし
  • Seth Yalcin「確率演算子」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    philosophy compassの記事 自然言語の「おそらく」「かもしれない」など確率表現の意味論。主としてprobably(おそらく)の意味論だった。 http://philpapers.org/rec/YALPO Yalcin, Seth (2010). Probability Operators. Philosophy Compass 5 (11):916-37. 1. 序 2. 背景仮定 3. 相対的尤度アプローチ: Kratzer 3.1 概要 3.2 相対的尤度説の利点 3.3 相対的尤度説の欠点 4. 可能性空間アプローチ: Hamblin 5. 確率空間の意味論 6. スケールと他の可能性 7. スコープの相互作用 8. 埋め込みの可能性 「おそらくp」は「p」と違って、pは真とは言い切れないが真でありそうとかそういうことを意味している。 重要な問題として、「おそらく」

    Seth Yalcin「確率演算子」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 確率概念について説明する(第3-2-1回):「可能性」と「確率」のあいだ/ 到達可能性の線引き問題 - Take a Risk:林岳彦の研究メモ

    やっと会えたね(能寺で)。林岳彦です。さいきんルンバを買いました。ルンバが動いているのを眺めるときに、「実はどこかで山昌がこのルンバをラジコンで操作している」のだと想像しながらその動きを眺めるととても贅沢な気分になれます。おすすめのライフハックです。 さて。 確率概念についての記事については前編だけ書いて、1年以上も間が空いてしまいました。もう間男と呼ばれても仕方ありません。たいへん申し訳ありません。 前回(前編)では、「可能世界論からコルモゴロフの定理までを繋げる」話をしました。 今回(後編)では、前回の内容を踏まえて: 「可能である」という概念と「確率」概念のあいだのギャップ について書いていきたいと思います。 (今回も長い記事になっております。当にすみません。。) 前編のおさらいと補足:「様相論理と確率測度」の記事の追加 あまりにも間が空いてしまったので、まずは以下の前回記事を

    確率概念について説明する(第3-2-1回):「可能性」と「確率」のあいだ/ 到達可能性の線引き問題 - Take a Risk:林岳彦の研究メモ
  • 非科学的な思考様式と機能しない科学的な思考様式 - himaginary’s diary

    アンドリュー・ゲルマンが、アラン・ソーカルのScientia Salon記事を引用している。 以下は記事の一節。 The bottom line is that science is not merely a bag of clever tricks that turn out to be useful in investigating some arcane questions about the inanimate and biological worlds. Rather, the natural sciences are nothing more or less than one particular application — albeit an unusually successful one — of a more general rationalist worldview,

    非科学的な思考様式と機能しない科学的な思考様式 - himaginary’s diary
  • 帰無仮説の検定は反証主義的な手法ではない - himaginary’s diary

    ということをアンドリュー・ゲルマンが強調している。 ...it’s my impression that null hypothesis significance testing is generally understood as being part of a Popperian, falsificiationist approach to science. So I think it’s worth emphasizing that, when a researcher is testing a null hypothesis that he or she does not believe, in order to supply evidence in favor of a preferred hypothesis, that this is confirmationist reas

    帰無仮説の検定は反証主義的な手法ではない - himaginary’s diary
  • 規範的理論と実証理論の接合点としての効用関数 - himaginary’s diary

    以前、アンドリュー・ゲルマンとピーター・ドーマンの効用理論批判を取り上げたことがあったが、その両者の最近のやり取りがゲルマンのブログで紹介されている。エントリには「計量経済学と統計学の違い:変動する介入効果から効用に至るまで、経済学者は不変のモデルを好むようだが、統計学者は変動する方が安心する(Differences between econometrics and statistics: From varying treatment effects to utilities, economists seem to like models that are fixed in stone, while statisticians tend to be more comfortable with variation)」という長いタイトルが付けられている。 やり取りは、ある特定の変動に焦点を当て

    規範的理論と実証理論の接合点としての効用関数 - himaginary’s diary
  • ラプラス『確率の哲学的試論』(内井惣七訳) - logical cypher scape2

