Burmaに関するxijiaoのブックマーク (12)

  • 12歳で売られた花嫁 ロヒンギャの少女を取り巻く現実

    2月15日、迫害や暴力に満ちたミャンマー西部ラカイン州から、マレーシアに逃れて来る大勢のイスラム系少数民族ロヒンギャの少女が、ロヒンギャ男性に花嫁として売る人身売買業者の犠牲になっている。写真は、夫から逃れてマレーシア首都郊外で家族と暮らす少女。9日撮影(2017年 ロイター/Lai Seng Sin) ターコイズ色のヘッドスカーフを巻いたか細い少女は、暴力にまみれたミャンマー西部ラカイン州からマレーシアに逃れる途中で自分の身に起きたことを思い出しながら涙をこらえた。 当時わずか12歳だったこの少女は、10歳以上も年の離れた見ず知らずの男性との結婚を強いられた。 現在まだ13歳であるため彼女の名前は明かせないが、迫害や暴力、アパルトヘイト(人種隔離)のようなラカイン州での状況から逃れて来る大勢のイスラム系少数民族ロヒンギャの少女の1人である。だがそうした少女たちは結局、隣国マレーシアにいる

    12歳で売られた花嫁 ロヒンギャの少女を取り巻く現実
  • 少数民族6千人が海上漂流か ミャンマーでの迫害逃れ:朝日新聞デジタル

    ミャンマーで民族対立から追い詰められたイスラム教徒のロヒンギャ族などが乗った船が周辺国に漂着している問題で、マレーシアやタイなどが船の追い返しを始めた。難民の大量流入を警戒する措置だが、海上には6千人が漂流しているとの推計もあり、懸念の声が上がっている。 マレーシア政府は10日にタイ国境に近いランカウィ島に漂着したロヒンギャ族やバングラデシュ人ら1158人を保護し、施設に一時収容した。だが、同時に沿岸警備当局や海軍がマラッカ海峡沖合に船舶約10隻を展開し、密航船の排除に乗り出した。 ロヒンギャ族らがマレーシアをめざすのは、難民認定に比較的寛容で、かつイスラム教徒が多い国であるためだ。だが、増える難民や不法移民に国内では治安面などで不安が高まりつつある。収容施設はすでにほぼ満杯で、予算の制約もある。 タイ海軍も14日、マレーシアと国境を接する最南部サトゥーン県沖で約300人が乗った船に退去を

    少数民族6千人が海上漂流か ミャンマーでの迫害逃れ:朝日新聞デジタル
  • Life on Foreign Land『異国に生きる』日本の中のビルマ人:ドキュメンタリー映画:土井敏邦

    作品紹介 1991年、ビルマ(ミャンマー)軍事政権の弾圧を逃れ、を祖国に残し日に渡ったビルマ人青年チョウチョウソー(チョウ)。生きるためにレストランで働きながら、祖国で封じられた民主化運動を続ける日々。その後、ヌエヌエチョウとの再会がやっと叶い、ビルマ料理店を経営しながら、日での2人の亡命生活が始まる。第三国でやっと実現した14年ぶりの老父との再会。しかしその父の死の報にもチョウは帰国できなかった。日滞在はすでに20年以上になり、暮らしも安定した。しかしそこはチョウにとって将来の保障もなく、祖国に貢献する役割も担えない“異国”であり、“自分の居場所”ではない。「家族に会いたい」「祖国で暮らしたい」という願いと、“祖国の民主化運動”のためにその望郷の想いを捨てなければならないという思い。その狭間で揺れ、迷ってきたチョウは、今の祖国の「民主化」をどう捉え、その中でどう生きようとするの

  • [休館中]横浜美術館|Yokohama Museum of Art

    高層ビルが建ちならぶ「みなとみらい」のまんなか。 憩いをもとめて人々が集う緑豊かなグランモール公園を通り抜けて、 美術館のなかへ。 広くて明るい広場のようなグランドギャラリーでひと息ついて。 さあ、今日はどんなアートに出会えるのか。どんな体験がまっているのか。 あなたの未知の感性がひらかれていく。

    [休館中]横浜美術館|Yokohama Museum of Art
    xijiao
    xijiao 2013/04/18
    熱々!東南アジアの現代美術 2013年4月13日(土曜) ~ 6月16日(日曜)「シンガポール美術館協力の下、横浜美術館と熊本市現代美術館の共同企画により開催」これは絶対行く。
  • 朝日新聞デジタル:スーチー氏、住民から怒号浴びる 銅山開発の継続めぐり - 国際

    14日、ミャンマー中部モンユワの銅山近くの村を訪れ、女性と話すスーチー氏(右)=AFP時事モンユワの地図  【ニューデリー=五十嵐誠】ミャンマー中部の銅山開発をめぐり、野党党首アウンサンスーチー氏が委員長を務める調査委員会が、報告書で「事業継続」の結論を出したことに地元住民が猛反発している。現地に説明に訪れたスーチー氏は反対派の住民に取り囲まれ、怒号を浴びせられた。  現地からの報道によると、モンユワのレッパダウン銅山周辺の村で14日、住民約300人が訪れたスーチー氏に「私たちはアウンサンスーチーも銅山も要らない」と叫んで抗議した。別の場所ではスーチー氏の車列が住民約500人に一時取り囲まれたという。  銅山開発は国軍関連企業と中国企業の共同事業で、軍事政権下の2010年に契約が結ばれた。昨年、土地収用への不満や環境への懸念から住民らの反対運動が盛り上がったが、11月に治安当局が弾圧し、1

    xijiao
    xijiao 2013/03/16
  • 專訪導演趙德胤

    xijiao
    xijiao 2013/03/13
    大阪アジアン映画祭で『貧しき人々』の上映された台湾で撮るビルマ華僑Midi Z 監督のインタビュー。
  • 朝日新聞デジタル:ミャンマー検閲制度廃止 半世紀ぶり民間日刊紙発行に道 - 国際

