陳 立夫(ちん りつふ)は、中華民国の政治家。兄の陳果夫とともに中国国民党内派閥の1つである「CC系」の指導者として知られる。名は祖燕だが、一般に字の立夫で知られる。父の陳其業は廩生(後に国民参政会参政員、国民大会代表、全国商聯会常務理事などを歴任)の家柄である。叔父は陳其美。 事績[編集] 初期の活動[編集] 幼い頃は旧学で成績優秀であった。1914年(民国3年)、上海路鉱学堂中学部に入学している。1917年(民国6年)、首席卒業し、北洋大学采鉱科に入学した。1923年(民国12年)、アメリカに留学し、ピッツバーグ大学で鉱学修士を取得した。その後、孫文(孫中山)の著作『実業計画』を読み、サンフランシスコで中国国民党に加入した。 1925年(民国14年)に帰国し、当初は山東中興煤鉱公司で採鉱技術者として起用された。しかし、まもなく蔣介石に招聘されて広州に赴き、黄埔軍官学校校長弁公室機要秘書