    最近、科学哲学のを読んでいて、やはり確率大事だなと思ったのと、戸田山『哲学入門』の参考文献で、訳者解説が確率の哲学入門となっていると紹介されていたので、読んだ。 ラプラスの書いた編が160ページくらい、訳者解説が70ページくらいあるので、訳者解説のボリュームが全体に比して大きいのが分かると思う。 さて、このをラプラスは数式を用いずに書いている。 科学の一般向け解説書なんかだとよく、数式を使わずに分かりやすく書きましたということが売り文句になっていることがあったりするけれど、このは数式を使わないとこんなに分かりにくくなる、みたいに仕上がっているw 訳注がこれまた結構ついているのだが、その大半は、ラプラスが数式を使わずに書いた部分を数式にするということに費やされている。 実際、訳注の数式を見て、あーそういうことかーと分かったところは多々ある。 とはいえ、自分の数学知識はあまりにもアレな

    ラプラス『確率の哲学的試論』(内井惣七訳) - logical cypher scape2
    woykiakes
    woykiakes 2014/06/05
    「表が出れば出るほど次も表が出る確率は高い」というのはコインに偏りがあるかどうかがわかっていない場合だよね。
  • 新書中心主義

    『科学と証拠:統計の哲学入門』 エリオット・ソーバー(科学哲学者) 名古屋大学出版会(2012) 原題:Evidence and Evolution ベイズ主義は科学の目的を 「証拠が手元に与えられたときに、 真であることが確からしい理論はどれか」 を見つけ出すことだとする。 二つの確率。 ベイズ主義:観察が正しいとしたとき理論が正しい確率、 頻度主義frequentist:理論が正しいとしたとき観察が正しい確率。 屋根裏で騒々しいグレムリンが ボーリングをしているから屋根裏から音が聞こえる、という場合、 前者の確率は低く、後者の確率は高い 私たちの手持ちの証拠は、私たちの学説が真であることを演繹的に含意しない。 The evidence we have at hand does not deductively entail that our theories must be true.

  • 新書中心主義

    『確率と曖昧性の哲学』 一ノ瀬正樹(哲学) 岩波書店(2011) 認識論を丸ごと自然科学の一つに置き換える という主張をしたクワイン ジョン・サールのなまの事実と制度的事実の区分 原因と結果の関係は確率によって理解されるべき ゴルフのバーディーパット。ウサギがボールを蹴飛ばす。 バーディの確率は下がる。たまたまバーディとなった。 ウサギの蹴飛ばしがバーディの原因。 原因は結果の生起確率を高めるとは限らない シンプソンの不等関係逆転 ある薬の効果。 治療した男性の回復率20/60(33.3%)は 治療しなかった男性15/55(27.3%)より高い。 治療した女性の回復率20/30(66.7%)は 治療しなかった女性90/140(64.3%)より高い。 ところが治療した人の回復率40/90(44.4%)は 治療しなかった人105/195(53.8%)よりも低い。 分母を均等にするとパラドックス

  • タイラー・コーエン 「奇跡は至る所にある?」(2004年7月13日)

    ●Tyler Cowen, “Miracles are Everywhere?”(Marginal Revolution, July 13, 2004) 普通の生活を過ごしていれば、大体1カ月 [1] 訳注;35日 に1回のペースで、奇跡を体験することになる。・・・(略)・・・目が覚めている人間がはっきりと意識をもって過ごしているのは1日のうちでおよそ8時間で、その間は、1秒あたり1回のペースで何らかの出来事を見聞きしていると言われる。ということは、我々が1日のうちで遭遇する出来事の数は、およそ3万。1カ月だと、およそ100万だ。ほんのわずかの例外を除いて、我々が体験する出来事は取るに足らないものであり、奇跡と呼ぶには程遠い。奇跡というのは、100万回に1回の確率で起こる出来事だ。1ヶ月のうちに遭遇する出来事の数はおよそ100万なわけだから、平均すると、大体1カ月に1回は奇跡にめぐり合う可

    タイラー・コーエン 「奇跡は至る所にある?」(2004年7月13日)
  • エリオット・ソーバー『過去を復元する』三中信宏訳 - logical cypher scape2

