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<道路レポート>と2010に関するyamaigaのブックマーク (12)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道77号川根寸又峡線 朝日トンネル旧道

    このレポートの元となった探索は、時系列で言うと「廃線レポ46千頭森林鉄道(沢間~大間)最終回」の直後に行われた。 よって、先に前記レポをご覧頂いた方が、展開が分かり易いと思う(だから、自転車での探索だ)。 それはそうと、実はこの探索、当初の計画には無かった。 しかし、周辺の地形を直に感じているうちに妙に気になり出し、急遽“寄り道”した内容である。 →【周辺図(マピオン)】 それでは恒例通り、次に現在の地形図を見て貰おう。 今回のターゲットは図に赤く示した部分で、県道77号「川根寸又峡線」の朝日トンネルに対応する旧道である。 距離はちょうど1kmくらいであろうか。 元の地形図には全くこの部分の道は描かれていないものの、法面と路肩がそれぞれ「崖(岩)」と「崖(土)」の記号として残っているため、「消したんだな」と明らかに分かる状態になっている。 消した=廃道 と見て、ほぼ間違いないだろう。 こ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区

    【周辺地図(マピオン)】 今回採り上げるのはタイトルの通り、静岡県道388号接岨峡(せっそきょう)線の旧道にあたる道である。 右図に赤く示したラインが、それである。 地図上では、この旧道にこれといった不自然さは見あたらないと思うが、冒頭で「県道の旧道」と言い切らず、「旧道にあたる」という遠巻きな表現をしたのには訳がある。 もう一度地図を見て貰いたい。 この場所は、川根町の中心地である千頭地区から5km半ほど北に入った奥泉地区で、寸又峡へ向かう県道77号川根寸又峡線と、接岨峡へ向かう県道388号接岨峡線が二岐に分かれている。 寸又峡へ向かう道と、接岨峡へ向かう道が、混在している場所。 この2系統の道が、それぞれのペースで新道を建設してきた結果、「旧道にあたる道」は、少しだけ複雑な変遷を遂げているのだ。 その過程で、名前も何度も変わってきた。 編に入る前に、一帯のルートの変遷を地図上で見

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区

    福島県道53号「会津高田柳津線」は、会津盆地の西南端に位置する歴史ある商都高田と、奥会津の玄関口に位置する寺と温泉のまち柳津を結ぶ、全長20kmの主要地方道である。 起点と終点付近以外は会津山地の山中を通る山岳路線であり、赤留(あかる)峠と市野峠という2つの峠が控えている。 また、柳津と高田を結ぶ交通量自体あまり多くないことから、比較的閑散路線といえる。 とはいえ現役の県道であり、この程度の縮尺の地図では特に“異変”に気づくと言うこともない。 というか、ドライバー的には全くそれで問題がない。 あなたが普通に道路標識に従って車を走らせていれば、ちゃんとこの県道は高田から柳津、或いはその逆へ移動させてくれる。 問題ない。 だが、縮尺の大きな道路地図(左画像は「スーパーマップルデジタル11」)で、この赤留峠と市野峠の間に挟まっている谷…二岐(ふたまた)地区を見てみると、小さな“異変”に気

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道113号旧道 赤芝橋

    今回は国道113号の旧道をまたひとつ紹介する。 国道113号は、太平洋に面した福島県相馬市と日海に臨む新潟県新潟市を結ぶ、東北を横断する国道である。 その性格上山がちな路線であるが、なかでも2000m級の飯豊連峰と朝日連峰に挟まれた荒川地峡(荒川渓谷沿い)を通る、山形県小国町から新潟県関川村にかけての区間は最大の難所である。 と同時に、小国町や関川村にとってはこれが唯一外界へと通じる路線になっていることから、この区間は3桁国道でありながら国交省直轄区間になっている。 これまで当サイトや「日の廃道」でも、この区間にある旧道や廃道をいくつか紹介してきた。 その代表的な物は宇津峠や八ツ口旧道、そして片洞門(日の廃道)である。 今回紹介する旧道は、位置的には片洞門と八ツ口の間にある。 その旧道としての規模は小さいが、かなり印象深い 特異な景観 がある。 2010/10/18 7:11 【現在

