2019年の参院選で安倍晋三首相(当時)の街頭演説中にやじを飛ばし、北海道警に排除された男女が道に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、札幌高裁は22日、計88万円の賠償を道に命じた札幌地裁判決のうち、大杉雅栄さん(35)への賠償命令を取り消した。桃井希生さん(27)については道の控訴を棄却し、一審の55万円の賠償命令を維持した。 大竹優子裁判長は、大杉さんには周囲とのトラブルや安倍氏に危害を加える恐れがあったとして、警察官の行為は妥当と認定した。桃井さんについては一審判決と同様、排除は憲法で保障された表現の自由の侵害に当たるとした。離れた場所にいた2人の状況は異なっており判断が分かれた。 昨年3月の一審判決後の同7月、安倍氏が街頭演説中に銃撃され死亡する事件が発生したが、控訴審の審理や判決で言及はなかった。 大杉さんは上告を検討するとし「銃撃事件がなかったら、裁判所の判断は変わらなかったの
記者会見で心情を語る原告の大杉雅栄さん(左)と桃井希生さん=札幌市中央区で2023年6月22日午後4時23分、貝塚太一撮影 2019年の参院選期間中、街頭演説をしていた安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばして北海道警に排除されたとして、札幌市の男女2人が道に計660万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、札幌高裁(大竹優子裁判長)は22日、道に計88万円の賠償を命じた1審・札幌地裁判決を一部取り消し、大杉雅栄さん(35)は逆転敗訴、桃井希生さん(27)については勝訴を維持する判決を言い渡した。 札幌高裁判決は、警察官による有形力の行使に一部は合理性があったと判断し、原告2人の主張を大筋で認めた1審・札幌地裁判決とは異なる結論を導いた。高裁判決は「表現の自由」と「要人警護」の線引きの難しさを浮き彫りにしたと言える。
俺は結構共感するぞ。 人生どうでも良くなってきてるときに露骨なパワハラ野郎がノビノビ暮らしてるの見ると「あーもういっそコイツを殺して俺も死のうかな」みたいになることはある。 なんだかんだ日本ってまだまだパワハラに甘いじゃん。 ぶつかりおじさんでさえも放牧されちゃってるしさ。 この世界の辛さって、誰もが礼節を求められているはずなのに平気でハラスメントをする奴らがいて、そういう奴らに限って他人に対してはやたら厳しいっていう矛盾が「コイツの相手するの面倒くさいから……」で放置されていることに集約されている部分はあると思うんだよ。 こんな世界で生きるしかない人生とかもうどうでも良くなったけど、じゃあせめて少しでも風穴を開けて同じ苦しみを持ってる人の救いにでもなる形で人生使おうって気持ちがそんなにおかしいのかな、と。 なんかヤフコメとか見ると「ちょっと厳しくされたぐらいで~~」とか他人事として言う奴
結論から先に書くと自分はない! いや、偉ぶるわけじゃないんだけど、生まれてから今まで他人を『好き』になる気持ち自体分からない。 中学生の時は「いずれ分かるのかなぁ」とのんびり構えていたが、30手前の大人になっても未だにそういう感情がない。 そこまで世間一般の皆は『好き』と言う感情が明確にあるものなのか? 当たり前だけど『好き』とはその人の主観に依るものだから明確にはないのだろう。 では、何故気軽に誰々が『好き』と周りの人たちは言ってヒョイヒョイ他人を信用して傷ついていくのだろう。 それって『好き』じゃなく「SEXしたい」とか「あの人は可愛い」、「性格が面白い」とかで代用出来るんじゃないか? 自分も何度か恋愛経験はあるけど、『好き』ではなく例えば上記に挙げた「SEXしたい」「気が合う」程度のものだった。 いつも付き合う前は悩む。 特に『好き』と言う感情がないし、付き合うと色々とめんどくさそう
毎年この時期、メディアの恒例行事ともなっているジェンダーギャップ指数(gender gap index)ですが、いつものことながら、違和感をもつ日本人も多いのではないでしょうか。 違和感の理由にも色々ありそうです。いわゆる経済的豊かさの指標(一人あたりGDPなど)とはかけ離れた順位になる上に、多くのアフリカ諸国よりも日本が下にランク付けされています。素朴に「何かがおかしい」と思わせてしまうところがジェンダーギャップ指数にはあることは否定できません*。 *本川先生の疑問、畠山先生の指摘も参照。 おそらく適正な受け止め方は、「まだこんな指数報道しているのか」といった全否定でもなく、また順位だけを見て「日本はやっぱりダメだな」と判断するのでもなく、別のところにあるのだと思います。 しばしばこの指標について指摘されているように、日本の順位を下げているのは、使われている4つの指標(健康、教育、経済、
今年、20台半ば過ぎにしてついに俺は大学に受かった。 具体的に言うと北海道大学の医学部医学科である。 俺は昔から医者になりたかった。中学生のときにはもう医者になろうと思っていた。 しかし現実は非情であった。俺が高校1年生に上がった頃、俺を女手ひとつで育て上げてくれた母がぽっくりと逝ってしまった。 そこで北海道の祖母の元に預けられることになったのだが、祖母はすでに70歳を超えており、さらに軽度の認知症であった。 必然的に高校は転校か退学を迫られたわけだが、祖母の強い要望により俺は高校を退学して働くことになった。 これが10年ぐらい前の話だ。 とはいえ、俺は医者になる夢を諦めるつもりはなかった。 祖母の友人のパン屋にて最低時給で働きつつ、少しづつ大学進学資金を貯め、高校卒業認定試験に受かった。 しかし19歳のころ、今度は祖母が死亡。俺は天涯孤独の身になった。 20代も半ばに過ぎたころ、ついに生
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