    難しかったので、途中で読むのを断念した……orz サブタイトルは「最節約原理,進化論,推論」 生物学哲学のだが、科学哲学、生物体系学、統計学がある程度分かっていることが前提で、統計学の話がばかすか出てきたあたりで挫折 このは、生物体系学の論争史を科学哲学的に検討していくという話だが、科学哲学の側から見ると、単純性の原理みたいなものは正当化できるのかという話だったりする。 いわゆる「オッカムの剃刀」みたいな話 つまり、同じようにデータをを説明できる仮説が2つ以上あったときに、より単純な方を選べ、みたいな考え方あるけど、これって正当化されてんの、と。 で、従来の科学哲学は、こういう方法論的な話を、グローバルな問題として解決しようとしてきた。つまり、あらゆる科学に適用できるようなものとして。 しかし、ソーバーは、もっとローカルな問題としてこれを考える。つまり、もっと特定の分野に限定された問題

    エリオット・ソーバー『過去を復元する』三中信宏訳 - logical cypher scape2
  • 確率概念について説明する(第3-1回):可能な世界の全体を1とする — コルモゴロフによる確率の定理(前編) - Take a Risk:林岳彦の研究メモ

    こんにちは。林岳彦です。先日、小学生の息子とセブンイレブンに行きました。そこでふと、「あの外壁、あれ物のレンガじゃなくてただの印刷だから」と息子に教えたところ、それが彼にとっては思いもよらぬことだったようで、実はすべすべとしている外壁に触っては「すっかり騙されてた!(ガーン)」と衝撃を受けていました。小さな子どもをお持ちのみなさま、この世の隠蔽された真実(=セブンイレブンの外壁は印刷)を彼ら/彼女らに教えてみると面白い反応が期待できるかもですよ! さて。 今回は、前回の記事の続きとして、確率という概念の「規格」について説明していきたいと思います。 (今回はとても長い上に内容がハードかもしれません。いつもながらすみません。。) 前回の軽いまとめ 前回の記事では: 少なくとも、「確率」とは「可能性を数値で表したもの」である というボンヤリとした出発点から: 「可能である」ということは、「この

    確率概念について説明する(第3-1回):可能な世界の全体を1とする — コルモゴロフによる確率の定理(前編) - Take a Risk:林岳彦の研究メモ
  • 確率概念について説明する(第2回):そもそも「可能である」とはどういうことか? — 可能世界論 - Take a Risk:林岳彦の研究メモ

    どもっす。林岳彦です。さいきん軽い気持ちで某国際誌の総説論文の査読を引き受けたのですが、「どんな論文だろ?」と思いつつ査読対象の原稿をいざダウンロードしてみたら文100頁アンド全体300頁もある超長尺の総説であることに気づき、「殺す気か!」「査読テロやで!」と思いました。 いやでもまじで300頁もレビューするの? この悲しみをどうすりゃいいの? 誰がぼくを救ってくれるの? この世はまさに大迷惑??? というかんじです。もう街のはずれでシュビドゥバーです。 いやもうホントに「レビュワー感謝の日」みたいの作ったほうが良いよね。 というわけで。 今回から、確率概念について説明していきたいと思います。 (今回も非常に長い記事になってしまいました。すみません。。。) 確率という概念の「規格」について、様相論理を経由して説明します 前回の今シリーズの概要説明の記事で書いたように、まずは、確率という概

    確率概念について説明する(第2回):そもそも「可能である」とはどういうことか? — 可能世界論 - Take a Risk:林岳彦の研究メモ
  • ミクロ的基礎付けを持つモデルと持たないモデル - himaginary’s diary

    エコノブロゴスフィアでミクロ的基礎付けに関する論争が起きている。最初はツイッター上の論争だったようだが、当事者の一人であるTony Yates(BOE出身で現在はブリストル大学勤務)が「Why microfoundations have merit」と題したブログ記事を上げ、アダム・ポーゼンがミクロ的基礎付けには得るところがない(without merit)と腐したのに改めて反論したことから、戦線がエコノブロゴスフィアに広がった。そのブログ記事にサイモン・レン−ルイスが反応し、ミクロ的基礎付けを持つモデルとデータに適合するモデルの折衷モデル(eclectic model)が良い、という持説を展開した*1。それにYatesが反論し、それにさらにレン−ルイスが反論した*2。また、ノアピニオン氏が両者の論争の概要を紹介したほか、Nick Rowe、Stephen Williamson、クルーグマ

    ミクロ的基礎付けを持つモデルと持たないモデル - himaginary’s diary