  • 【山さ行がねが】道路レポート 十二ノ森公園の謎の道

    ちょっと右の地図をみておくれ。 愛用している「スーパーマップルデジタル ver.11」の画像なんだが、中央付近の山の中に、この場所には似つかわしくない注記がある。 「野球場」「並木公園」「十二ノ森公園」の3つだが、下地の等高線はかなり険しく描かれており、2つの公園についてはともかく野球場というのは流石にこんな場所に作れるだろうか? 麓の道からは140mくらい高いところだぞ。 それに、いくら縮尺を上げてみても、この3つの場所に行くような道は現れない。 もしかして廃公園とか、そういうのか? 何となく気になったので、行ってみた。 <この場所について> ここは群馬県利根郡片品村の北部に位置する戸倉地区【周辺地図(マピオン)】で、沼田と会津を結ぶ街道の宿場としてひらけた場所で、現在は尾瀬の玄関口として知られている。 2010/8/23 14:39 《現在地》 私がここに行ったのは8月末の平日だが、

  • 【山さ行がねが】道路レポート 群馬県道63号水上片品線旧道 須田貝地区

    【周辺地図(マピオン)】 利根川の源流は群馬県みなかみ町にあるが、この流沿いの最も上流に位置する集落が大芦だ。 一帯は関東の電力需要を支える大電源地帯で、利根川の流支流を問わず幾つものダムが建造されており、集落のすぐ上流に須田貝(すだがい)ダムが、下流には藤原ダムが控えている。 右の地図を見て貰いたい。 ここを通過する県道63号水上片品線は、須田貝ダムの脇を小さな峠で乗り越しているのだが、その下に一のトンネルが描かれている。 一見すると峠を迂回する新道のように見えるのだが、この道、最新の地形図では別の描かれ方をしている。 敢えて左の地図中にはなにも書き加えなかったが、上の地図と比較して貰えば、どこに“トンネルがあるべきか”分かるだろう。 … …… ……… そう。 地形図にはトンネルは描かれていない。 「これは何かあるな。」 トンネルの消失という事態に強烈な廃の香りを感じ取った私は、

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道148号旧道 外沢地区

    今回紹介するのは国道148号の旧道で、特に長野県小谷村下寺から同村中土(なかつち)地区までである。 ここは小谷村の幹線道路である国道148号が、もっとも大きく付け替えられている地区であり、外沢(そとざわ)という踏破のし甲斐がある難所を含んでいる。 なおここは、以前レポートした「国道148号旧道 下寺地区」の南側に繋がる区間であり、同日に連続して探索している。 今回は「序」ということで、歴代の地形図でルートの変遷を追いかけてみよう。 別にこの行程を経なくても旧道の存在は現地で明らかなのだが、小谷村が経験してきた自然災害の歴史と、それに伴う壮絶な路線付け替えの様子を、予め知っていただきたいのである。 まず最初にお見せするのは、現在の地形図だ。 「道の駅小谷(おたり)」がある北小谷下寺地区で、新旧の国道は並走している。 そしてここから姫川沿いを南下して、中小谷の中土地区に至るまで、外沢北側の一部

  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線旧道 兎峰橋

    日原(にっぱら)は、東京都の西の端に位置する奥多摩町の北西部、多摩川の支流である日原川上流の一帯である。 ここにある鍾乳洞は有名だが、オブローダーの世界でもその名は少しばかり知られている。 日原地区への出入りは、今日なおただ一の都道「日原鍾乳洞線」による他ないという“陸の孤島ぶり”で、近世以来のこの道の変遷が、そのままオブローディングの対象となるのである。 右図では中でも一番メジャーで新しい「旧都道」のみを赤く示しているが、実際に明治以降に使われていた道は、下図の通り多くの世代が存在する。 これら「日原旧道群」の探索は、私が東京に移住してきた平成19年に集中的に行ったこともあり、一通りは終えているという認識だ。 当サイトでも、以下のようなレポートを公開してきた。 これらの探索のあと、しばらく日原の土を踏むことはなかったのだが、年(平成22年)の春頃になってふと、やり残してきた(未踏破が

