タグ

2013年10月26日のブックマーク (2件)

  • 東恩納寛惇 - Wikipedia

    東恩納 寛惇(ひがしおんな かんじゅん、1882年10月14日 - 1963年1月24日)は、沖縄の歴史学者・郷土史家・沖縄史家。東京帝国大学卒業。旧制府立高等学校、法政大学、拓殖大学各教授、拓殖大学図書館長、拓殖大学第一高等学校四代校長。沖縄県那覇出身。 経歴[編集] 1882年10月14日、父東恩納寛裕母真呉勢の四男として沖縄県那覇東町に生まれる[1][2]。沖縄県中学校(現・沖縄県立首里高等学校)、第五高等学校文科(現・熊大学)を経て、1908年に東京帝国大学文科大学史学科卒業[1][2]。東京府立一中教諭、高千穂高等商業学校(現高千穂大学)教員、府立高等学校や法政大学、拓殖大学等の教授を務めた[1][2][3]。死後、琉球新報社によって「東恩納寛惇賞」が創設された[2][4]。 主に『歴代宝案』を研究し、多くの著書を残した。その多くは沖縄県立図書館に寄贈され、「東恩納寛惇文庫」と

    東恩納寛惇 - Wikipedia
  • 伊波普猷 - Wikipedia

    伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、日の民俗学者・言語学者。沖縄学の父と言われている。沖縄県那覇市出身。 経歴[編集] 東京帝国大学言語学科(1905年)。 前列右から小倉進平、伊波普猷、神田城太郎。中列右から保科孝一、八杉貞利、上田万年、藤岡勝二、新村出。後列右から橋進吉、徳沢(徳沢健三?)、後藤朝太郎、金田一京助。 伊波普猷生誕百年記念会編『伊波普猷 : 1876-1947 生誕百年記念アルバム』1976年、19頁。 琉球藩那覇西村(現在の那覇市西)に父普済・母マツルの長男として生まれる。1903年(明治36年)、第三高等学校を卒業した[1]後、東京帝国大学で言語学を専攻する。帝大では、橋進吉、小倉進平、金田一京助らの学友とともに、新村出の講義を聴講した。また、東京帝国大学では上田萬年の講義を聴講していた鳥居龍蔵

    伊波普猷 - Wikipedia