    ミャンマー政府は20日、メディアに対する事前検閲制度を廃止すると発表した。情報省によると、同日から、各メディアに義務づけられていた記事の事前提出が不要となった。  事前検閲制度は1964年に始まり、軍事政権の言論統制の一環として続けられてきた。昨年3月に発足したテインセイン政権は今年初めに、民主化政策の一環として廃止の方針を打ち出していた。  これまでは検閲があるため、日刊紙は国営3紙のみで、民間の新聞・雑誌は週刊や月刊に限られてきたが、今後は民間による日刊紙発行に道を開くことになる。すでに有力メディアの一部は印刷機を購入するなど、準備を進めている。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方)無料登録で気軽にお試し! サービスのご紹介は こちら 関連記事〈マイタウン〉ミャンマー民主化 難民の思い映画に(8/8)米国務長官、ミャンマ

  • ビルマ大統領「スー・チー閣僚起用の条件」

    昨年3月の民政移管と前後して、ビルマ(ミャンマー)は確かに変わりつつある。民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーが自宅軟禁を解かれ、ヒラリー・クリントン米国務長官が半世紀ぶりにビルマを訪問した。先ごろ、元誌記者のラリー・ウェーマスが外国人記者として初めて、テイン・セイン大統領にインタビューした。 ──欧米はあなたが主導する変化を見守っている。政治犯を釈放し、4月1日の連邦議会の補欠選挙にスー・チーの出馬を認め、少数民族と停戦合意を結んだ。短い間に驚くべき変化だ。この国を変えようと思った動機は。 現在進めている改革のプロセスは、国民から強い支持を受けている。平和と安定、そして経済発展を実現したいという人々の希望が根底にあるからだ。 これらを実現するためには、国内の政治パートナーと良好な関係を築くことが重要だ。だからわれわれはスー・チーと対話を始めた。私は彼女と会い、2人の間に理解が生まれ

    xijiao
    xijiao 2012/04/02
  • 民主化ビルマのビジネスチャンス

    民主化路線で国際社会から熱視線。ビルマの次の狙いは金融・為替改革だが「未開の大国」は世界の工場になれるのか ビルマ(ミャンマー)で進行中の改革のうち、最も大きな意味を持つのはどれか──なかなか答えが出せない難問だ。 10年に民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーの軟禁措置を解いたことや、4月に行われる予定の連邦議会補欠選挙に、スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が参加するのを認めたことは、もちろん重大な決断だ。おかげで、ビルマは国際社会への復帰を目指していると印象付けることができた。 大規模な恩赦を実施し、キン・ニュン元首相などの大物を含む多くの政治犯を解放したのも大きな転機になった。少数民族カレン族の反政府武装組織カレン民族同盟(KNU)との停戦合意も(合意が守られれば)極めて画期的な出来事だ。 だが最も根的な変化をもたらすのは、1月26日に新会期が始まった連邦議会かもしれない。議

    xijiao
    xijiao 2012/02/29
  • 16th BIFFから ~ 新人監督によるミャンマー=台湾の合作映画: アジア映画の世界 福岡発 

  • asahi.com(朝日新聞社):BBC・ユーチューブ、ミャンマーで閲覧可に 規制緩和か - 国際

    印刷 関連トピックスYoutube  ミャンマー(ビルマ)で、軍事政権下ではアクセスできなかった英BBCや亡命ビルマ人らによるメディア、動画投稿サイト「ユーチューブ」などのインターネットサイトが、閲覧可能になった。3月に発足した新政府の改革の一環と見られる。  ミャンマーからの情報によると、亡命ビルマ人らが主体の「ビルマ民主の声(DVB)」のサイトも含め、15日ごろから突然、閲覧できるようになった。ただ、約2週間前にも一時的に閲覧可能になったことがあり、今回が恒久的な措置なのかは不明。  軍政下で、国内メディアはすべての記事で検閲を受け、軍政批判につながる記事は一切掲載できなかった。BBCやDVBに対しては、国営メディアが連日、「憎悪の種をまく」「殺人的」などと批判。ユーチューブには、反政府デモや民主化運動に関する動画が多数投稿されていた。

  • ミャンマー:謎の遷都に「占い」説…首都ネピドー・ルポ - 毎日jp(毎日新聞)

    ネピドー市内の一角には、政治家や公務員の生活を下支えする労働者向けの露店街がある=2011年7月26日、春日孝之撮影 ネピドーで威容を誇る国会議事堂。鉄製のフェンス越しに撮影していると、治安要員と見られる男性に「退却」を命じられた=2011年7月26日、春日孝之撮影 長く軍事政権が続いたミャンマーは魅惑の国だ。当局が言論や報道を規制し、外国人ジャーナリストを締め出してきたことで、メディアにとって現代の秘境になったからだ。とりわけ「首都ネピドー」は謎が多く、突如ヤンゴンから遷都された理由も判然としない。政府と民主化運動指導者アウンサンスーチー氏の対話が始まり、この国に変化の兆しが見えてきた今夏、足を踏み入れた。 ◇外国人記者締め出し…現代の秘境 今や最大都市と形容される旧都ヤンゴンから高速道で320キロを北上、「ネピドーへようこそ」の標識を過ぎると、車窓から草ぶきの民家は消え、高台に豪華な邸

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