  • 【山さ行がねが】道路レポート 寸又峡の旧遊歩道

    飛 龍 橋。 全長72m、高さ69m。上路スパンドレルブレーストアーチ。 奥黒法師から流れ出る大間川の深谷を跨ぐ、現役の道路橋で、架設された昭和32年当時はここを千頭森林鉄道が通っていたが、同44年に車道橋へと改築された経緯を持つ。これは土木学会により権威ある「歴史的鋼橋」にも認定された名橋であり、寸又峡を代表する観光名所ともなっている。 しかし、この橋は今回の主役ではない。 夢の吊橋。 全長90m、高さ8m。吊り橋。 この橋は飛龍橋の500mほど下流、寸又川との合流地点にある「大間堰堤(ダム)」に架かる、人道用の吊り橋で、これまた寸又峡の代表的観光名所である。 もちろん、今回の主役ではない。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道148号旧道 下寺地区

    これは当サイト最初の国道148号関係のレポートだが、今回紹介する区間はその数多く存在する旧道の中では小規模であり、代表的と言えるようなものではないので、路線の全体像については次の機会に譲ることにする。 ここでは単に、新潟県の糸魚川市と長野県の大町市を結ぶ、おおよそ70kmの一般国道であることだけを述べておく。 70kmという距離は国道としては長い方ではなく、その道筋は新潟県糸魚川市、長野県小谷(おたり)村、白馬村、大町市の4市村のみに納まっている。 今回紹介するのは小谷村北小谷は下寺地区の旧道であるが、その位置は右図の通りである。 あわせて山行が初登場である小谷村についても簡単に紹介すると、ここは典型的な豪雪の山村である。 面積の9割近くは山林、しかも東西を標高2000~2500mの山岳が画しており、ほとんどの集落は中央を流れる日有数の清流姫川(平成12年と13年の一級河川における水質調

  • 道路レポート 尾盛駅への道

    尾 盛 駅 をご存じだろうか。 wikipedia:尾盛駅 には、こう書かれている。 駅周辺に民家は無く、その上駅に通じる車道も1つも無い。このため鉄道でしかこの駅へ来ることはできない。 そのため、一部の鉄道ファンに日で最も理想的な秘境駅といわれている。 2008年度の年間乗降客数は574人である。 オブローダーというのは、元来「ひねくれ者」の資質を有する。 誰もが使う道ではなく、敢えて裏道を探し、無理に使われなくなった道を辿ろうとする。 「イケナイ」 「行けない」 と言われれば、当にそうなのかと確かめなければ気が済まなくなる。 「道が無いのに駅があるわけなんてないだろう」 と、そう心から疑う。 そして、「秘境駅ファン」というのも相当に「ひねくれ者」であろう。 非共益の誹りなどどこ吹く風で頑張る秘境駅を愛する者が、 年に500人以上も、 この「どこにも行けないホーム」に降り立っていると

  • 【山さ行がねが】道路レポート 磯根崎海岸道路(仮)

    今回のレポートでは、今まで以上に皆様の調査力をお借りしたいと思っている。 というのも、 これから探索の成果は余すことなくお伝えするが、 それでも謎が沢山残ったのだ。 もちろん、自分なりに関連町村市などを漁ってみたが、成果はわずか。 これを書いている現段階では、正式な路線名さえ分からずじまいなのだ。 今はっきり言えることは… 富津市の東京湾沿いに、正体不明の廃車道が残されているという事実だ。 この探索の契機は、これ以上ないほどに単純だった。 何気なく「ウオッちず」を眺めていたところ、海岸沿いに「車道の特徴を持った歩道」を見つけたのである。 右図を見ていただきたい。 「A」の矢印の先には、紛れもないループ道路が描かれている。 また「B」付近には、これまた車道としか思えないようなゆったりとした線形のカーブ群が描かれている。 いずれも「破線」、つまりは「徒歩道」だが、車道が廃道になって辛うじて歩道

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