1971年(民国60年)、国際連合総会は決議2758号(通称「アルバニア決議」)を可決し、中華人民共和国が中華民国に代わって国際連合における中国の代表となった。その直後に劉家昌は中影公司(中国語版)の総経理であった梅長齢と共に映画産業を視察するため来日した。来日中、2人は駐日中華人民共和国大使館を訪れ、「中華民国万歳」と叫んで抗議した。梅長齡に触発された劉家昌はその日の午後、中華民国の同胞を鼓舞するために「梅花」を制作した[2]。 この曲の歌詞では梅が中華民国の国花(中国語版)であることが言及され、梅の花が寒くなるほど花開くことが中華民国の強固さの比喩として用いられている[3]。 1976年(民国65年)、中影公司制作の映画「梅花」の主題歌となった。劇中では鳳飛飛(中国語版)、ジェニー・ツェン、優雅、青青合唱団、原野合唱団によって歌われ、サウンドトラックにはジェニー・ツェンによるバージョン
バングラデシュ大虐殺(バングラデシュだいぎゃくさつ、英語: Bangladesh genocide)とは、1971年のバングラデシュ独立戦争の際に東パキスタン(現在のバングラデシュ)で発生した大量虐殺である。 背景や経緯はバングラデシュ独立戦争と重複する部分もあるが、ここでは主に民間人への暴力、虐殺という側面から記述する。 1947年のインド・パキスタン分離独立によって誕生した「飛び地国家」状態の東西パキスタンは、ムスリムが多数を占める地域という理由でまとめて分離されただけで民族的・文化的に東西は大きく乖離していた。東パキスタンでは、1950年前後のベンガル語国語化運動をはじめとして、住民の多数を占めるベンガル人による民族主義運動の機運が高まっていた。これを抑え込みたい西パキスタン(現在のパキスタン)は、1971年3月26日未明、サーチライト作戦(英語版)と呼ばれる軍事弾圧を開始[5]、こ
インド介入後の戦闘の推移 バングラデシュ独立戦争(バングラデシュどくりつせんそう、ベンガル語: বাংলাদেশের স্বাধীনতা যুদ্ধ, ウルドゥー語: جنگ آزادی بنگلہ دیش)は、東パキスタンの独立をめぐって1971年3月26日に勃発した戦争である。 1952年、西パキスタン側のパキスタン中央政府による支配に対し、人口では全土の過半数を占める東パキスタン地域が、自国言語バングラ(ベンガル語)[1]を守るため(ベンガル語国語化運動)、また、西パキスタンによる搾取から解放されるために立ち上がった。政府に対するベンガル人の反発は激しさを増し、第二次印パ戦争の講和(タシケント宣言(英語版))でインドに譲歩したことや、急激なインフレへの不満が重なり、1962年から東パキスタン各地で暴動が起こり、自治権の拡大などを求めた1966年の6点運動(英語版)[2]を経て、19
シェイク・ムジブル・ラフマン(ベンガル語: শেখ মুজিবুর রহমান, ラテン文字転写: Sheikh Mujibur Rahman, 1920年3月17日 - 1975年8月15日)は、バングラデシュの政治家。かつての東パキスタンにおけるベンガル人政治指導者・独立運動家。バングラデシュの大統領(初代及び第4代)及び首相を歴任した。称号のバンガバンドゥでも知られている。日本のメディア報道では「ムジブル・ラーマン」と表記されている。 ムジブル・ラフマンは1920年3月17日、英領インドベンガル州の小さな町タンギパラで生まれた。1929年に高校を卒業した後、1931年の公立学校に3等級で入学したが、1934年、目の手術を受けるために学校を辞め、4年後に学校に戻った。その後、1942年にゴパルガンジ宣教師学校に入学、1944年にイスラミア大学(現在のマウラナアザド大学)から中級芸術、1
パキスタンからのバングラデシュの独立を果たし国父とされるムジブル・ラフマンの長女として誕生。政治活動に多忙なラフマンは育児には手をつけることはなく、幼少期のハシナは母と祖母に育てられた[3]。父は幾度とパキスタン政府によって、刑務所に拘留されていた[4]。ハシナは父と過ごした時間はないと語っている[5]。 1975年に軍事クーデターで父と家族のほとんどがが暗殺[6]されたが、彼女は既にダッカ大学の学生リーダーとして著名であったものの、当時西ドイツにいて彼女と妹だけが生き残った[7]。ハシナはジアウル・ラフマン大統領によってバングラデシュへの入国を禁じられて以降[8]、インドで亡命生活を送ったが、1981年に帰国を果たし、アワミ連盟の党首となった。その後、1983年にフセイン・モハンマド・エルシャドがクーデターで政権を握り大統領となると、ハシナは父の設立したアワミ連盟の指導者となり、政権に対
前回のインド総選挙が行なわれた2019年、選挙管理委員会は、最初の投票が始まる直前に、ヒンディ語映画『PM Narendra Modi』(2019)の劇場公開を差し止めた。 当時の本ブログでも触れたが、同作は、政権2期目を期していたナレンドラ・モディ現首相の伝記映画だ。というより、事実関係はどうでもよく(州首相当時のグジャラート大虐殺への対応に嘘八百を並べている等)、ひたすらモディをもち上げるプロパガンダ映画であることは、予告編だけでも明らかだった。 結局、劇場公開は長期間にわたる投票がすべて終了したあとに変更された。選挙管理委員会の判断は、しかるべきものだった。 代わって、遅くとも来年1月に総選挙が予定されているバングラデシュでは、先週金曜日(10月13日)に、『Mujib: The Making of a Nation』〈ムジブ:バングラデシュの誕生、2023〉が、全国150館以上で公
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く