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2017年5月8日のブックマーク (10件)

  • REALKYOTO - 2017年フランス大統領選挙の後で

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    woykiakes
    woykiakes 2017/05/08
    無難だけど浅いな~浅田だけにwそつなく反緊縮とか付け焼き刃で取り入れてるところが却ってみっともない。日本の“一流マクロ経済学者”の斎藤誠がこれに感心してたが何に感心したんだろうか?
  • ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#8/完結)

    [Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017] 〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら〕 白人国家の夢 The dream of a white nation でも,そんなものをのぞんでいない人たちはどうだろう? オルト右翼や旅行者たちみたいに,べつにアメリカのいろんな人種がひとつにまとまろうと意を決するのを待ち望んでなんかいない人たちは? 多くの人たちは,同質な社会にいたる近道を行きたがっている――彼らが暮らしたいとのぞんでいる場所は,白人だけが住むのをゆるされた場所だ.彼らがのぞんでいるのは,半分記憶・半分空想の社会,1950年代の南カリフォルニアだ――通りは清潔で,きれいな芝生が広がり,信頼できる白人の隣人たちは通りすがりに帽子をかたむけて「やあ」と声をかけてくれる,そんな社会が彼

    ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#8/完結)
  • ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#7)

    [Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017] 〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら〕 代替理論: 「戦争 + 近接性 = 多様性」 でも,ひっきりなしに戦争が起きてるのはどういうことだろう? 大きな戦争が起きたときには,ほぼ決まって,少なくともそこそこの民族的なちがいが戦争当事者たちに見られる――イギリス vs. フランス,ドイツ vs. ロシア,フツ族 vs. ツチ族,日 vs. 朝鮮.こうした小さなちがいがこれほどの信じがたい流血沙汰を引き起こしうるのだとしたら,アフリカ人とヨーロッパ人みたいにかけ離れた集団どうしだったらいったいどれほどの大惨事が引き起こされうるだろう! というか,歴史の記録をひもとけばこういう考え方が間違っている理由の手がかりが得られるように思う.歴史上でも

    ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#7)
  • ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#6)

    [Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017] 〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら〕 代替理論: 信頼が同質性を生じさせる 再定義や人種間・民族間の婚姻をとおして同質性はうみだせるのだと認識すると,同質性と信頼の相関が現れうる理由について,すぐさま代替理論が思い浮かぶ:信頼が高いところほど,時がたつにつれて同質的になっていくんじゃないか. これは,遺伝的に起こりうる.みんなが自由に交流し集団どうしの疑心暗鬼や憎悪がないとき,おそらく人々はもっとたくさん付きあって結婚するようになりがちになるはずだ.時がたつにつれて,信頼が地域の人々に行き渡ることで遺伝的に同質な集団へと変わっていく. また,社会的にもこれは生じうる.まったく異なる集団どうしが共通目的のために結束したとして――たとえば隣

    ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#6)
  • ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#5)

    [Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017] 〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら〕 同質性はどれくらい人種の問題なんだろう? だが,ここでひとひねりが加わる.それが次の論点につながる.日人はみんな同じ人種なんだろうか? もしかしたらちがうかも.日は2つの集団が混合して形成された.縄文人(異例なほど人口密度の高かった狩猟採集民)と弥生人(稲作民)の2つだ.この両者が遺伝的に交わっていることは,いまでも遺伝データにごくはっきりと見てとれる.そして,おそらくはこの結果として,日人の特徴はかなり幅広い多様性が見てとれる.たとえば,この2人は日人なんだけど―― この2人は同じ人種なんだろうか? 厳密には,同じだ.アメリカではどちらも「アジア人」だし,アジアでは2人とも「日人」にくく

    ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#5)
  • 【熱中症】夫が深夜に救急搬送!①重度熱中症で危うく未亡人になるところでした - カコの巣

    すっかり暖かくなり過ごしやすくなりましたね。 しかしこの時期気を付けなくてはならないのが熱中症です。 まだ猛暑ではない時期だからこそ油断しがちで、体も暑さになれていないため起こりやすい。。。 ちょうど数年前のこの時期に夫が救急搬送され、 熱中症なんてたいしたことないとナメてましたが その恐ろしさを痛感した話になります。 これからの時期は誰でもなる可能性がありますから、 夫のケースを頭の片隅にでも置いて頂いて 少しでも参考になれると幸いです!

