本山の同朋センターの研究員になったのは1984年、教団では基幹運動の一本化をめぐって大きく揺れうごいており、私の所属の備後教区では、1983年の過去帳再調査の結果、1985年からの過去帳差別記載糾弾学習会がはじまっていく前年であった。1979年に先代住職が急死し、曲がりなりにも一カ寺の住職を勤めていた私だが、同朋運動はそのときまで私の主体的課題とはほど遠いいものであった。以来15年、走ったり、立ち止まったり、しゃがみこんだりしながらも、突きつけられた過去帳差別記載という事実を巡って問いつづけてきた、いや何とか振り落とされずにくらいついてきたというのが実際である。そして、やっとわが寺の「過去帳差別添え書き」を課題とすることになった。15年たっての新たなはじまりである。 同朋運動、部落解放運動との出会いは、それまで寺院の中で身に付けた「常識」、さらには龍谷大学で学んだ真宗学がいかに鸞聖人の教え
研究の動向 世界的には、1960年代中頃から自閉症を中心とした重度の問題行動を子どもや大人の療育方法が開発されてきている<3><4>。日本でも、先駆的研究機関で1960年代後半より実践報告がなされている<5>。それ以前には、問題行動とは固有の症病モデルの根源的な原因が表面化したものとしてとらていた。それゆえ、問題行動に直接アプローチすることはなかった<6>。 問題行動に対する初期のアプローチはすべて、学習理論の体系に則った、環境と固体との相互関係を操作する行動論的手法であった。具体的には、強化の理論を強烈な問題行動をもつ人に応用している。「その環境に存在する何らかの強化子により、その問題行動は維持されている」という仮説から「問題行動を維持している強化子を撤去する」ことに注目した。この仮説から、行動論的な手法は、1970年代の中頃までに実践的で有効な技法をいくつも生みだしている。例としてあげ
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