    【熱中症】夫が深夜に救急搬送!①重度熱中症で危うく未亡人になるところでした - カコの巣
  • 親EU強調「欧州立て直す」 仏大統領にマクロン氏:朝日新聞デジタル

    フランス大統領選の決選投票が7日にあり、欧州連合(EU)の統合を深める立場で、既成政党に属さずに立候補したエマニュエル・マクロン前経済相(39)が当選した。反EU、反移民を掲げ、初の女性大統領を目指した右翼・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン氏(48)を退けた。 仏内務省の集計(未確定)によると、マクロン氏の得票は66・06%、ルペン氏は33・94%だった。 大統領の権限が強められた1958年からの現体制で、左右2大政党以外からの大統領は初めて。フランス史上最年少での就任でもある。 マクロン氏は7日夜、パリ・ルーブル美術館入り口の「ピラミッド」前で演説し、「自由、平等、友愛の理念のもとに国民に仕える」と宣言した。グローバル化を「国民が犠牲になる」と批判したルペン氏の得票率が3割超になったことを踏まえ、「国民を結集し、和解をはかる。学校でも仕事の場でも、一人ひとりに居場所を与える。国民を守り

    親EU強調「欧州立て直す」 仏大統領にマクロン氏:朝日新聞デジタル
  • 仏大統領選、マクロン氏圧勝 「フランスの価値守る」 - 日本経済新聞

    【パリ=白石透冴】フランス大統領選は7日即日開票し、中道系独立候補エマニュエル・マクロン元経済産業デジタル相(39)が極右国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン候補(48)を抑えて勝利した。欧州連合(EU)への賛否などを争点にした決選投票は、統合維持の声が多数を占めた。マクロン氏は仏史上、最年少で大統領に就く。大政党に属さない大統領誕生も1958年以降の現在の第5共和制では初めてとなる。仏内務省の

    仏大統領選、マクロン氏圧勝 「フランスの価値守る」 - 日本経済新聞
  • 仏大統領選 「マクロン氏の勝利確実」 仏公共放送 | NHKニュース

    7日行われたフランスの大統領選挙の決選投票で、公共放送「フランス2」は、中道で無所属のエマニュエル・マクロン候補の勝利が確実になったと伝えました。

    仏大統領選 「マクロン氏の勝利確実」 仏公共放送 | NHKニュース
    woykiakes
    woykiakes 2017/05/08
    小泉進次郎よりは頭がいいが純一郎より頭が固い単なるネオリベwでもEU(というかユーロ)に留まらざるをえない以上構造改革以外の選択肢ってないよね…
  • ヘイトスピーチと言論の自由につき思いつき - shinichiroinaba's blog

    生煮えで恥を晒すところが多いがちょっと書いてみた。 == 応用哲学会のシンポで若い人たちが報告したヘイトスピーチの言語哲学的解剖はとても面白くて論文になるのが待たれるけど、帰りにちょっと大庭弘継君と話した通りいろいろ難しいところもある。 言語行為論を用いてヘイトスピーチを発話行為であり、通常「言論の自由」が想定している発話と行為の切断、行為から切断された独立の言論空間の設定を悪用したものである、という指摘はたしかに正しい。言論の自由が前提としている言論空間の中では、たとえ大量殺戮の計画とそれについての討論であれ「決してそれが実行に移されることはない」という前提が確固として守られるのであれば、当然に許容される。ヘイトスピーチについても同様の論法がある程度は可能だろう。すなわち、それが実生活における差別行為を伴う、帰結することがなければ、だ。ところがいわゆるヘイトスピーチはこの境界を侵犯してい

    ヘイトスピーチと言論の自由につき思いつき - shinichiroinaba's blog